october sky〜遠い空の向こうまで〜

謎主婦・風信子(ヒヤシンス@nobvko)のブログです。宜しくお願いします♪

2007年02月

柳沢さんって、堅ブツそうに見えて意外と猫ひろしフリークだったりして・・・。
きっと頭ん中であのギャグがリフレインしてたに違いない。

サぁザエ〜さん♪ サザエさん♪ サザエさぁんは機械だなぁ〜♪

そういえばこのネタ最近見ないなぁ。
もしかして自粛中?

昨日は毎月恒例の5%引きお客さま感謝デーだった近所の大型スーパーマーケット。
きっと混むだろうな・・・と、いつもよりちょっと早めの時間帯に出かけたのですが、マイバスケットに買うものを満載にして向かったレジはどこも長蛇の列!
空港が近いこともあって普段から多く見かけるNon-Japaのお客さんも、「なんで今日はこんなに混んでるの?」っていう顔をしながら、整然と並んでいます。
売り場では大きな声でおしゃべりしたりと、日本人からすると傍若無人な振る舞いを時折見せる中国系の派手な旅行客さんたちも、列の中では大人しく順番を待っています。
観念して、何となく短めに見える列の尻尾につながったワタシの耳に、何やら口々に言い合う声が聞こえてきました。

声の主達は、ワタシと同じ列に並ぶ50代から60代くらいの小金持ち風情のおばさん(と、黙って聞いてる連れのおじさん)たち。
レジを打つ女性の手際に、あからさまな文句を言っているのです。
言われて見ればその女性、慣れていないのか、それとも基本に忠実な方なのか、他のレジ担当の方に比べて二倍くらいの丁寧さで処理をしている様子。
確かに待たされている側からすれば焦れったくないわけではないけれど、彼女の態度は誠実で、そんなに責められるような感じではありません。
それどころか、聞こえよがしな悪口に畏縮しちゃってるみたいで、可哀相ですらあります。
そんなに文句があるんなら、ほら、あのフランス人(イタリア人?)のお客さんみたく隣の列に並び替えちゃえばいいのに・・・。
と思って見てたらビックリ仰天!

「ほら、やっぱりこっちの方が早いわよ。こっちに来なさいよ。」

という声に誘われたおばさんの一人が列を離れ、そのまま隣の列の中に吸収されていくではありませんか。
どうやらこの人、一緒に買い物にきた知り合いと組んで二股かけてたつもりらしいんです。
でもそれって、横入りじゃないの!?
ちゃんと尻尾にまわったフランス人(イタリア人?)のお客さんに失礼じゃないのっ! ・・・って言いたくても言えない小心もののワタシは、自分の順番がきた時、レジの女性に「お願いします♪」と声をかけて支払いを済ませたのでした。

この出来事が妙に気になっていたら、今朝の産経新聞文化欄の「断」というコラムでも、井口優子さんという評論家の方が東京マラソンのボランティアやランナーの大人たちが同じようなことをしていたって、書かれていました。

「期待していた待遇を受けないと『偉そうに』怒鳴るいい大人たち。」

って。
なんでこんなにもイライラしてる大人が増えてしまったんでしょうね・・・日本。

「これこそが『キリストの真実』!」なんていう陳腐なお話だったら途中で止めちゃおうと思いながらも、昨年読んでみた『ダ・ヴィンチ・コード』。

ワタシはクリスチャンではありませんが、この手のお話に登場する様々な説には興味がある方で、お話の中に出てくるいくつかの説も、どこかで聞きかじったことのあるものでした。
(そういえば以前、安彦良和が描いた「イエス」像も興味深いものでしたっけ♪)
そして、キリストの聖杯の謎を追う物語と見せかけて、実は別のことを伝えようとしているストーリーだったと記憶しています。

「聖なる杯」が王家の血を引くマグダラのマリアを指すという「事実」を知っていながら、そのお墓(というか遺骨?)の在り処を、人を殺し裏切ってまで知りたがった悪党・ティービング。
「真実」の物証を手にすることで世界をどうにかしようと、今さら企む必要がないほど俗世界の権勢を誇る彼を、完全な悪役とおいたこの物語の結末に、『新訳』ヨハネによる福音書・20章 24節に記されている「デドモと呼ばれているトーマス」のエピソードを思い起こしたのはワタシだけでしょうか。

