october sky〜遠い空の向こうまで〜

謎主婦・風信子(ヒヤシンス@nobvko)のブログです。宜しくお願いします♪

「「平和憲法」を盾に、いかなる形であっても自衛隊の協力には反対を叫ぶ野党に同調する国民が多く存在する。一方、政府も「憲法の範囲内」でその場しのぎの対応策の案出に終始しているように見受けられる。
しかし、戦争放棄を定めた憲法第九条は、憲法前文に示されている「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しよう」という決意に基づくもの。
しかし、残念ながら、今の世界においては、そもそも信頼するに足る「公正と信義」に基づく秩序が確立していないからこそ、幾多の武力紛争が生じているのである。
われわれが尊重し、実践していかなければならない憲法の精神は、このような明らかに現実と矛盾した考え方ではなく、それは同じ前文にうたわれている次の言葉にはっきりと示されている。


 「いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであって、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従うことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立とうとする各国の責務であると信ずる」

「我らは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思う」
 

国際社会における責任を問われている今こそ、勇気をもって憲法問題と取り組むべき時であると考える。」

以上は、イラクのクエート侵略に始まった湾岸戦争に際し、多国籍軍支援のために自衛隊掃海艇を派遣すべきか否かの決断を迫られていた1991年2月10日に、貴紙の談話室欄に掲載頂いた拙文です。

あれから13年、イラクの復興支援というテーマで、今また同様の議論が繰り返されているのを目にし、この国の環境適応能力の低さに暗胆たる気持ちとなってしまいます。

生命体が生存し続け、他者との共存を図って行くためには、自らを取り巻く環境を広範囲で正しく認識し、それへの適応努力を怠ってはならないことは自明のことです。
しかるに、わが国民が国際の社会環境を認識する際の耳目であるマスメディアの多くは、見たいものだけを見、聞きたいことだけを聞くという姿勢で、世界を描写し続けてきました。
そのため、国際社会の現実と、それに対する国民の認識の間の大きな乖離を繕うため、政府は今回も憲法前文主義の立場から自衛隊派遣の決定を説明せざるを得ないのであろうが、これではわが国が直面する課題への本質的な対応を先送りしているにすぎません。
今回こそは、勇気をもって憲法問題と取り組むべき時であると考えます。」


 これは
2003年12月、風信子(ヒヤシンス)の夫が産経新聞宛に
投稿したメールです。

1991年1月の湾岸戦争を機に、同年6月に小沢一郎幹事長(当時)を長として発足した「国際社会における日本の役割に関する特別調査会」。
その92年2月の答申案にある「
憲法前文に示された積極的・能動的平和主義の理念」を知った我が家。

まさか小沢さん、産経新聞の談話室を読んで下さってた?(本気★)
  




 

クリスタルの中の無限の微笑みは
指先ひとつで臆病な心を癒してくれる
でも もう寄りかからずに歩いていける
今日から
 
押し寄せるカオスの波に 呑み込まれたくないのに
うずくまり 目を閉じることしか術を知らない幼い僕は
したり顔した誰かの呪文に 塞いだ耳を傾けそうになる
そんなとき
 
こっけいなほど 堂々と
あきれるほど まっすぐに
カオスの中を突き進む背中から
あなたの声が甦ってくる
 
「きれいごと」
それは 卑怯者のいいわけ
 
父さん 僕はもう大丈夫
いつか 宇宙(そら)を航る鳥になって
あなたの意志(こころ)を運んでいくよ




なぜだか、産経のコラム「断」が気になる今日この頃。(笑)
今日の執筆者は漫画家のさかもと未明さんでした。

ファストフード店で、前の客の注文を間違えた店員がホットコーヒーを捨てようとするのを見て、

 「なんとなく気の毒になり『私がそのコーヒーをいただきます』」
 
と申し出たさかもとさんに、カウンターの青年店員が

 「これは捨てると決まっているので」

とマニュアルどおり「拒否」したものだから大変。

「店内の客が全員私たちを見るくらいの騒ぎになってしまった。私はただの変なおばさん」

と嘆く(?)さかもとさんのお気持ちは分からないでもないのですが、そこから展開するロジックがちょっと不思議なんです。

「私にとっては食べ物を祖末にすることこそ悪だが、若者にとってはマニュアルにない対応をすることこそが悪なのだろう。」

とされているさかもとさんですが、店員の対応が問題なら、「これは私が後でいただきますので」って機転を利かせてその場を納められるような、オシャレな接遇教育をしろという主張になりそうなものです。
しかし、さかもとさんは

「生ゴミを大量に出し、プラスチック容器を消費する外食習慣を続けて、エコもないだろう。そういえば、こともなげにコーヒーを捨てようとした店も、分別に随分と力をいれていた。」

と、ファストフード産業の環境対策活動の欺瞞性を問題にしはじめます。
ならば、件(くだん)の店員の対応の善し悪しを問う前に、そのようなマニュアルを定めているファストフード店や、マニュアルにそう定めなければ商売にならないと感じさせる消費者一般の善し悪しに意識を向けるのが先ではないでしょうか。

さかもとさんの文章を素朴に読めば読むほど、そもそも「生ゴミを大量に出し、プラスチック容器を消費する外食習慣を続けて」いながら、「私にとっては食べ物を祖末にすることこそ悪」もないんじゃないかなぁ・・・と思っちゃうワタシはただの変なおばさん?

