きっと頭ん中であのギャグがリフレインしてたに違いない。
サぁザエ〜さん♪ サザエさん♪ サザエさぁんは機械だなぁ〜♪
そういえばこのネタ最近見ないなぁ。
もしかして自粛中?
昨日は毎月恒例の5%引きお客さま感謝デーだった近所の大型スーパーマーケット。
きっと混むだろうな・・・と、いつもよりちょっと早めの時間帯に出かけたのですが、マイバスケットに買うものを満載にして向かったレジはどこも長蛇の列!
空港が近いこともあって普段から多く見かけるNon-Japaのお客さんも、「なんで今日はこんなに混んでるの?」っていう顔をしながら、整然と並んでいます。
売り場では大きな声でおしゃべりしたりと、日本人からすると傍若無人な振る舞いを時折見せる中国系の派手な旅行客さんたちも、列の中では大人しく順番を待っています。
観念して、何となく短めに見える列の尻尾につながったワタシの耳に、何やら口々に言い合う声が聞こえてきました。
声の主達は、ワタシと同じ列に並ぶ50代から60代くらいの小金持ち風情のおばさん(と、黙って聞いてる連れのおじさん)たち。
レジを打つ女性の手際に、あからさまな文句を言っているのです。
言われて見ればその女性、慣れていないのか、それとも基本に忠実な方なのか、他のレジ担当の方に比べて二倍くらいの丁寧さで処理をしている様子。
確かに待たされている側からすれば焦れったくないわけではないけれど、彼女の態度は誠実で、そんなに責められるような感じではありません。
それどころか、聞こえよがしな悪口に畏縮しちゃってるみたいで、可哀相ですらあります。
そんなに文句があるんなら、ほら、あのフランス人(イタリア人?)のお客さんみたく隣の列に並び替えちゃえばいいのに・・・。
と思って見てたらビックリ仰天!
「ほら、やっぱりこっちの方が早いわよ。こっちに来なさいよ。」
という声に誘われたおばさんの一人が列を離れ、そのまま隣の列の中に吸収されていくではありませんか。
どうやらこの人、一緒に買い物にきた知り合いと組んで二股かけてたつもりらしいんです。
でもそれって、横入りじゃないの!?
ちゃんと尻尾にまわったフランス人(イタリア人?)のお客さんに失礼じゃないのっ! ・・・って言いたくても言えない小心もののワタシは、自分の順番がきた時、レジの女性に「お願いします♪」と声をかけて支払いを済ませたのでした。
この出来事が妙に気になっていたら、今朝の産経新聞文化欄の「断」というコラムでも、井口優子さんという評論家の方が東京マラソンのボランティアやランナーの大人たちが同じようなことをしていたって、書かれていました。
「期待していた待遇を受けないと『偉そうに』怒鳴るいい大人たち。」
って。
なんでこんなにもイライラしてる大人が増えてしまったんでしょうね・・・日本。
>かわいらしい英語のおしゃべり
>きれいな発音
>ずっと英語でしゃべっていたのは、日本の学校のかばんをしょった日本の2人の男の子だった
>教わった英語に磨きをかけるためふだんの会話も英語ですることにしている、といったところだろうか。
>しかしこれは一体、どこの国の光景だ?