父と慕うアリンガローサ司教に報いることが自分のしたいことである「凶暴な」シラスと、彼を「自分の殺人の実行犯」として手のひらの上で踊らせるティービングの関係は、ワタシたち人間が等しく宿しているものを見るようでもあり、神とキリストの関係を転写した陰影のようでもあり、シラスの最期を読んだ時には涙を流していたワタシ。
ティービングによって示される「人のダークサイド」こそがこの物語の主題であり、「ダ・ヴィンチの残したコード」やそれが示す「真実」は主材に過ぎないってところがワタシ的にはツボでした。

ただし、物語のオチのつけ方についてはちょっと疑問が残ったんです。
聖杯とはキリストの血であるワインが注がれ、それにより満たされるもの。
すなわち、キリストの子を宿したマグダラのマリアを指す、という解釈は素朴に面白いですし、それを信奉し続ける人々がいることも事実でしょう。
でも、それとキリストの血脈を王統の如く奉ることとは違うような気がするし、そうすること自体がイエスの示した世界観と矛盾するように思われたんです。
にもかかわらず、主人公のラングどん(笑)と結ばれるルーブル館長の孫娘・ソフィーがイエスとマグダラのマリアの直系の子孫であるメロヴィング王家の血を引く者だった、とするのはなぜなんだろう?って・・・。

それから、この物語ではマグダラのマリアを「聖杯」に擬することから始まり、聖杯の継承とイエスに連なる女系の血脈をなぞらえていることがうかがわれますが、受け継がれるべきは杯それ自体ではなく、それを満たす血ではないのかなぁ。
聖なる血を満たしているからこそ、その杯は聖杯たり得るのであって、満たす血はイエスのものでしかあり得ないはずで、その血を換えずに新たな杯で受け渡していくことが聖杯の継承ということであれば、聖杯であるイエスの女系子孫はイエス以外の男性と交われないことになり、ということは、彼女たちは常に女児を処女懐妊してきたということ・・・?

そもそも物語の発端に登場するルーブル館長が、「私が歴史上有数の秘密を守り伝える唯一の人間になってしまった〜、何か方法を見つなければ〜」とあれ程ガンバッたにもかかわらず、ラストで館長の奥さんがあっさりシオン修道会の次期幹部になっていた・・・っていう呆気無さにも、この物語世界の中での男女の重みが見て取れましたが。(笑)

アーサー王の聖杯伝説に登場するランスロットのような主人公だったラングどん。(笑)
そして、ルーブルや、ロンドンの名所旧跡にまつわるエピソードが楽しめる観光案内書としてもかなり魅力的なお話だった『ダ・ヴィンチ・コード』。

「エルサレムにイエスのお墓があった」というNEWSが真実(ホント)とわかった場合、あんなに大規模に宣伝かけたのに、たった一年ちょっとで終わっちゃうことになりますね、フランス観光協会さん!?
ルーブルの日曜日の入館料がいきなり有料になっちゃったりして★(笑)

>かわいらしい英語のおしゃべり
>きれいな発音
>ずっと英語でしゃべっていたのは、日本の学校のかばんをしょった日本の2人の男の子だった
>教わった英語に磨きをかけるためふだんの会話も英語ですることにしている、といったところだろうか。
>しかしこれは一体、どこの国の光景だ?

「きれいな発音」ということから察するに、帰国子女の男の子たちだったんじゃないのかなぁ。
小学校の授業で教わる英語くらいでは、ずっとおしゃべりし続けるのは無理じゃないでしょうか。
残念ながら。

逆に英語圏に2年も住めば、子供ならもうペラペラになりますから、忘れたくなくておしゃべりしてた、ってことだと推察いたします。

>小学校の英語教育

ワタシも最初は正直、どんなもんかなと思っていたんです。
英語より国語が先でしょ、って。
でも幸い、我が家の息子たちが通っている公立小学校の英語担当の先生は、どなたも驚くほどナチュラルな英語を話されていたんですよね。
何年も見てきましたが、今は、発音に関して小さい頃から耳が慣れることができたのは、良かったなと思っています。