と、ここでふと思い出したのは、つい最近TVで見たニュース。

「日本は京都議定書で割り当てられたCO2削減をこのままでは達成できない。一方、京都議定書を批准していないアメリカは、州政府などの先導で『排出権取引』の導入が進んだことにより、抜本的な解決に繋がっている」

という内容に思わず耳を疑ったワタシ。

ファストフードの母国・アメリカが!?
京都議定書から逃げた(?)と言われているアメリカが?
ホントだったら凄いことなんじゃないですか?

ところがそれきりなぜか関連ニュースが流れません。
さかもとさんのコラムがきっかけで今日そのことを思い出したワタシは、急に気になりあちこちを検索。
すると、


京都議定書:目標達成は「極めて厳しい状況」

2006年のCO2排出量、中国が米国抜いて一位に

アメリカからの最新環境キーワード

という記事が見つかりましたが、総じて少ない。
英語のサイトを探さなければ駄目かなぁ。

それにしても、あれほど京都議定書の件でアメリカを非難してきた日本は、このままだと自分の割り当て分を達成できそうにないのに、ヒールの(?)アメリカがきちんと経済シミュレーションでCO2削減を順調に達成中だとしたら・・・☆

他所さまのことを「こうあるべきなのに、なぜそうできない!」と批判してばかりいないで、自分の足元を見直さないと、やばいぞ日本!?
そこのところを、是非産経新聞さんにも調べていただきたいと思うワタシです。

  

恐らくは、あの金麦のコマーシャルを強く意識して書かれたと思われる昨日のコラム「断」。

「『(家で)待ってる』などと言って、夫をねぎらっている妻」

とか、

「お酒を買って家で夫の帰りを待つ妻が絶滅しつつある今」

などと、いつもの調子で「断」じておられたのは講談師・神田茜さん。

「ビールや日本酒のコマーシャルはノスタルジーをねらっているのだろうか。」

「古き良き時代を懐かしむ世代がせめて酒を飲むときぐらいそんな夢をみていたいと、あのコマーシャルの映像に癒やされ、家で飲むことしか出来ない自分をなぐさめているのだろうか。」

と類推されていますが、ちょっと違うんじゃあ・・・。

あのCM、男性というより、夫の晩酌代を握る女性陣にアピールするために作られたものではないでしょうか。
下戸でビールの
CMにはあまり興味のないワタシでも、「誰っ!?」って思わず気になったあの女優さん。
後で、宝塚で娘役だった壇れいさんという女優さんであることを知りましたが、若き日の(失礼!)黒木瞳さんのような魅力溢れる女優さんが、画面の向こう側へ駆けていきながら振り向きざまに「金麦と待ってるぅ!」って呼びかける映像を見た世の主婦たちは、

「私もきっとあんな感じネ♪」

と共感(勘違い?)して、いつものスーパーでいつもの安い発泡酒、ではなく金麦に手を伸ばしたことでしょう。(笑)

ところで
神田茜さんは、

「おい、酒買って来い」と女子プロレスラーのような鬼嫁に言われ、「ハイ」とうれしそうにしている男性の姿が目に浮かび、実際その方が現実に近いと思えるのだが…。」

とも
書かれていましたが、そういう層狙いの商品を売る時には、ジャガー夫妻に演じてもらうんですよ、きっと。(笑)


我が家の辺りでは、先週の木曜日の明け方から大きめの地震が繰り返し起きています。
木曜日の朝の一番大きな揺れの時には、2階のガンダムが倒れました。
震度4くらいに感じたのですが、気象庁観測では震度3。
震度4だったのはちょっと離れた町でした。
昨日の未明の揺れは、県内最大震度は5弱でしたがワタシのところは震度2。
でも、この前のと同じくらい揺れたように感じたんだけどなぁ・・・。
安普請のせいかなぁ・・・。

大きさそれ自体にはそんなにびっくりしないのですが、今回のようにちょっと長めの揺れが頻繁にくるのは、ちょっと無気味です。
でも、ウェンディはいつも通りのんびりしてるので、これ以上大きなのは来なさそう・・・って、猫に地震予知はできるんでしたっけ?

