october sky〜遠い空の向こうまで〜

謎主婦・風信子(ヒヤシンス@nobvko)のブログです。宜しくお願いします♪

2009年07月

nobvkoの夫がこの時期恒例の(?)「直に大地震が来る」説を唱え始めた(←といっても、どっかの地震予知サイトの受け売り)ので、念には念を入れてストック用の水を買いにいったら、2011年の7月まで持つ1リットルボトルが一本67円!

家族4人で12本買っても、804円で済みました♪

 

でも、いつもこううまくはいかない我が家

 

先日の群馬県の竜巻きで、スーパーの駐車場に停められていた車がどれも皆、凄いことになっているのをテレビの映像で観て、ちょうど送られてきた自動車保険の継続案内メールに、車両保険を追加してしまいました。

車は必需品なので、動かなくなると大変とはいえ、備え過ぎの憂い過ぎ!?

 

昼になり、手にした斧や鹿の枝角のつるはし、石灰塗料を入れた壷や柳で編まれた土砂を運び出すためのを足下に置くと、男たちは一息つきました。

外堀の、広く平らな底に立っていたルブリンは、ふと目にとまった左足のそばに落ちていた鋭い石器を何気なく拾い上げると、地べたに座って指の間で転がしました。

片方の面は紺青色で平べったい形をしていましたが、風化して灰色にくすんだもう片側の湾曲した形は手のひらに気持ちよく収まります

どうも自然に出来上がったという感じではなくて、誰かが石から切り出し、加工して使っていたもののようです。

それはきっとずいぶん昔、ことによれば丘砦が出来るずっと前のことかもしれないと思われました。

ルブリンは、不思議な気持ちになりました。

いったい誰が、どんなわけでこんな形の石器を白亜の中に埋もれさせたのだろう、と。

彼がそんな思いに耽っていると、丘砦の下に続く芝地を一群の馬が駆け抜けていきました。

堀のなかのルブリンに馬の群れは見えませんでしたが、柔らかなにわか雨のような野生の蹄の音がすぐ近くをかすめ通り、彼方へと消えていくのが聞こえました。

彼の内なる目、額の奥にある暗き瞳には、疾走する馬たちの光景が、駆け抜けるその姿が映っていました。

 

むき出しの白亜がルブリンの傍らにあり、鋭く研がれた石器が彼の手にあります。

ルブリンは無意識に、溝の壁に絵を描き始めました。

それはアトリベツが来て以来初めての、魔法の絵でした。

先頭の馬を描き、その後に半身遅れて続く馬を描き、そして三頭目を・・・。

彼が描いたのはスビードと力強さ。

たてがみや尾の滲(にじ)むような流れ、ひずめの雷音踵から休むことなく湧き出る速さでした。  

 

まばゆい白亜に影がよぎり、振り返るとそこには族長のクラドックが立っていました。

昨秋の戦の長であり、今やこの丘砦の主であるクラドックはしばしば、新しい防御施設進展具合回っていました。

大股に立った彼は、親指をベルトに差し込み、頭を片側に傾けています。

彼の細い目は、白亜に描かれたひっかき痕とルブリンの顔を交互に見入りました。

 

「お前がやっているこれは何だ?」

 

「今さっき通り過ぎた馬の群れを描いているんです。」

 

ルブリンは言いました。

 

「あなたには聞こえませんでしたか?」

 

「聞こえたよ。」

 

クラドックはもっと近づいて見ました。

 

「つまり、先頭はこれで、この馬が続いて、その後がこの馬で … そしてここにいるのが最後のやつってわけだ。で、間に描かれているこの奇妙な波うつ線は何だ?」

 

「それは群れの本体です。」

 

「しかし、馬だろう?… 馬なのに、なぜ先頭や最後のと同じように描かない?」

 

クラドックは眉をしかめ、不可解そうに尋ねました。

 

「確かにその通りです。でも、群れは全体で一つにしか見えないでしょう。」

 

ルブリンは真剣に説明をしました。

 

「群れの真ん中のどれか1頭に注目しない限り、駆け抜けて行く馬の群れは先頭の2、3頭や最後の1頭の間は一塊にしか見えないでしょう。それが移り行く流れや変化なんです。」

 

「こんな描き方は見たことがないな。」

 

クラドックは言いました。

 

「お前の民は皆、そのように描くのか?」

 

ルブリンは首を横に振りました。

 