全ては、いい先生を確保できるかどうかなんですよネ。
先生次第で、逆効果。
これは英語教育に限った話ではありませんが。(笑)
      

最初の委員会の前日、指定された小学校の教材室で謎の女性、じゃなくて前任の委員長さんとお会いしたワタシ。 

「えっと、まだわからないことがいくつかあるんですが♪」 
「ん?  順番よ、順番! ちゃ〜んと説明してくから! ・・・ナニそれっ!?」 

前委員長が指差したのは、明日の委員会用に私が用意していたアジェンダ(議案)でした。 
委員の方たちに年間スケジュールを伝える際、わかりやすくしようと思ってまとめておいたもので、前任者にもチェックしてもらおうと用意したものだったんです、が。 

「そんなの見せたら混乱させちゃうよっ! ダメダメ!!」 
「え゛っ★ でも・・・」 
「絶〜対、そんなの見せたらダメっ! いい? 委員長はいろいろと胸のウチに入れとかないといけないのヨっ! 全部しゃべっちゃだめなの! わかる?」 
「はぁ〜?!(それでノートにまとめることもしなかったのか・・・。)」 
「ほらっ! そんなことよりカイテ!」 
「えっ?」 
「だから、今から私が言うことを書いてって言ってるの!」 
「・・・書いてってそんな、急に言われても・・・(ゴソゴソ)」 
「いいから早く書きなさい!」 
「ぬぅ★」(←面喰らってる) 

どうやら自分のペースじゃないとお気にさわるお方のようで。 
それにしてもこの方、確か外で働いてるって言ってたけど、アジェンダ作るのがいけないことって一体どんなお仕事? 
それより、こうやって人に「書け」って指図する方がよっぽどいけないことなんじゃあ★ 
な〜んて思いながらも、お指図どおりに十ほど箇条書きで既にクリア済みの「やるべきこと」を書かされて、それについて一方的な説明を受けたのでした。 
そして最後に 

「ベルマーク集めは私はやってないから全然わからないワ。それは○○さんの担当だったからその人に聞いて。まあ、委員長の権限でいろいろ決めちゃってイイからさっ!」 

って、一体!? 
それよりもワタシの質問に一つも答えてくれないのはナゼェ? 
まっ、いいワッ! やりたいようにやるから! このアジェンダだって皆〜んなに配っちゃうんだから!! 

かくして、開き直って臨んだ第一回環境委員会。そこでは、意外な展開が待っていたのでした。 

〜続く〜 

ガブリエルの赤ちゃんが、まさかこんな早く産みのお母さんに奪い返されてしまうとは。
ペタンコ靴を履いたガブリエルが嘆き悲しむ姿に、画面のこちら側のワタシも泣きました。

☆☆☆☆☆☆☆☆☆

まだ仕事から戻らない夫のための録画準備もOK!
息子たち二人とテレビの前にスタンバイして、待ってましたの「第8回 奇襲!海ノ口」!
山城攻めとはこんな風だったんだ〜とドキドキしっぱなしで、夫が帰宅しても観続けてました。(笑)

平賀城主・源心の娘・美瑠(みる)姫は、無事逃げおおせたのでしょうか?
あっ☆☆☆だから江戸時代に平賀源内エレキテル?(笑)

それにしても、城に泥を塗る火消しの策を採用され「勘助が考えただ〜!×2」と喜んだり、酔っぱらって美瑠姫に「うらっちが付いとるで〜大事ねえだ。ションベンして寝てくだせ〜」と言っちゃう平蔵が可愛かった。(笑)

酔っ払いといえば、今回のお話の鍵のひとつが「酒」でしたね。
晴信の奇襲成功にも一役買っていました。

「板垣、」
「はっ」
「ときに酒はあるか?」
「は?」
「酒でござりまするか?」
「その酒、無駄にしてはならぬぞ。」
「は? ・・・ははっ!」

「皆のものぉ、よっく聞けぇ! これより暫しの間、ここで火を焚き体を休めるっ。馬を潰し、この場の兵糧といたす。酒も振舞う。ただし、足許がふらつくまで酔ってはならぬ。体を温めるにとどめよっ! さぁ、板垣っ!!」
「ウィ〜〜ヒック・・・お呼びですか、ヴァカ殿。」
「い、板垣っ!? まさかおぬし・・・あれほど酒を無駄にしてはならぬと申したではないかっ!」
「は〜い。仰せの通りに、一滴たりとも♪」