「きれいな発音」ということから察するに、帰国子女の男の子たちだったんじゃないのかなぁ。
小学校の授業で教わる英語くらいでは、ずっとおしゃべりし続けるのは無理じゃないでしょうか。
残念ながら。
逆に英語圏に2年も住めば、子供ならもうペラペラになりますから、忘れたくなくておしゃべりしてた、ってことだと推察いたします。
>小学校の英語教育
ワタシも最初は正直、どんなもんかなと思っていたんです。
英語より国語が先でしょ、って。
でも幸い、我が家の息子たちが通っている公立小学校の英語担当の先生は、どなたも驚くほどナチュラルな英語を話されていたんですよね。
何年も見てきましたが、今は、発音に関して小さい頃から耳が慣れることができたのは、良かったなと思っています。
全ては、いい先生を確保できるかどうかなんですよネ。
先生次第で、逆効果。
これは英語教育に限った話ではありませんが。(笑)
最初の委員会の前日、指定された小学校の教材室で謎の女性、じゃなくて前任の委員長さんとお会いしたワタシ。
「えっと、まだわからないことがいくつかあるんですが♪」
「ん? 順番よ、順番! ちゃ〜んと説明してくから! ・・・ナニそれっ!?」
前委員長が指差したのは、明日の委員会用に私が用意していたアジェンダ(議案)でした。
委員の方たちに年間スケジュールを伝える際、わかりやすくしようと思ってまとめておいたもので、前任者にもチェックしてもらおうと用意したものだったんです、が。
「そんなの見せたら混乱させちゃうよっ! ダメダメ!!」
「え゛っ★ でも・・・」
「絶〜対、そんなの見せたらダメっ! いい? 委員長はいろいろと胸のウチに入れとかないといけないのヨっ! 全部しゃべっちゃだめなの! わかる?」
「はぁ〜?!(それでノートにまとめることもしなかったのか・・・。)」
「ほらっ! そんなことよりカイテ!」
「えっ?」
「だから、今から私が言うことを書いてって言ってるの!」
「・・・書いてってそんな、急に言われても・・・(ゴソゴソ)」
「いいから早く書きなさい!」
「ぬぅ★」(←面喰らってる)
どうやら自分のペースじゃないとお気にさわるお方のようで。
それにしてもこの方、確か外で働いてるって言ってたけど、アジェンダ作るのがいけないことって一体どんなお仕事?
それより、こうやって人に「書け」って指図する方がよっぽどいけないことなんじゃあ★
な〜んて思いながらも、お指図どおりに十ほど箇条書きで既にクリア済みの「やるべきこと」を書かされて、それについて一方的な説明を受けたのでした。
そして最後に
「ベルマーク集めは私はやってないから全然わからないワ。それは○○さんの担当だったからその人に聞いて。まあ、委員長の権限でいろいろ決めちゃってイイからさっ!」
って、一体!?
それよりもワタシの質問に一つも答えてくれないのはナゼェ?
まっ、いいワッ! やりたいようにやるから! このアジェンダだって皆〜んなに配っちゃうんだから!!
かくして、開き直って臨んだ第一回環境委員会。そこでは、意外な展開が待っていたのでした。
〜続く〜
ガブリエルの赤ちゃんが、まさかこんな早く産みのお母さんに奪い返されてしまうとは。
ペタンコ靴を履いたガブリエルが嘆き悲しむ姿に、画面のこちら側のワタシも泣きました。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆
まだ仕事から戻らない夫のための録画準備もOK!
息子たち二人とテレビの前にスタンバイして、待ってましたの「第8回 奇襲!海ノ口」!
山城攻めとはこんな風だったんだ〜とドキドキしっぱなしで、夫が帰宅しても観続けてました。(笑)
平賀城主・源心の娘・美瑠(みる)姫は、無事逃げおおせたのでしょうか?
あっ☆☆☆だから江戸時代に平賀源内エレキテル?(笑)
それにしても、城に泥を塗る火消しの策を採用され「勘助が考えただ〜!×2」と喜んだり、酔っぱらって美瑠姫に「うらっちが付いとるで〜大事ねえだ。ションベンして寝てくだせ〜」と言っちゃう平蔵が可愛かった。(笑)
酔っ払いといえば、今回のお話の鍵のひとつが「酒」でしたね。
晴信の奇襲成功にも一役買っていました。
「板垣、」
「はっ」
「ときに酒はあるか?」
「は?」
「酒でござりまするか?」
「その酒、無駄にしてはならぬぞ。」
「は? ・・・ははっ!」
「皆のものぉ、よっく聞けぇ! これより暫しの間、ここで火を焚き体を休めるっ。馬を潰し、この場の兵糧といたす。酒も振舞う。ただし、足許がふらつくまで酔ってはならぬ。体を温めるにとどめよっ! さぁ、板垣っ!!」
「ウィ〜〜ヒック・・・お呼びですか、ヴァカ殿。」
「い、板垣っ!? まさかおぬし・・・あれほど酒を無駄にしてはならぬと申したではないかっ!」
「は〜い。仰せの通りに、一滴たりとも♪」
GW明けに開かれた初めてのPTA全体会合で、環境委員長のくじを引いてしまったワタシは、謎の女性が残した分厚いバインダーと「これ見といてネ。見ればわかるから♪」という言葉に一縷の望みを託して家に帰りました。
さて家に帰ってからそのバインダーを開けてみると、ありましたありました、環境委員会の作業を記録したノートが♪
ちゃんと残してくれてるんですね〜。これを見ればある程度の流れはつかめるハズ。
え〜と、まずは最初の行事の記録を拝見。
ナニナニ? さっそく校庭の草刈りがあるのか。
去年の実施日は平成12年6月14日・・・へっ、平成12年?!
