october sky〜遠い空の向こうまで〜

謎主婦・風信子(ヒヤシンス@nobvko)のブログです。宜しくお願いします♪

2008年05月

腎臓に負担があるので、カフェインは摂取しないように。

3月に治験のスクリーニングを受けた際、お医者さんからそう告げられたワタシは、以来、一日に3〜4杯は飲んでいた紅茶を我慢してきました。
コーヒーの方は前からカフェインレス中心だったので、それほどの影響はなかったのですが、それでもカフェインを完全に断つのがだんだんしんどくなって。(←禁断症状?)

3回目の入院検査の時に相談したところ、一日一回くらい
なら大丈夫との許可がおり(?)たので、それならばっ♪と、病院の新館にある有名コーヒーチェーン店に出かけてみたワタシ。
久しぶりのカフェインにウキウキしながらメニューを見て、その中から「はちみつ&練乳入りカフェオレ」というのを注文して、出来上がるまでカウンターの脇で待っていたワタシの目に飛び込んできたのは、カウンターに置かれたパンフレットの文字でした。

アマゾンフルーツ、アサイーヨーグルト

アサイ〜っ!?
びっくりしてメニュー表をもう一度よく見ると、ジュースの欄にアサイーがあるではあ〜りませんか!
昨年の夏以来、飲みたくて飲みたくて仕方のなかったあのアサイーが!

嬉しくなったワタシは次の朝、退院したその足で再びお店に出向くと、早速アサイーを注文。

出来上がった
アサイーを持って、いそいそとテラスに出て飲み始めました。が、ン?なんか違うような・。
フレッシュネスで飲んでファンになった
、あのアサイープロテクターの味とはちょっと、というかかなり違っていたんです。(当たり前?)

フレッシュネスのは、バナナとヨーグルトがミックスした味だったけれど、今回のは
ドリンクタイプのヨーグルトを注いだだけのあっさり系。
だからなんていうか、コクが足りない感じなんです。
(当たり前??)

がっかりして家に戻り、夜帰宅したnobukoの夫にそのことを告げると、ネットで探し出してくれたのが、ベーグルを販売しているお店の
扱っているアサイーでした。
なんだ、ネットで買えたのかぁ。

100gの冷凍パックが16個入っていて、お値段は3,580円也。(税・送料込み)

フレッシュネスでは一杯390円くらいだったかな。(うろ覚え)
病院のコーヒーショップでは、390〜490円くらい(サイズによる)でした。
だから
今回注文したアサイーなら、ちょっと、というかかなり、お得なんですよね。
販売元も、産経新聞のニュースに載っていたフルッタ
フルッタなので安心だし。

先ほど宅急便で届いたので、ひとパックだけ取り出してゆっくり冷蔵解凍してみます
明日にでも、ジュースやヨーグルトと混ぜて飲んでみよう。

と、ここまで下書きを書いたのが昨日。
今朝、マンゴーカルピスと混ぜて飲んでみたら、これが本当においしい〜〜♪
あのフレッシュネスの味とおんなじ〜♪

昨日届いたのは楽天に出店しているお店からのだったんですが、どうやら
フルッタフルッタから直でネット購入できることに気が付きました。(遅★)
それだといろいろな種類が揃っているようですし、3600円以上まとめてなら送料無料。

この夏はこれでひと安心〜♪

キッズステーションでやっている『ヒカルの碁』。
今日の第十八話は、
ワタシのお気に入りのネット囲碁にまつわるエピソードが一区切りつくお話でした

相手が誰かわからない空間で、もしかしてこれはあの人?という不思議なひらめきに導かれながら、面白い体験をした
ことってありませんか?
ワタシはあります。

「saiだって!?saiとは誰だ!?」

という
『ヒカルの碁』のように、

「nobuko!?
nobukoって誰!?」

と、その場に集う人々が騒然となったかどうかはともかくとして(笑)、そういう現代(いま)ならでは
展開が新鮮かつ身近に感じられる大好きなプロットです。
ヒカルとsaiがネットカフェで使用していたのがMac風で、アキラが自宅で使用していたのがWindows風
マシン、っていう描き方も面白いですし。(笑)