今朝の産經新聞朝刊、「解答乱麻」で親学の必要性を述べておられた高橋史朗さん。
明治時代に埼玉の小学校が保護者に配付した「家庭心得」を引いて、学校が「賢母」を育てる「親学」の拠点になっていたことを紹介していました。

「子供が学校を休みたいと言ったときは畑へ連れて行き、よく育った麦とやせた麦を観察させて、子供によく考えさせて判断させることが大事」

との内容は、正しく我が意を得たり。
でもこれって、最近風当たりの強い「ゆとり教育」の本質を表現した考え方ですよね。
ワタシがこんなことを保護者会で言おうものなら、学校側からも保護者側からも吊るし上げられちゃいそうです。
麦畑どころか親がいないんですから、家に。
わかっていただけるのは、ほんの一握りだろうなぁ・・・☆

さて高橋さんは、「従来の経済効率優先の少子化対策を全面的に見直し、子供の発達と親の『子育てをする権利』を保障」する必要についても訴えておられましたが、ワタシも大賛成です!
ご近所の勤労婦人に「私は税金を払っているから」と、育児と家事に専念することを軽蔑されつづけて十数年。
夫の稼ぎは妻であるワタシの稼ぎでもあるってことになってる我が家では、ワタシだって税金を負担している自覚があるのですが、世間はそうは見てくれないようです。
「あなたが外で働いてる間、あなたのお子さん育てるために社会がどれだけお金を負担しているのか、解っておいでですか?」って一度は言ってやりたいけど、気の弱いワタシにはムリ★

そういえば、教育再生を担当する総理補佐官の山谷えり子さんも、ご自分のブログ「家族、教育、国なおし」で

「学生時代、親から“お前のために日本の大人が税金を払ってくださっている。心して勉強し、社会人になってちゃんと税金を納められる人間になるんだよ”と言われ続けたことをなつかしく有難く思います。」(1月10日のメッセージ)

って書かれていましたっけ。これは、「子どもの給食費の応分負担を感謝して納めるのが親のつとめ」という文脈のなかでの記述であり、その意味するところはよく分かるのですが、夫婦別産制のもとでは「ちゃんと税金を納められる人間」扱いされない専業主婦の読者には被害妄想入っちゃう一文です。

産經新聞も、教育面で高橋史朗さんのような主張を取り上げる一方、経済面ではその足を引っ張るような記事を載せたりしますよねー。
果たして、本当の立ち位置はどっちなんでしょうか。
今回のにせよ、1月29日の細川珠生さんのにせよ、「解答乱麻」にトラックバックつけられないiZaのつくりを見れば、推して知るべし?

GW明けに開かれた初めてのPTA全体会合で、環境委員長のくじを引いてしまったワタシは、謎の女性が残した分厚いバインダーと「これ見といてネ。見ればわかるから♪」という言葉に一縷の望みを託して家に帰りました。

さて家に帰ってからそのバインダーを開けてみると、ありましたありました、環境委員会の作業を記録したノートが♪ 
ちゃんと残してくれてるんですね〜。これを見ればある程度の流れはつかめるハズ。 
え〜と、まずは最初の行事の記録を拝見。
ナニナニ? さっそく校庭の草刈りがあるのか。
去年の実施日は平成12年6月14日・・・へっ、平成12年?! 
これ、一昨年(おととし)のノートじゃない? (注:これは平成14年のお話です♬)
でもノートはこれ1冊だけ。
あの女性が委員長をつとめたはずの去年のノートは何処に・・・。 
 