これ、一昨年(おととし)のノートじゃない? (注:これは平成14年のお話です♬)
でもノートはこれ1冊だけ。
あの女性が委員長をつとめたはずの去年のノートは何処に・・・。
彼女から「これ見といてネ。見ればわかるから♪」と手渡されたバインダーの中で去年の痕跡をとどめるのは、無造作に挿まれた無数の走り書きのメモの山。
気が遠くなりそうになりながら、一昨年のノートと走り書きのメモを本部会から配られた今年度の行事予定に照らし合わせることでボンヤリとわかってきました、とりあえずワタシがやらなくっちゃいけないことが・・・。
それは、今月末にはもう第1回目の校庭草刈り行事があって、来月あたまに始まるベルマーク収集とあわせて、すぐにでも各家庭への案内状を準備しなければならないってこと。
それと委員会を開催して、環境委員のお仕事について説明しなくちゃならないってこと。
これじゃあ、前委員長からの引き継ぎを待つなんて悠長なことはやってられないみたいだ〜★(泣)
空いてる時間をフル活用して、手許に残された手がかりを頼りに案内状の原稿や環境委員会のお仕事を各委員さんに説明する資料を作り、それを教頭先生とPTA会長に見て頂いて、ようやく第一回委員会開催のメドがついたのでした。
ホッと一息ついているところへ、例の謎の女性から1本の電話が。
「明日、引き継ぎしたいんだけど来れるかな?」
「・・・はあ。」
あの〜、来れるかな、って委員会あさってなんですけどぉ〜★
〜続く〜
むか〜しむかし、ひと昔。
皇居のお堀のそば&英国大使館の裏手にある純日本的社風(?)の出版社で、ワタシは外国に向けて日本を紹介する月刊誌の編集見習いをしていました。
ノン・ジャパ(日本人でない方々)の編集者や写真や絵描きのアーティストが出たり入ったりする、そこだけインターナショナルな(?)部署で、結婚してこの地に引っ越して来るまでの2年間働きました。
そんなある日、長身でスリムなアメリカ人女性が編集の臨時パートでやってきました。
淡いピンクのツーピースは決して地味とは言えないけれど、「ファッションで自己主張」なんて印象は全く感じさせない彼女の仕事ぶりは、タイピングも速けりゃ頭の回転もやたら速くて、今でいうなら『ハケンの品格』のおー前さんみたいなスーパーキャリアウーマン。(笑)
尻込みしつつも、
「キャリアウーマンですか」
と頓珍漢に話しかけたワタシに、「いいえ、私はコンサバ(保守)よ♪」と朗らかに自己紹介してくれた彼女。
彼女は結婚したばかりの25歳。
ハーバード大学で知り合ったご主人の1年間の極東勤務(その時はメリルリンチの)について行くため、ニューヨークで2年間勤めていた大手出版社をやめて来日したとのこと。
「ワタシは中学生の時、父の仕事の関係で2年間ほど(アメリカの)ニューヨーク郊外に住んでいたんですが、家族旅行で父の運転する車でボストンに行った時、ハーバード大学の周りを20回くらいぐるぐるしたことがあります。(笑)」
「アハハ♪ あそこは一方通行が多いから!? ハーバードは教授陣に保守と革新の両陣営がいて、それぞれの主張を対比しながら学べるのがいいところよ。」
「早く地元に戻って子供が欲しいわ♪ 25歳までには最初の子供を授かりたかったの。昔から人間の作りはそう変わらないでしょう?」
あっけらかんと話す知性に、(ハーバード出身で仕事もこんなに出来るのに、家に入るなんてもったいないな〜)と当時のワタシは考えたものでした。
ある日、残業で遅くなったワタシに「うちに来ない?」と声をかけてくれた彼女。
他の方だったら遠慮するワタシが、なぜかその時(ついて行ってみよう)と思ったから不思議です。