今週の『仮面ライダーキバ』も第十八話でした。

『シャンゼリオン』以来、脚本家・井上敏樹の大ファンなワタシ。
今シリーズを見始めたのも、井上さんが『555』以来5年ぶりにシリーズ構成されている作品だったから。
なのに(?)、
米村正二さんという方が脚本を担当された先週と今週の回には感動しました。

天才とは、1パーセントのひらめきと99パーセントの汗。
しかし天才エジソンは、本当はこう伝えたかったらしい。

「1パーセントのひらめきがあれば、99
パーセントの努力も苦にならない。」

そんな素敵な蘊蓄(うんちく)で幕を開けた今回のお話では、音楽コンクールに優勝した少女が、

「あたし、親に言われるがまま、バイオリンをやってきたの。だけど私、本当は、バイオリンを本当にやりたいと思ったことは一度もない。」

ということに気付きます。
それに対して、いつも「舞い踊っている」ような音也が次のように言うのです。

「俺からの最後のレッスンだ。これからは本当にやりたいことだけをやるんだ。心の声に耳を澄ませろ。心の声に。」

遂に、平成仮面ライダーで聞きたかった台詞に出会えた!って感じでした。

『キバ』には、「自分だけが正しい」ことを証明しようと戦い続ける名護という青年が出てきます。

ファンガイアに限らず世界中の犯罪者を追って懸賞金を稼いでいるバウンティ・ハンター。得た賞金は全額恵まれない子供たちに寄付し、そのかわりに捕まえた賞金首の衣服から必ずボタンを取って保存する。「~なさい」と、相手を諭すような口調で喋るのが口癖。

という風にwikiにも書かれている名護は、表面的にはまじめを絵に描いたような誰もが憧れる好青年。
しかしその本質は、自らの正義を実現するための圧倒的な力を欲する独善家。
そんな彼が、狩った賞金首が身に着けていたボタンを収集することに固執する様は、気ままに歌うセミ(キリギリス)を軽蔑しながらひたすらえさ集めに勤しむ、イソップのアリの姿を彷佛とさせます。

一方、
いつもバイオリン片手に歌っている音也は、まさにセミ!

ウ〜ン。
こうして見るとイソップが描いたものも、享楽的なセミが愚かで勤勉なアリが善きものであり、愚かな生き方をするとその酬いを受けるという教訓話などではないように思えてきます。

私たち人間は、「ひらめきを大切に創造を楽しむセミ」と「汗を重んじ地道な労働に励むアリ」の両面をもつもの。

そして、本来なら
エジソンのように「1パーセントのひらめきがあれば、99パーセントの努力も苦にならない」と感じられるはずのもの。

しかし、ともすると「ひらめき」と「努力」、「楽しむこと」と「勤勉」のどちらがより望ましいのか、という議論に走りがちな存在でもある、ということへの強烈なアイロニーだったのかもしれないと思えてきたワタシ。


『仮面ライダーキバ』はバンパイア(もしくはコウモリ)がモチーフのお話なのに、
今回はキバットの造形がセミに見えてしかたありませんでした。


治験入院中、病院の売店で買って読んだ『週刊新潮』。
そこに、小林多喜二の『蟹工船』が今かなり売れているが、現代のワーキング・プア層に支持されてのこと、というような記事があったと記憶しています。
でも、ここで確かなことを引用できないのは、あの「オルソンおばさん
が『新潮』を持っていっちゃったから。(笑)

で、今朝の産経新聞を読んだら、
作家の佐々木譲さんが「断」で、『週刊新潮』と同じようなことを書かれているのに気が付きました。

新しい読者は若いフリーター、ワーキング・プア層が中心らしい。

で、ワタシ思ったんです。
本当に、『蟹工船』の新しい読者層って、貧困層なのかしら?って。

だって、そういう人はあまり本を買わない、というか買うお金を節約すると思うんですよね・・・。
はっ、そうか! ネットカフェか!?