彼女から「これ見といてネ。見ればわかるから♪」と手渡されたバインダーの中で去年の痕跡をとどめるのは、無造作に挿まれた無数の走り書きのメモの山。
気が遠くなりそうになりながら、一昨年のノートと走り書きのメモを本部会から配られた今年度の行事予定に照らし合わせることでボンヤリとわかってきました、とりあえずワタシがやらなくっちゃいけないことが・・・。 
それは、今月末にはもう第1回目の校庭草刈り行事があって、来月あたまに始まるベルマーク収集とあわせて、すぐにでも各家庭への案内状を準備しなければならないってこと。
それと委員会を開催して、環境委員のお仕事について説明しなくちゃならないってこと。
これじゃあ、前委員長からの引き継ぎを待つなんて悠長なことはやってられないみたいだ〜★(泣) 
空いてる時間をフル活用して、手許に残された手がかりを頼りに案内状の原稿や環境委員会のお仕事を各委員さんに説明する資料を作り、それを教頭先生とPTA会長に見て頂いて、ようやく第一回委員会開催のメドがついたのでした。 
 
ホッと一息ついているところへ、例の謎の女性から1本の電話が。 
「明日、引き継ぎしたいんだけど来れるかな?」 
「・・・はあ。」 
あの〜、来れるかな、って委員会あさってなんですけどぉ〜★ 
 
 〜続く〜
         

                

「彼女が彼の頭に石板をたたきつけた瞬間、彼女の将来が決定づけられた。 その将来とは、彼と結ばれ、教師になること。」(以上、白倉Pさんブログ『A Study around Super Heroes』2006年6月19日付けからの一部要約)

 ヘ〜ぇ♪ 
白倉Pさん、『赤毛のアン』がお好きだったんですね。 
アギトの「良い汗かき男(おとこ)」さんと同じだ。(笑) 

ワタシが小学校高学年の時、読書好きの親友に勧められて読み出した『赤毛のアン』とそのシリーズ。 
当時は、パディントンシリーズや『やかまし村』(by リンドグレーン)などの軽め(?)のもの、椋鳩十やシートンの動物記ものを好んで読んでいたワタシにとって、村岡花子さんという訳者さんが手掛けられたアン・シリーズの、白と紫の妙に大人っぽい装丁と字が小さいのに分厚い本の印象に、かなり気がひけたのを憶えています。
読み始めたあとも、ハッキリ言っておしゃべりで勝ち気な主人公のちょっと思い込みワールド全開(?)な内容には、一巻目で挫折しそうになりました。 (笑)
だって、屋根の棟から落ちちゃうワ、でも足を挫いたくらいで助かるワ、急病の子の命を助けて都合良く失敗を許してもらえるワ、詩の独唱も大成功しちゃうワ、内気なマシューおじさんが買ってきたドレスがなんだかとっても素敵だワー・・・なんてエピソードの数々は、いかにもサクセスストーリー満載してますって感じなんですもん。(笑) 
石盤を頭に叩き付けたページなんて、読んだ時ウワッ★って退(ひ)いちゃいましたよ。 
それって確か、ローラやメアリー(注:TVドラマ『大草原の小さな家』)が使ってるヤツと同じでしょう!? 
打ち所悪ければ死んでたと思う、ギルバート★(笑) 

そんなアンの短気さや高慢さ(←ワタシにはそう見えた)が、利発であることの裏返しということは追々分かってはきたものの、ただそれだけの女の子だったら、ワタシはあのお話世界に夢中になることはなかったろうと思います。 
ワタシに『アンの青春』以降のアン・シリーズを手に取らせたのは、彼女の気性や能力への興味や共感ではなく、周りの世界を切り取る感性への憧れでした。 

緑の切り妻屋根の家。
その二階の窓から見える桜の木と果樹園。 
そしてその先に広がる誰もいない森と、その向こうにある親友の家の窓の灯。 

ウ〜ン♪どんなだろう〜♬と、自分の周りの小さな世界しか知らない(と思っていた)当時のワタシは、妙にワクワクしたのでした。 
なにかにつけ怒っている(?)マリラおばさんとそれを取りなすマシューおじさんの兄妹にも、どこか惹かれる懐かしさがありました。 
ラストちかくで、銀行の倒産の報にマシューが心臓発作を起こして死んでしまうあっけなさは、銀行にお金を貯めていたんだという驚きとあいまって、そのリアルさに感服でした。 

