前々回と前回のブログ記事で書いた通り、モンゴメリが『アンの夢の家』にウィリー・プリチャードの思い出を色濃く反映させていたことは、の中ではほぼ確定です。
アンとギルバートの結婚を1891年の9月とすることで、モンゴメリ自身が経験した「理想のパートナーだったウィル(ウィリー)との1891年8月26日の別離」という現実を、物語の中で塗り替えたのです。
アンの長女ジョイスが結婚の翌年6月に生まれ、すぐに亡くなるというエピソードもそう。
別作品のエミリー・バード・スターを1892年の5月生まれとしたことも、モンゴメリが「もしも、ウィルと結ばれて子供を授かっていたら」と空想しながら、自分の人生のパラレルワールドの物語を綴っていたとすれば腑に落ちます。

そしてさらに、モンゴメリはブロンテ・マニアとしてのこだわりを、これでもかと言うほど重ねていきます。

『エミリーシリーズ』の主人公、エミリー・バード・スターの誕生日を519日としたのは、アン・ブロンテとエミリー・ブロンテそれぞれの命日5月28日と12月19日だから。
『アンシリーズ』の主人公、アン・シャーリーは3月生まれと設定されているのも、シャーロット・ブロンテの命日が3月31日だから。
なら、アン・シャーリーの誕生日は3月31日ということでしょうか。
でも、エミリーの誕生日が二人のブロンテの命日の組み合わせであったように、アンの誕生日も二人の命日の組み合わせなのでは?
実は、ブロンテ姉妹には有名な3人の他にも、早くに亡くなった二人の姉がいます。

マリア・ブロンテの命日 5月6日
エリザベス・ブロンテの命日 6月15

マリア・ブロンテの「5月」はアン・ブロンテと同じ。
ということは、残ったエリザベスの命日「15日」から取られている可能性大。
そして、この可能性を確定に変えるのがこれ。
『アンの幸福』の中でモンゴメリは、アン・シャーリーと同じ誕生日の女の子「小さなエリザベス」を登場させているのです。
つまり、アン・シャーリーの誕生日は3月の15日ということになります。

モンゴメリはその最晩年にアンシリーズに付け足した『炉辺荘のアン』のなかで、アンの息子ジェムが母親の誕生日のお祝いにネックレスを贈るエピソードを置いていますが、その辺りの記述からも、アンの誕生日は3月の半ば頃であることがわかります。

アンの物語を書き始めた当初、ただただシャーロットの命日である「3月」を意識していたモンゴメリ。
その後、エミリーシリーズを書くに当たって、ブロンテ姉妹を強く絡ませた誕生日を設定した上で、最晩年にアンの物語を2冊書き足す際に、アン・シャーリーの誕生日を読者に推理させる大きな手がかり「小さなエリザベス」を置いたのではないでしょうか。

こう考えてくると、どうしても書かなければならないことが出てくるのですが、それはまた次の機会に。