でもそれじゃあ、何万部売れたってほどのムーブメントにはならないような。
それとも、
ネットカフェで蔵書される傾向が目に見えて増えている、っていうことを指してのことなのかしら。
ウ〜ム、なんかしっくりこない。

ところで、
『蟹工船』を書いた小林多喜二自身は、エリート銀行員だった、ということがおばさんがもっていっちゃった『新潮』に記されていましたっけ。
今回の「断」で佐々木さんも、

「かつて、わたしのまわりにいた底辺労働者たちは、小林多喜二などまったく読んでいなかった。」

って
おっしゃってるように、今も昔も貧困層への同情を募らせて社会変革の波を起こしたがるのは社会のエリート層、ってことなんじゃないのかなぁ。

でもでも、今の時代の
ワーキング・プア層には、就職氷河期に当たってしまった大卒の人たちも多いとのこと。
世相的には、職にあぶれた旧幕臣の士族が不平を募らせた
明治のご維新の後に似ているのかもしれず、もしそうならワーキング・プア層の間で人気が高まっているというのも、やっぱりありかも。

いったい誰が、どんな思いで読んでるんだろう・・・
『蟹工船』。

三回に渡る治験の入院検査が終了して、ホッとしています。
いつも以上に家に戻れたことがうれしかったのは、同室の人とのちょっとしたトラブルがあったから。

朝の検査を終えた後、前回と同じように一般病棟の6人部屋の廊下側のベッドを割り当てられたワタシ。
周囲のカーテンを閉めて自分の身の回りを整えたあと、次の検査まで一息つこうと暇つぶしに買ってきた週刊誌を読んでいたら、50〜60代の小柄なおばさんがいきなりカーテンを開けたかと思うと、

「何で入院したの?何日泊まるの?」

と聞いてきました。
過去2回の入院検査ではちょっとなかった出来事に不意を突かれ、しばし呆然としたワタシ。

で、その時気付けばよかったんです。
この手の人とは、最初から距離を置くことが鉄則、ってことに!
でも、この人はワタシと違って長期入院を
必要としている病気なのかもしれないし、こうして同室になったのも何かの縁、あまりつっけんどんな態度で返しても失礼だろうと思い

「薬の治験で、一泊の入院検査です。」

と愛想良い返事をしてしまいました。

「そう
あなたの場所が、この部屋の中で一番広いのよ

と、何かを含んだようなことを言ったかと思うと、そのおばさん、自分のベッドのある窓際へ戻っていき、隣のベッドのおばあさんと世間話しを始めました。

先生たちのうわさ話やら、親戚がボストンに行った話やら、親戚が医者になった話やら、果ては皇室の紀子様と雅子様のどちらにより同情するかの話で盛り上がっていた二人。
ところがしばらくすると話に飽きたのか、そのおばさん、またワタシの所へやってきて、自分が読み終わった今月号の『かわいい奥さん』を

「いろいろ節約術が載っていて
面白いわよ〜。」

と、差し出しました。
なんでこんな年の人が若者向けの情報雑誌を!?と驚きながら、今さら節約術を学ぶまでもない萬年手許不如意のワタシは丁重にお断りしたのに、それにはおかまいなしに

あ、この本もついでに貸してあげるわ。参考になるのよ〜。」

と、どこに隠し持っていたのか、今度は年相応の(?)『おばあさんの知恵袋』という本まで差し出します。
普通なら、退屈しのぎの材料が増えたと喜ぶところなのでしょうが、それまで聞こえてきた彼女の話し振りやら、周囲に振りまく一種独特のオーラから有り難迷惑と感じてしまったワタシは、
端(はな)から彼女の目が、ワタシが読み終わってベッドの上に置いていた『週刊新潮』に注がれたことに気付いていたので、思わず

「よろしければ、この雑誌をどうぞ。もう読み終わりましたので。」

と物々交換。
お願いだからこれで関わってくるのは堪忍して、という気持ちで。
その時、そのおばさんは
すかさず

「あら、旦那が読むと思うからもらっていくわ♪でもその2冊はちゃんと返してね。」

とワタシに告げると、いそいそとベッドに戻っていきました。

借りた雑誌と本を
検査の合間に一通り読み終え、9時の消灯前にきちんとお返して一安心。
ふと、月曜日に予定されている長男の高校の個別面談の時間を知らされていなかったことに気付いたワタシは、
ナースステーションの壁に貼ってあった「自分のベッドでのケータイ使用はマナーモードならOK」との注意書きを思い出し、ベッドサイドの小さな手許灯をつけて家にメールを打ち始めました。
メールはすぐに終わると思ったのですが、お風呂に入ってしまった長男と、間に立ったnobukoの夫との間のやりとりが思うようにはかどらず、あら、もう30分も経ってる★早く終わらせなくちゃ、と思ったちょうどその時、