いつの間にかモンゴメリーのお話世界に引き込まれていたワタシは、3冊めの『アンの愛情』に出てくるおちゃめなお嬢さん・フィリパと、下宿先のネコちゃんたちの面白くて可愛い描写に、ノックアウトされてしまいました。
続く『アンの夢の家』では、海辺や灯台の情景描写に作者モンゴメリの新たな魅力(それが後々ブリテン・ケルト文化であることを知るのですが)を発見し、『アンの愛の家庭(炉辺荘のアン)』と『虹の谷のアン』では、アンの子供たち・・・特に次男坊のウォルターに夢中でした。
もちろん当時のワタシは、母親としてのアンには感情移入してはいなかったはず。
それが今では、モンゴメリが『アンの娘リラ』に至る一連のシリーズで描いてみせた家族の物語に深く共感する、母親になったワタシがいるのですから、読書って不思議ですよね。(笑)
      
 ところで、『赤毛のアン』はとても面白いのにそれ以降のシリーズはだんだんアンがアンらしさを失って普通のお母さんになってしまうから好きじゃない、だから『赤毛のアン』しか読まないよ、っていうモンゴメリー・ファンの意見を耳にしたことはありませんか?
なるほど、石盤をハンサムな男の子の頭に打ち付けちゃうほど勝ち気で、地域で一番の学校を成績優秀で卒業しちゃうほど才気あふれる女の子が、当時最先端だったであろう教師(後には校長も勤めた)の職をあっさり捨てて、6人の育児に追われる平凡なお母さんになるなんて、いつのまにか女性蔑視になっちゃってるし、ってことでしょうか。


 数年前に『赤毛のアン』を訳し直されていた松本侑子さんという作家さんも、同じようなことをおっしゃってるんですよね。
確か「モンゴメリの生涯とアン・シリーズで描かれた世界には大きな乖離があり、モンゴメリの日記、あるいは友人との間で交わした書簡の内容に『アン・シリーズにはうんざりする、もうたくさんだ』という記述が見つかった(らしい)ことから、『赤毛のアン』以降のアン・シリーズはモンゴメリが書きたくて書いたものではなく、当時の世相がモンゴメリの本当に書きたかった女の真実を書かせなかったのだ」というような推論を、1993年に発行された新訳『赤毛のアン』の訳者あとがきで書かれていましたっけ。

でも、それってなんか違うんじゃないかなぁと、アン・シリーズファンのワタシは感じるんです。

例えばあの石盤事件。
  
 アンは、事件があったから教師になったのではなく、事件があったから教師を辞めたのではないのかなぁ。 
孤児院で育ったアンは、ヴァーチャル(空想)世界に生きる女の子でした。 
レドモンドの女子大生になっても、生涯結婚せず教師としての気高い一生を全うする「職業婦人」の自分とか、お金持ちで美しい王子様と結婚する「セレブ」な自分とか、そんな女の子ヴァージョンの英雄物語に埋没しそうになっちゃう、賢いけどまだまだ夢見がちな乙女だったアン。 
そんな彼女を現実世界にしっかりと引き戻したものこそ、あの時彼女が石盤を打ち付けた瞬間にギルバートの心に芽生えた何かだったって、モンゴメリはどこか意図してあの石盤のシーンを描いたのではなかったか、って思うワタシ。

アン・シリーズの6冊目『アンの愛の家庭(炉辺荘のアン)』(ただし、この本が作者最後の作品。64才の時執筆)に、こんなエピソードがあるんです。
ギルバートの大学友達だった女性・クリスチンが社交界デビューして、家庭を営むアンの前に再び現れた時、
 

 「もっと幅の広い生活をしたいと思うことが、ほんとうにない?」

 と田舎暮しのアンに挑んできます。

 「わたしの記憶にまちがいなければ、あなたはもと、そりゃあ野心家だったじゃないの。レドモンドにいたとき、ちょっと気のきいた小品をいくつか書いたんじゃなかった?すこし幻想的できまぐれじゃあったけどね、もちろん。でも・・・。」
 