「我が民もあなたの民の様に描きますあなた方が富を数える商い用の金貨に刻印された馬のように。僕は僕に見えるように描いているのです。誰も僕と同じように見えているとは思いませんが。」

 

 今日ひょんなことから、二年前に亡くなった義母が何度かアルツハイマーの診察を受けた、東京の大学病院の同じ科の待ち合いでお見かけした、著名な俳優さんが亡くなっていたことを知りました。

驚いたのは、その方が亡くなったのは義母が亡くなった日の前日だったこと。

そして、死因も肺炎で同じでした。

 

こういうご縁もあるのですね・・・。

 今朝の産経新聞。

 

せっかくパリに来たのだから、もう少し、周囲に目配りしても罰は当たらないと思う。

 

山口昌子記者のコラム「パリの屋根の下で」で、「傍若無人」な日本人女性観光客の様子が描かれていました。

 

 レジの近くにはチューインガムや、キャンディー、乾電池などの小物が並べられ、買い足す人が多いが、日本人のグループの一人がこのキャンディーなどに目をつけたら、さあ、大変。全員が「可愛い、安い」と大声で叫んで、レジに並んでいる人を押しのけて、突進する。

 グループの初老の男性が見かねて「(レジで支払いをする)自分の番がきたときに取ればよいのに」と注意しても聞く耳をもたず。たぶん、ふだんから、妻も娘も、「お父さんの言うこと」なんか聞いていないのだろう。《中略》定年退職して晴れて自由の身になり、女房や娘の海外旅行に付き合わされているのだろう。《中略》

 それにしても、誰のおかげで海外旅行を楽しんでいるの、と聞きたくなる。会社で嫌な思いもたくさんしたに違いないお父さんのおかげじゃないの、とお父さんに同情したくなる。

 

この情景、にはちょっとしたデジャブ。

その舞台はパリではなくて、10年ほど前に訪ねた東京ディズニーランドです。

二十歳前後から、若く見えるけどアラサーっぽい女性たちが、子どもを押しのけてミッキーマウスに群がっている様子でした。

 

ディズニーランドはカリフォルニアのもマイアミのも、遠い昔に行ったことがあるですが、あちらでは何よりも子ども優先。

周囲の大人たちも若者たちも、ミッキーに集まってくる子どもたちに当然のように配慮していましたっけ。

 

子どもへの配慮と言えば、子どもの授業参観に来るお母さん方の半分くらいが、授業そっちのけで噂話に盛り上がり迷惑この上なしだったりします。

 

 

そんな体験のあるには、件のキャンディー女性のような人たちの「社会的属性」(笑)が山口記者が捉えたモノとは違って見えました。

山口さんは、こうした買い物の仕方をする女性たちを「稼ぎのない人たち」と思われたご様子ですが、ディズニーランドで周囲の子どもに配慮しない20〜30才くらいの女性たちはどこかにお勤めかもしれないし、ご近所でも「子どもの塾代を稼いでる」とか「自分の小遣いは自分でゲット」してるっていう自信のある女性ほど、声が大きかったりします。

きっと日頃大変な思いをして外で働いてる分、小金はあるし、海外で羽目をはずすのが楽しくて仕方ないんじゃないでしょうか。

もっと言えば、自分で稼いだお金の元を取ろうと一生懸命なのかも。

 

そう言えば、産経さんも以前

 

「日本のたくましき女性たちは、自分の稼いだお金で誰に遠慮することなく自分にごほうびを買う。ダイヤのように強く輝く女性たちの未来を、私たち『美しい新聞』はいつまでも応援していこう。」(産經新聞 1月5日 「平成19年 はしがき」)

 

って書かれていましたっけ・・・。

 

一昨日の夕方、何気なくつけたテレビでやっていた放送大学の内容に釘付けになった

ゆとり教育は中曽根さんの臨教審から始まった、と明確に説明されていたんです。

 

やっぱりそれで合っていたんですね。(詳しくは、2008年12月17日の拙ブログ『ワタシのゆとり教育総括』参照下さい♪

 

 

そして週休二日制になったのは、文部省の要求ではなく、アメリカからの内需拡大要請を受けた産業界の求めに応じてだったということ。

こういったことを、分かりやすい言葉で丁寧に説明されていた放送大学の小川正人さん(確か。メモしてなかったので定かではないのですが)と、聞き役のメイン教授・岩永雅也さん。

 

面白かったです。

 

このことを記しておこうと思ったのは、今朝の産経抄を読んだから。

ケンブリッジ出のエリカさんという名のお医者さんの卵塾に行かなかった、というケースを紹介していました。

そして、日本ではこうはいかない、やはり、どこかおかしい。」という風に記事をしめていました。

 

あれ?産経抄さんって、『塾で受験勉強賛成派』ではなかったですか?