一週間前の予約で、東京ミッドタウンの高級レストランのランチを押さえられた辛酸なめ子さん。
高級レストランのお客のほぼ全員が「裕福」で「有閑」な女性客で、そんな彼女たちと毎昼マックの中年男性を夫婦と見立ててしまうとは、一か月前に予約を入れた先客のお陰で、眺めの良い席に座れなかったことがさぞや悔しかったんでしょうね。

わざわざ一か月前から予約して六本木や丸の内でお昼を食べるっていうのは、高級レストランでのランチが日常の「マダム」というより、どちらかといえば物見遊山な方たちなのでは?
彼女たちが「裕福」で「有閑」なら、ご主人だって自腹なり会社の経費なりで、同じようなグレードのビジネスランチだかディナーだかを召し上がっているでしょう。

ビジネスランチといえば、「有閑オーラを漂わせた女性客」と思われた方々も、なめ子さん同様(?)に見かけと違って結構やり手の仕事人の女性だったりするかもしれませんよ〜。
自分ブランドの洋服をデザインしてる女性起業家とか、個人輸入で中国茶を取り引きしている主婦とか。
そういう人たちの社交場かもしれませんよ〜。

かく言うワタシは自慢じゃないけどこのン十年、3,000〜5,000円のコースなんか御縁ナシ。
それどころか、一食1,000円を超える外食など恐ろしくて出来ない専業主婦のワタシがそのお店を覗いたとしたら、なめ子さんもその他の女性客も同じように見えたことでしょう。

で、何がイヤってこの手の話が「第一線で働く女性」の口から出ると、「だから専業主婦はけしからん」っていう一方的なバッシングになりがちなこと。
その一方で、テレビや雑誌で「食費は月に3万。節約上手な主婦です♪」なんて自慢してる「出来過ぎ主婦」が、ちゃっかり外ランチを別枠計算してるのを見たりしても、やっぱり納得いかないワタシです。(笑)





あんなに暑かったのが嘘のよう!
今朝は涼しい風が吹いていました。
24時間テレビは今日の夕方6時からのスタートのようですが、このくらいの気温であればマラソンも一安心かもしれませんね。

猛暑の中練習されたのだとは思いますが、それにしても本番でこれほどまでに涼しくなるのを目の当たりにすると、欽ちゃん伝説がまた一つ増えた気が・・・。


ワタシには、相変わらず「戦争は悪!!」を唱えてるばかりに見える大方のマスコミ論調。
でも、本当に戦争状態さえ否定していれば大丈夫なのでしょうか。

科学者が密室で行っている動物実験、望まれない子の堕胎、野生動物の駆除、飽食で捨てられる命、そのうえ共産国家や独裁国家などでまかり通る階級敵や他民族の虐殺などは、どれも人間が自分の都合ばかり主張した時に起こっていることですが、戦争状態ではありません。

でも他の存在を軽んじているという点では同じですよね。

ところで、ワタシが富野御大や福田己津央監督が描くガンダム世界に興味があるのは、戦争を描いているからではありません。
ガンダムが飛んでいく宇宙の、その広大な風景の中に時を感じる瞬間があるから。
普段忘れがちな己の生命が、宇宙の中でどんな存在であるのか、それを観ているものそれぞれに想起させる力を持っている気がするんです。
そしてそれが、それぞれの心の進化にもやがて作用していく、というような穏やかで壮大なイメージ

これってまるで哲学みたいですが、宇宙戦争の場が舞台だからよりわかりやすいってことなのかもしれません。
でも、舞台それ自体に意味があるわけではなく、そこでしか描けないドラマとテーマがあるはず。
そんな期待を持って見ているワタシにとって、ガンダム一般がその時々の世話物っぽくなってきちゃったようにみえるのは、もしかしたら、というよりたぶん、作り手の皆さんはご自分たちが創られている作品世界が、実はそんな力を持つものであることに案外気付かないでいらっしゃるからかも・・・。

共通の拠り所のない無限の時空間のなかで、日常よりも濃密にかかわり合う人と人。
対立と相克の中から新たなものが生まれるかもしれない、そんなアウフヘーベンへの期待。

ガンダムを論ずる多くの人たちが抱いている、そんなイメージ世界を新たに構築するためには、まずは作り手の世界にそんな状況を具現化するのが手っ取り早いのではないでしょうか。
そう、御大と福田チームとの「水と油」(?)コラボこそが、ガンダムの新たな地平を拓く〜!!
・・・かもョっ!?(笑)

阿川佐和子さんのお父様、阿川弘之氏からのお手紙を今でも大切にしています。
今から20年前、指導教授に反対されながらの(?)卒論をまとめる際、氏の著書『国を思うて何が悪い』を参考にしたい旨お願いの手紙を出したところ、すぐにお返事いただきました。

ちなみに卒論のタイトルは、

『新編日本史』と自国史教育---高校日本史教科書の内容分析---

従来の高校日本史教科書が教えるのは

1)日本史に対する否定的評価、さらには日本という国家と、これに対する愛国心の否定
2)社会主義・共産主義への共鳴
3)防衛意志の克服

という価値であること。
また、これらの価値を是とすることが、「平和主義」であるとされていること。
そして、それに対する疑義を唱える人々により編纂された『新編日本史』(原書房)が、一般的には政治的に中立であり公正であるとされる教育関係者やマスコミ関係者によって、教育現場から閉め出されているという図式を明らかにしたものです☆
    
阿川弘之さんに限らず、わけのわからん(笑)青二才相手に気さくに対応くださるお人柄の方々に出会うたびに、「生きてて良かった〜♪」と感激するワタシです。

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