 そんなことを言ってのけちゃう社交界夫人に対して、

 「あれは、いまでもまだおとぎの国を信じている人たちのために書いたのよ。そういう人たちは、びっくりするほどおおぜいおりますからね。」

 と答えるアン。
 

 「それをすっかりやめてしまいなすったの?」

「すっかりやめたわけではないのよ・・・でも、いまでは、生きている使徒伝(しとでん)を書いていますの。」
 

 (『アンの愛の家庭〜Anne of Ingleside』 p.262より)

 子供たちがそれぞれの個性を存分に発揮していく平凡な日常の繰り返しの中に、心からの喜びを確認する母親・アンの姿がそこには鮮やかに描き出されています。
やがて第一次世界大戦という災厄が日常の平安を乱した時も、自らの意志で立ち向かおうとする子供たちそれぞれの成長した後ろ姿を、寂しげに、でもしっかりと見つめるアン。

松本さんによれば、
 「私は夢のある作品を書きたい」と語っていたというモンゴメリ。
 
 そんなモンゴメリが書簡に吐露していたという彼女の「憂鬱」は、不幸な実生活ゆえなのか、沸いて止まない己の創作意欲がもたらす果てしない葛藤の苦しさと、その結晶であるアン・シリーズが、流行(はやり)を追う世間一般の女性たちからは単なる少女向けの夢物語としてしか(当時すでに)評されなかった悲しみから生じた心の病だったのではないか・・・。
アン・シリーズに描き出されるすべての「アン」が、マリラやマシューの愛を一身に受けた感受性豊かな少女の面影と一つもブレることなく重なって見えるワタシには、そう思われるのです。

モンゴメリは、件(くだん)の社交界夫人にこんな台詞を言わせています。
 

 「わたしはもとから、子どもはすきではないじゃないの。」クリスチンは、めずらしく美しい肩をすくめたが、しかし、その声はいかつかった。
「わたしは母性的なタイプではないらしいのよ。ただでさえ人の多すぎるこの世に、子どもを生むことだけが、ただ一つの使命だと考えたことはありませんの。」


 最先端を気取る女性って、今でもこういうこと言ってますよネ。
モンゴメリの社会を切り取る感性は、アン・シリーズでも健在です。
だから時代を越えて少女たちのこころに響くのではないでしょうか。
ワタシにイメージとは何かを教えてくれたアン・シリーズ。
単なる女の子向けのおとぎ話なんかじゃあない、真実の物語だと思います。

むか〜しむかし、ひと昔。
皇居のお堀のそば&英国大使館の裏手にある純日本的社風(?)の出版社で、ワタシは外国に向けて日本を紹介する月刊誌の編集見習いをしていました。
ノン・ジャパ(日本人でない方々)の編集者や写真や絵描きのアーティストが出たり入ったりする、そこだけインターナショナルな(?)部署で、結婚してこの地に引っ越して来るまでの2年間働きました。
そんなある日、長身でスリムなアメリカ人女性が編集の臨時パートでやってきました。
淡いピンクのツーピースは決して地味とは言えないけれど、「ファッションで自己主張」なんて印象は全く感じさせない彼女の仕事ぶりは、タイピングも速けりゃ頭の回転もやたら速くて、今でいうなら『ハケンの品格』のおー前さんみたいなスーパーキャリアウーマン。(笑)
尻込みしつつも、

「キャリアウーマンですか」

と頓珍漢に話しかけたワタシに、「いいえ、私はコンサバ(保守)よ♪」と朗らかに自己紹介してくれた彼女。

彼女は結婚したばかりの25歳。
ハーバード大学で知り合ったご主人の1年間の極東勤務(その時はメリルリンチの)について行くため、ニューヨークで2年間勤めていた大手出版社をやめて来日したとのこと。

「ワタシは中学生の時、父の仕事の関係で2年間ほど(アメリカの)ニューヨーク郊外に住んでいたんですが、家族旅行で父の運転する車でボストンに行った時、ハーバード大学の周りを20回くらいぐるぐるしたことがあります。(笑)」

「アハハ♪ あそこは一方通行が多いから!? ハーバードは教授陣に保守と革新の両陣営がいて、それぞれの主張を対比しながら学べるのがいいところよ。」
「早く地元に戻って子供が欲しいわ♪ 25歳までには最初の子供を授かりたかったの。昔から人間の作りはそう変わらないでしょう?」