「灯りを消して下さいっ!!」

と、手厳しく注意する声が、病室に響き渡りました。
例の窓際のおばさんから発せられたものでした。
隣の相方のおばあさんがその声に驚いて、思わず

「えっ!?」

と声を上げていましたが、自分に向けられたものだと気付いた
ワタシは、しかしその高圧的な声音に謝る気にもなれず、灯りを前よりも手もとに近付けて、メールを早めに切り上げることに専念しました。
消灯といってもまだ9時を回ったばかり。
手許灯は、消灯後もテレビなどを観るために点けていいと、看護師さんから事前説明のあったもの。
実際、前回やその前の検査のときに泊まった病室でも、ずっとイヤホンでテレビを見続けている人もいました。
増してや、今回はすぐ隣のベッドに人がいるわけでもないゆとりある配置だったのに、
妙に手厳しいことを、風紀委員のようにのたまうそのおばさんにもうゲンナリ★
人にはそれぞれの事情があって、それでも一応周りに配慮しながらやっている、ってことが、全然分かってらっしゃらない。

このおばさんのように、あらかじめうろうろと周囲に声をかけて回るタイプの人って、
結局は自分の融通が利くようにと、そうしてるんでしょう。
そして、こんなにいろいろと世話を焼いている自分が少しでも損なわれるようなことがあると(感じると)、もう許せないっ!、て女王様のような声で人にものを言うのでしょう


そんな「オルソンおばさん」から解放されて、家に帰ってきて心底ホッとしながら『アリとキリギリス』についてネットを
あちこち見ていたワタシは、こんな記事を見つけました。

日本のイソップ物語にでてくる「蟻とキリギリス」の寓話は、元々は「蟻とセミ」の話だったんだということを、先日、「ファーブル昆虫記」(平岡昇訳)と「虫の宇宙誌」(奥本大三郎著)で初めて知りました。

「セミは北風が吹いてくると、どうすることもできず、お隣のアリに、食べ物をめぐんでくれと泣きつく。」

アリの返事は

「歌っていたんですって!けっこうですね。じゃこんどは踊ったらいかが。」

「この二行の詩(フランスの詩人ラ・フォンテーヌ「寓話詩集」のうちの二行)にこもった意地悪さはありふれたものだが、」

「それはふかく子どもの心にくいこんで、二度ともう心から消え去ることはない。」

「事実は全くあべこべで、アリはセミからしぼりとり、ずうずうしくもぬすみとるのだ。」

「ぶしつけにうるさくものもらいをして、略奪もやりかねないのは、アリなのだ。苦しむ者に喜んでわけ与える働き者の職人はセミなのだ。」(ファーブル昆虫記:平岡昇訳)
(以上、Cat's-eye Viewより引用。
但し、サイト主さんは「アリの返事」のところを「セミの返事」と誤記しておられるので、勝手に修正させていただきました

なんとあのファーブルは、アリとセミの生態を、このように『ファーブル昆虫記』に記していたようです。
また、別のサイトには、
次のようなファーブルの文章がありました。

あのおとぎ話の語り手の言っていることは、事実にあわない途方もない作りごとだ。
セミとアリのあいだに、ときどきつきあいのあることは、だれでもたいてい知っている。
ただ、このつきあいは、おとぎ話とはまるで反対だ。
友だちになろうとやってくるのは、セミでなくて、アリのほうだ。
セミは暮らしていくのに、だれの助けもいりはしない。
ところが、たべるものなら、なんでも物置にしまいこむ「しまつ屋」のアリは、食べ物がなくなると、セミのところにお願いにくる。
いや、お願いなどと言えはしない!
ひとの物をを借りたら返すということは、このアリの習慣には、はいっていない。
アリはセミからしぼりとり、ずうずうしく盗みとる。
(以上、空を見上げて、空から眺めて
より引用。)

なんだやっぱりそうなんだ!
っていうか、ファーブルも入院したことがあるのか!?(笑)
イソップの書いた(とされる)寓話は、事実とは真逆だったんですね!