だから、ゆとり教育がお嫌いだったんでは!?

もしもエリカさんのようなケースが望ましいとお考えなら、やっぱりゆとり教育なのではないでしょうか?

 

それはともかく、「塾に行かなかった」エリカさんは、もしかしたら英国のプレップスクールなどのエリート学校で猛勉強された可能性だってありますよね。

「日本はおかしい」という論説にもかかわらず、日本と英国の教育制度の差を説明もせず、ただ単に「塾に行かなかった」という事実だけ示すというのは「やはり、どこかおかしい」と思ったのはだけ?

 

民主党が掲げる「こども手当」。

でもほとんど「こども手当」はもらえないに等しい我が家。(笑)

 

子供は二人いますが、どちらもその制度が本格始動する頃には対象外の年齢になっているのです。

それでもこの案には基本的に賛成!

 

「中学生以下の子供が3人いれば、その世帯では年間で総額93万6千円が給付される計算」

 

になるそうですが、この金額ならいわゆる「103万円の壁」まであとちょっと。

控除枠を計算しながら時間をやりくりして働いているお母さん方も、無理して働くことなく家事と育児に専念できそう。

そうなれば、託児施設などの整備などにかかる社会的負担も減るのではないでしょうか。

 

でも、やっぱり気になることが。

それは

 

「子ども手当の創設に合わせて所得税の配偶者控除と扶養控除の廃止を含めた見直し」

 

行うというところ

ということは、高校生以上の年齢の子供がいる我が家のような家庭では「子供がいなければ年間3万8千円の増税となる」子供のいない専業主婦家庭と同じ状態、というよりも、むしろそれ以上の増税となる恐れありなんではないでしょうか。

 

そんな風に危惧していたら、今日の民主党マニフェスト発表で、高校生に年間12万円〜24万円手当を検討しているとのニュースが。

 

これなら納得・・・でも、ですよ?

高校へ進学されないお子さんや高齢者を扶養されている世帯では、いきなりただの増税になってしまうんですよね?

大変過ぎませんか

それはそれで、また別枠の手当

こんなに振舞っちゃって、結局将来の世代に負の遺産、ってことになったらどうなんでしょう。

今良くても、将来大変になっちゃったら・・。

 

やっぱり与謝野財務大臣の

 

「専業主婦などの配偶者は家事をする労働者でもある。(配偶者控除を)一律で廃止するのは不公平ではないか。」

 

とのご意見こそ本質的に正しいと思う

こういった点を指摘されている自民党さんには、社会の基本単位は家族である、という生真面目マニフェスト」を提示していただきたいと思うです。

 

 

 

再びルブリンは一族の生き残りたちと向き合いました。

「こうして・・・」

さきほどの言葉を継ぎ始めたルブリンの話を、いやいやながらではあっても今は皆が黙って聞いてくれています。

「もし我らが心ひとつに待ちつづけられるなら、そう、蒔いた種の実りを待つようにできるなら、再び自由な民に戻るチャンスがいつの日か訪れるはずだ。」

「どうやって?」誰かが迫りました。

「わからない。」

 

ルブリンには、自らの語る言葉が自分とは別のどこからか聞こえてくるような気がしました。


「私
は樫の木のイシュトレスではない。彼がまだ生きていたら、彼ならそれを知れたかもしれない。私はただ、待つことさえ出来たなら再び自由な民になれる日が必ず来る、そんな気がするんだ。これも、私の中の『暗き』が言わせていることかもしれないが。」

イケーニとアトリベ
ツの言葉は似通っていたので、互いに何を話しているのかわかりました。
しかし馬の民は、囚われの日から密かに男子の館で使う独特の言葉を用いたので、見張りをはばかることなく話をすることができたのです。
どの男子の館もそれぞれに独自の言葉があって、修練の間はずっとそれを用いますが、成人の儀式が過ぎると二度と用いることのないものでした。
しかし今は、征服者に知られることなく話をすることが何よりも大事なことであり、しきたりなどかまってはいられません。
そしていずれは
女たちでさえもその言葉を使うようになるのです