地下鉄六本木駅を出て、アマンドの向かって左をまっすぐ進んだところに彼女が住むマンションがありました。(←当時)
居室の他に客室が4つもある外国人用の広〜いマンション。
もう時刻もだいぶ遅かったのですが、バスタイムの後で、彼女の結婚式のアルバムを見せてもらいました。
木のぬくもりが感じられる彼女のお家で行われた結婚式は、2階から降りる螺旋階段や、白いウェディングドレス、大学時代アメフト選手だった旦那さんはとても大柄な人で、二人の写真は映画のワンシーンを観ているようでした。
「まるで『赤毛のアン』の結婚式みたいに素敵ですね。」
「あら、読んだの? 私も読んだわ。主人公と同じ名前だからってわけじゃないけど。(笑)」
「日本では人気のある本です。あちらでも読まれてるんですか?」
「アン・シリーズは全巻、女の子にポピュラーな本よ♪ そういえば、もうすぐクリスマスだから鳥の丸焼きを作りたいんだけど、作り方をママに教えてもらわなくちゃと思ってるの。国際電話でね。(笑) なにか飲む? オレンジジュースでも? いらないの? あなたは本当にいいお客さまね。さて、明日はこまごまとした用事(errand)があるし、もう寝なくちゃ。おやすみなさい♪」
家庭を築いていくことを当然のこととしている彼女の姿勢に、新鮮な驚きを感じたワタシでした。
数日後のことです。
仕事の合間のおしゃべりで、ご主人と結婚する前、彼にはどんなものをプレゼントしたか訊ねたら、アイリッシュ模様の手編みのセーターとの答え。
「あ、ワタシと同じ! ワタシは深緑のセーターを編みました。」
「私は白。アイリッシュ模様のセーターなら、いろいろな色を揃えなくても模様が編み込まれるから面白いのよね。」
って、理由までワタシと同じだ〜♪(笑)
「この間は写真だけで、夜遅く帰宅されて朝早くまた仕事に出て行かれたご主人とお会いできませんでしたが、どんな方なんですか?」
「オーストリアのハプスブルグの家系なの。」
「えぇ〜、まさか実家はウィーンのシェーンブルン宮殿とか?(笑)」
「シェーンブルンの裏庭に彼の先祖の墓があるの。」
こっちはワタシのとは全然違う〜☆(笑)
「ご主人は将来アメリカの大統領になるつもりですか?」
と、驚いたついでにちょっぴり本気モードで尋ねてみたら、もう少し金融の勉強をする為にまた大学に戻って、MBAを取ってから将来は独立するつもり。それまでは大学にもお金が掛かるから、色々とがんばらなくちゃねと話してくれた彼女。
半年後、ご主人の赴任に伴って移り住んだ香港では、ちょうど共産中国が起こした天安門事件に抗議する為、ご夫婦でデモに参加したことや、その後チベットへも出かけていって、現地の子供たちがとてもかわいかったことを報告してくれました。
その後、今度はドイツ銀行の要請で西ドイツ(当時)に渡り、かの地でご長男誕生。
マサチューセッツのボストン郊外にあるご主人の実家に戻られた今では、4人のお子さんに囲まれ、弦楽器のカルテットを一家で演奏したり、庭で自家栽培の野菜を育てているナチュラルな生き方は、上流社会にありがちなケバさとは一切無縁に見えます。
家族を単位として成り立つことの意味を知っている、そんなアメリカン保守へのワタシの信頼は、彼女を通じて深まりました。
今思えば、結婚して2年目という比較的早い時期に子供を授かったのも、それに伴って当時再就職していた会社に未練を残さずに辞めることができたのも、彼女のような生き方に出会えていたからかもしれません。
ワタシの場合、小さなレストランでの家族前(?)結婚式&冬の奥久慈新婚旅行でしたけどネ♬(笑)