ギリシャの人もファーブルも、セミの方が好きなのは、事実をよ〜く観察していたから。

あの病室の、人の週刊誌を借りても返さないおばさんは、自分の方がいつも真面目で正しい、だから他人に説教まがいのことを言っても許される・・・というより「私が言わずして誰が言う」と思ってる寓話の中のアリなんだろう、と合点のいったワタシです。



今日の朝刊一面に、産経編集委員・田村秀男さんの次のような文章で始まる論考が載っていました。

イソップ寓話の「セミとアリ」では、ひたすら働くアリを侮り、自身は浮かれた生活をしていたセミが冬場になって食べるものに困り、アリに助けを求めるが断られる。ところが米国は1934年に製作されたディズニー映画でセミをキリギリスに置き換えて「キリギリスとアリ」の物語に仕立て直した。結末も、アリがキリギリスを助ける「美談」に変わった。

ところが、そうではないようなんです。
1934年のディズニーよりもずっと前に、15世紀のドイツ人によって寓話が集められ活字印刷された際に、セミがキリギリスになっちゃったらしいのです。(スイス以北のヨーロッパには、ワタシたちが知っているように賑やかに鳴くセミはいないんですって)
もっと正確にいえば、その時点で、挿絵
版画がバッタ類で描かれてしまっており、その後16世紀になってから、「セミ」語が「grasshopper」となっていることが確認できるそう。
(以上、「インターネットで蝉を追う」初期活字印刷本の幕開けより。)

それから「美談」の結末についても、なんと1593年の日本で、
天草のイエズス会の手になるローマ字本『エソポのハブラス』の中で、

散々に罵(ののし)り少しの食を取らせて戻(もど)いた。
(以上、「アリとキリギリス」による文化比較の問題点」より。)

と、アリがセミを助けてやるお話になっているそうです。
でも、宣教師向けのこのバージョンは、世間一般には広まらなかった模様。


田村記者の「アメリカ憎し」の気持ちがよく伝わってくる
今回の記事。
でも、田村記者に悪者扱いされているディズニーが、その映画につけた副題(?)は『
THE SILLY SYMPHONIES』なんですよね。
「おバカな調和(あるいは交響曲?)」なんていう風に、キリギリスの音色を彷佛とさせる表現をしていることからも、この映画をもってディズニーが、自分達アメリカ
キリギリスになぞらえ、勤勉な国(例えば日本)をアリに例えて貢がせることを当然と思わせた、なんてことは言えないのではないでしょうか。


ちなみに、ギリシャでセミ
(注:以下の文中ではGrashopperと表記されている

鳴き声をたてるすべての昆虫のなかで、Grashopperはその首位を競っているが、それは至極尤もなことでもある。なぜなら、暑い日のさなか、彼〔= Grashopper〕はこのうえなく甲高い、音楽的な音曲を奏で、しかも、草や樹木に何ら害することもなく、露によって生きながらえているからである。

アテナイ人たちにとって、それは由緒の古さと高貴さとの象徴であり、だから(現在、スペイン人たちが金羊毛勲爵士章〔Golden Fleece〕を身につけるように)、彼らは黄金のGrashopperを髪飾りにする、ここから彼らは「tettixを身につけた人たち (tettigo-phoroi)」と呼ばれた。詞華集の作者は、その第3巻の中でさらにこう言った——古代人たちがGrashopper類を崇拝する程度たるや、彼らはラコニア地方のタイナロン岬にそのための記念碑をつくり、そこにGrashopperをたたえてすこぶる優雅な哀歌を刻み込んだほどである;これ〔Grashopper崇拝〕についてはホーロス・アポッローンの 『神聖文字法(Hieroglyphica)』第2巻〔55〕が記録している。一言でいえば、Grashopperの音楽を耳障りで不快とみなしうるよう な者は一人もおらず、心にせよ身体にせよ、ゆったりくつろぐことがないとか、したがってまた、音楽の競演でまともな判定はあり得ないとみなしうるような者もいないのである。ギリシア人たちが彼らに対してもった評価たるや、彼らによって耳を楽しませるために籠にいれて飼ったほどである。