あっけらかんと話す知性に、(ハーバード出身で仕事もこんなに出来るのに、家に入るなんてもったいないな〜)と当時のワタシは考えたものでした。

ある日、残業で遅くなったワタシに「うちに来ない?」と声をかけてくれた彼女。
他の方だったら遠慮するワタシが、なぜかその時(ついて行ってみよう)と思ったから不思議です。
地下鉄六本木駅を出て、アマンドの向かって左をまっすぐ進んだところに彼女が住むマンションがありました。(←当時)
居室の他に客室が4つもある外国人用の広〜いマンション。
もう時刻もだいぶ遅かったのですが、バスタイムの後で、彼女の結婚式のアルバムを見せてもらいました。
木のぬくもりが感じられる彼女のお家で行われた結婚式は、2階から降りる螺旋階段や、白いウェディングドレス、大学時代アメフト選手だった旦那さんはとても大柄な人で、二人の写真は映画のワンシーンを観ているようでした。

「まるで『赤毛のアン』の結婚式みたいに素敵ですね。」
「あら、読んだの? 私も読んだわ。主人公と同じ名前だからってわけじゃないけど。(笑)」
「日本では人気のある本です。あちらでも読まれてるんですか?」
「アン・シリーズは全巻、女の子にポピュラーな本よ♪ そういえば、もうすぐクリスマスだから鳥の丸焼きを作りたいんだけど、作り方をママに教えてもらわなくちゃと思ってるの。国際電話でね。(笑)  なにか飲む? オレンジジュースでも? いらないの? あなたは本当にいいお客さまね。さて、明日はこまごまとした用事(errand)があるし、もう寝なくちゃ。おやすみなさい♪」

家庭を築いていくことを当然のこととしている彼女の姿勢に、新鮮な驚きを感じたワタシでした。

数日後のことです。
仕事の合間のおしゃべりで、ご主人と結婚する前、彼にはどんなものをプレゼントしたか訊ねたら、アイリッシュ模様の手編みのセーターとの答え。

「あ、ワタシと同じ!  ワタシは深緑のセーターを編みました。」
「私は白。アイリッシュ模様のセーターなら、いろいろな色を揃えなくても模様が編み込まれるから面白いのよね。」

って、理由までワタシと同じだ〜♪(笑)

「この間は写真だけで、夜遅く帰宅されて朝早くまた仕事に出て行かれたご主人とお会いできませんでしたが、どんな方なんですか?」

「オーストリアのハプスブルグの家系なの。」

「えぇ〜、まさか実家はウィーンのシェーンブルン宮殿とか?(笑)」

「シェーンブルンの裏庭に彼の先祖の墓があるの。」

こっちはワタシのとは全然違う〜☆(笑)

「ご主人は将来アメリカの大統領になるつもりですか?」

と、驚いたついでにちょっぴり本気モードで尋ねてみたら、もう少し金融の勉強をする為にまた大学に戻って、MBAを取ってから将来は独立するつもり。それまでは大学にもお金が掛かるから、色々とがんばらなくちゃねと話してくれた彼女。
半年後、ご主人の赴任に伴って移り住んだ香港では、ちょうど共産中国が起こした天安門事件に抗議する為、ご夫婦でデモに参加したことや、その後チベットへも出かけていって、現地の子供たちがとてもかわいかったことを報告してくれました。
その後、今度はドイツ銀行の要請で西ドイツ(当時)に渡り、かの地でご長男誕生。
マサチューセッツのボストン郊外にあるご主人の実家に戻られた今では、4人のお子さんに囲まれ、弦楽器のカルテットを一家で演奏したり、庭で自家栽培の野菜を育てているナチュラルな生き方は、上流社会にありがちなケバさとは一切無縁に見えます。

家族を単位として成り立つことの意味を知っている、そんなアメリカン保守へのワタシの信頼は、彼女を通じて深まりました。
今思えば、結婚して2年目という比較的早い時期に子供を授かったのも、それに伴って当時再就職していた会社に未練を残さずに辞めることができたのも、彼女のような生き方に出会えていたからかもしれません。
ワタシの場合、小さなレストランでの家族前(?)結婚式&冬の奥久慈新婚旅行でしたけどネ♬(笑)

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