(以上、「インターネットで蝉を追う」近世動物学の画期より。)

と、とても高貴なものとされ、装飾に使われていたということを今回のネット検索で知ったワタシ。
今でもフランスでは、洋服の柄などに好まれて使われているそうです。

そんなセミを享楽的なキャラとしておいた『アリとセミ(キリギリス)』という寓話を書いたとされるイソップは、ギリシャで奴隷(後に自由になる)だった小アジアの人らしいとのこと。
『アリとセミ(キリギリス)』という寓話は、もしかしてイソップの「ギリシャ憎し」が表現されたお話なのかしら。


9月23日(日)

朝見た夢の中で、私、ほほをつねってみたら、
痛くなくって、あごをつねってみたらイタカッタ!
へんなの・


午後から映画を見にいきました。
題は、ムーンレイカー007です。
アクションが面白かった!

明日は学校!
キャー。

9月24日(月)

また一週間が始まった
・とは言ってられん!
二晩続けて、逗子中の夢を見た。

9月25日(火)

また次の悩みが出てきたんです。
”ファッションショー”とは何ぞや?
大変だ、これは。
明日の朝、お父さんと一緒に学校に行って聞いてきます。

恐怖の五時間目のテスト。
も〜わかんな〜い!!ククッ(←泣いてる)
E.S.L.の教室に、台湾の子が来た。

9月26日(水)

なんだか
ファッションショーに出ることになったみたいです。
着るもの、あるのかな〜?
うまくできるかなー。October 20。
また悩み事が増えてしまったみたい。
それは置いておいて。
ボストン行き、中止みたいです。
ショボン。あ〜あ


スクールバス、スタートが早すぎますぞ!
こっちの身にもなってくれぇ。

9月27日(木)

あっ、という間に過ぎた一週間!
いつも思うんですが、私って、昔のことをモヤモヤッとしか覚えてないんですよね。
一日前のことでも、夢の中のことのように忘れてるのです!
やんなっちゃう。
日記は必ずつけなくちゃ。

バスのことで、色々と気を使ったこともあったし、毎日新しいことが次々あって、大変!
ALGEBRAはテストでしょ!
一枚目のはまぁできたと思います。
以外と0点なんてね。

E.S.L.では、日本語の本をもらった。
いろんな国からの新入生が続々と入ってきて、もうクラスは満員です!

バスに乗るためにベルが鳴ったら飛び出しちゃうから、先生にろくにあいさつもできないんですよ!
明日はテスト!

9月28日(金)

ヤッホー
ウィークエンド!
うれしい。
今日、ファッションショーのことで、帰りに48号室にいたので、
あわててバス乗り場に行ったら、私のバスが見つからない!
知らない先生に聞かれたりして、でも見つからず、迷って「3:15まで待つのかな
」と思っていたら、うしろでワイワイ騒ぐ声がして、ドアが開いたんです!
「わっ!あったー!」って飛び込んだ!
よかった。
ホッ

数学のテスト、100点!キャッホー。

英語の宿題ともいうべき宿題を毎日やった、努力の結果です。
添削9月号も終わったし

明日のお父さんの会社訪問を楽しみに、
ファッションショーを心配ぎみに、
おやすみ!


2008年5月19日追記:
へぇ〜、こんなこともあったんだ。
すっかり忘れているワタシ。(笑)

ちなみに「ALGEBRA」は「代数」のことで、
「E.S.L.」は、「第二外国語としての英語」という意味です。
ラテンやギリシャ、イタリア、ドイツ、台湾、ベトナムなどから来た子たちと毎日一緒に、英語の勉強をしました。



今月は、いつもだったらどっぷり五月病になる月。
ところが、珍しくもそれほど落ち込まずにいられたのは、
一週間ごとの入院検査で出歩いているからなんだろうな。

いつもだったら大嫌いな病院も、家から遠いから、そこに辿り着くまでに目にするものや耳にするものが目新しくて、出かけるのが苦にならない。

自分でも不思議なくらい、楽しんでる。
検査の合間は何もすることがないのに、その時間さえ楽しんで使ってる。

いつも家にいるから、こんな些細なことが楽しめるんだろうな。

週ごとに量が増える治験の錠剤も、一粒の大きさを変えることで全体数を減らして、負担感が少なくなるよう工夫されている。

そんなことに気が付くのも、とても楽しい。

入院検査が終わった朝、まだ開いたばかりのデパートで、いつもよりちょっと豪華なデリカパンを家族の人数分あれこれ選んで、自分の分は駅から歩いて帰る道すがら、通り抜ける公園で一人ベンチに座って、自動販売機で買ったジュースと一緒に食べちゃうのも楽しい。

ワタシのところには来ないで、同じくベンチに座っている初老のご夫婦のところに餌をねだりに集まるカルガモたちを、遠くから見ているのも楽しい。

こんなことが楽しいのも、いつも家にいたからなんだろうな。

そんなことを考えていた週末、いつもよりボケッとしているように見えた長男が熱を出して寝込みました。
まだ今日も、学校を休んでいます。
でも朝測ったら、
熱は37.2℃まで下がってきました。

4月から新しい
緊張した毎日が続いて、体も心も疲れてくる頃。
これも一つの五月病なんだろうな、と思っています。


 
                



写真は、庭の芝生に咲いたニワゼキショウとオオニハゼキショウ。




あまりに綺麗に咲いているので、草刈りができません♪




っていうか、草刈りしないから咲いたんですけど。(笑)
北アメリカ原産で、明治時代に植物園で研究用に栽培していたものが逃げ出したといわれているそうです。

治験で入院検査中、暇つぶしに見ていたお昼の情報番組になんと『シャンゼリオン』の暁(アキラ)が出てるじゃあ〜りませんか!
みのもんたの番組内で、もうひとりの相棒(お名前わかりません)と地方の特色ある宿に一晩泊まる体験レポートをしていたんです。
で、驚いたワタシは、その日家で仕事をしていたnobukoの夫にC-mail。(笑)

「シャンゼの暁が、テレビに出てる!」

急いで確認したnobukoの夫は、でも本人かどうか、しばらくわからなかった模様。
それもそのはず、キャラが変わっていたんです。

やたら明るい!
そして、ハキハキしてる!

nobukoの夫いわく、

「今流行りの天然おバカキャラ路線で行くつもりかも?」

流行っているのか?そんなキャラ!?

そういえば、だいぶ前にNHKのクイズ番組に出てた時、正解も気の利いたコメントもいっさい残せずじまいでしたっけ。
でもあの時は、どっちかっていうと地味で暗めな印象だったんですけど・・・。
今回の番組で見せていたあの明るいキャラが演じられたものだったとしたら、この先うまくいくのかどうか、ちょっと心配

それともあれが、本当のキャラだったりして!?(笑)


さて、その翌朝。
帰り支度をするワタシのケータイC-mailに、nobukoの夫から連絡が。

「ウェンディの8時のおやつは、少し早めにやっておきました。」

ふむふむ。

「昨夜、台所の生ゴミを食べちゃったみたいなので、お腹壊してないか気を付けてやってください。」

も〜★お父さんらしいわ。

「トシが、suicaやバス共通券の入ったパスケースを落としました。」

ええー!
それって、6か月分の定期や5千円分のバスカード、それから図書カードとかも入ってたやつでしょう!?
帰ってからJRに連絡しなくちゃ、と頭を抱えるワタシのケータイに、続けて連絡が。

「でも、ご近所の旦那さんが拾って届けてくれたので、後でお礼を言っておいて下さい。本人も、お礼を言いに行きました。」

なんだ見つかってたのか。良かった〜。

それにしても、ワタシ似なのか、かなりボケボケしてる我が家の長男。
そういえば中学の時も入学早々に
体操服に着替えた後の制服を丸ごと学校で無くしたことがありました。
急いで家まで来て下さった担任の先生によれば、誰かがいたずらで隠してしまった可能性があるとのこと。
それなのに、当の本人はいたって呑気な顔をして

「絶対、家に持ち帰って玄関先に置いたはずだ。」

って最後まで言ってましたっけ。
結局何日かして、
無事に体育用具倉庫の陰から見つかったんですけれど。

今度のケースも後でよく聞けば、家の前で落としたんだそう。
そして、そんなことになっていることもつゆ知らず、ずっと寝ていたんだそうです。テスト明けとかで。
駅とかでならまだわかるんですけれど、なんで家の前!?(笑)
見つけて下さった方は、当たり前のことをしただけだからと固辞されたのですが、ちょうどデパートに寄って来れたワタシはお礼にと、ゼリーの小箱を置いてきました。
もちろん後でその代金は、長男に払わせましたけれど!

入学初日に高校に行くバスを間違えて、近くに住む初老のご婦人に学校まで送っていってもらったり、逆に昨日は駅までの道が分からなくて困っていた初老のご
婦人を、駅まで送って喜ばれたり。
なぜか初老のご
婦人と縁の深い我が家の長男。
きっと声をかけやすい緩(ゆる)いオーラが出ているのかもしれません。(笑)

こんな良くも悪くも隙だらけ(?)のゆるキャラ長男と、これからもつき合っていくワタシです。







やっぱり心電図検査が重なっちゃった『TVチャンピオン2 鎌倉王選手権』。
測定が終わってから急いでつけてみたんですけど、ザ・たっちも織田裕二もどきさんも登場しませんでした★
番組自体もひねりがないというか、遊びがないというか・・・なんかしょぼかった。
確かに出題される問題は最近の鎌倉ネタを拾っていて、相当マニアックだったけど・・・。
なぁんて思い返しながら、今日もチャンネルをなにげなくテレ東に合わせていた我が家。
そしたら、織田裕二もどきがキター!
『石ちゃんと愉快なデブ』という番組のワンコーナーで、ザ・たっちと織田裕二もどきさんが揃って鎌倉のおいしいものを探し歩いていました☆
こっちだったのね・・・。(笑)

最近の『TVチャンピオン2』はしょぼくなっちゃいましたが、昔のは、くだらなさが前面に出ていて我が家のお気に入りでしたっけ。
かれこれ10年くらい前のある木曜日、いつものようにチャンネルを『TVチャンピオン』に合わせていたら、なんだかよく見たことのある顔が・・・ってあれぇ〜!?
○恵じゃないのぉ〜!?

それは、「鼻大王選手権」という回で、わずかな香りや微妙な香りの差を嗅ぎ分ける能力を競うものだったのですが、その画面で答えを求めてデパート中を駆け回っている出演者の一人が、まぎれもなくワタシの高校時代の親友だったんです。
なんで出てるの?っていうより、なんで教えてくれなかったんだろう、出ること。
そのせいでワタシの方も、番組を観たことを未だ彼女に告げることが出来ずにいたりします。(笑)
たまたま見ていた番組に親友が出てた、ってこと、よくあることなんですよね・・・?

そういえば、病室で退屈しのぎに読んだ『ビッグコミックスピリッツ』。
そもそもは病院内にあるコンビニで、佐々木倫子さんの新連載だけ立ち読みして済まそうと思ったのに、今回で2回目になるそのお話を読み出したらあまりに面白かったので、つい買ってしまったワタシ。
他には、ワタシ的には読むところないのに。(笑)

佐々木倫子さんの『チャンネルはそのまま!』は、本当にグ〜でお勧めです。
天然な女の子が北海道の☆(ほし)テレビに採用されて、なぜか視聴率をとっていくというストーリー。
入局早々嵐で氾濫する川の様子を実況することになった主人公、雪丸花子がスクープした「漂流する人」は実は「漂流する猿」だった・・・という第一話のエピソードに、なんだかnobukoの夫のいとこのことかと思ったワタシ。
『ズームイン朝』の枠内で、熊に出会ってビックリなんていうよくある図を、天然でこなしていた北海道のテレビ局の人で、ハプニング大賞の常連でしたっけ。
こういう人が親戚にいるって、よくあること・・・なんですよね?(笑)



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