冬は去り、春が巡ってきました。
ほどなく褐色(かついろ)の雨ツバメたちが「白亜の丘陵」の側面を鎌で鋤くように飛びかいはじめました。
イケーニのダラと一握りの男たちはその深い傷を癒したものの、残りの男たちは殆どの年寄りたちや何人かの子供たちと共に死んでいきました。
何人かの女たちもいなくなっていました。・・・しかし彼女たちの場合は、古くから女たちがそうしていたように、同胞の男を殺した征服者の元へと去ったのです。
かつてルブリンの一族もそうしたようにアトリベツも女子供たち家族を伴ってきていました、冬が迫る前まで呼び寄せられた者たちの中に紛れて暮らす同族の女たちを、残されたイケーニの民は遠くから見ていました。
彼らは死んだ者たちの名は口にしても、去っていった女たちのことを話すことはありませんでした。

砦の普請は、完成に向かって順調に進められていきました。
新しく掘られた堀の白亜層は眩しいほどにきらめき、雨風にさらされて灰色にくすんでいた柵も、新しい材木と取り替えられて黄金色に輝いています。
そして、いつもと同じ一日がまた始まるのでした・・・。

 

「ねるとん」なる言葉がはやりだした頃に大学生だったは、ディスコにも合コンにも行ったことナシ。

そんなところに行かなくともnobvkoの夫と出会ってた、っていうのもありますが、そもそも初対面の人たちとコミュニケーションをとること必須のイベントに出かけるなんて、考えるだけで鬱陶しいと思う質(たち)なんです。

学生時代にはセクションメイトの人間関係の仲介などもさせられましたが、さんざん会って話をする機会がある人同士でさえ、自分の気持ちを持て余したり相手の気持ちを勘ぐったりと、面倒くさいことこのうえなし。

それなのに、最初っからお付き合いする相手を物色するために、時間限定の集まりに参加するなんて、にとっては正気の沙汰ではありません。

 

で、オフ会なるものにも行ったことがない

10年くらい前からネットに書き込みするようになりましたが、そこで出会った匿名の人たちは、実際どんな人なんだろうとは思いつつも、直接会ってみたいとは思いませんでしたっけ。

相手の方が実名で出ている方であっても、直接会うのはかなり気が引けちゃう

だから大抵の場合は、あれ?友達だったあの人にちょっと似てるかな なんて想像したりはしても、それでお終い

 

それでも、続く関係は続くんですよね

自前の掲示板やBlogで時々会話を交わして、互いの無事を確認。

その時々に起こる社会的な出来事についての、意見交換をしたり。

そうしているのがなんとも安心で、心強いんです。

 

それに比べると、なぜか学生時代に知り合った友達との関係では、残念ながら結婚や出産を機に微妙なものが出てきちゃいました

別々の時間を過ごすなかで、それぞれが成長したのでしょう。

前は気付かなかった相手との考え方や感じ方の違いが見えてきて、もうあの頃とは違うんだな・・・と寂しく思ったものでした。

それだけお互いの多くを知りあっていた、ということでもあるのでしょうから、いつかまた話ができる日がくるのかもしれません。

 

ところで、『赤毛のアン』を書いたモンゴメリには、執筆前から亡くなるまで文通していた友が2人いたそうですが、そのうちの1人とは文通を始めてから8年後に、もう人とは確か20年後に、それぞれ面会していましたっけ

 

そういうのって、いいなぁ

 

時に弁当をついばむ箸を置き、熱く若手社員に理念を語る『ゼロイン』の大條充能社長(右から2人目)

 

今朝、産経新聞を広げて18面に載っていたこの記事。

神社のハトですか、大條社長!?(笑)

 

写真についてるこのキャプションを読んで、はこの記事を読む気が失せました。

 

さっきTVで、青森の郷土料理屋の女将が「皆で鍋をつつきながら」とおっしゃってましたが、件の記者さんはこの表現を丁寧に言ったつもりなのかも・・・!?

 

「時に弁当を口に運ぶ箸を止め」というのが普通なのではないでしょうか。

 

なんて、ついばんだ記事をつつく。(笑)

「奴ら、俺たちをどうするつもりだろう?」誰ともなく尋ねました。

「何か使い道があるんだろうよ」ほかの誰かが答えました。
「いずれわかるさ。」

案の定、征服者たちの目的はじきにわかりました。
今やこの丘
砦は、征服者アトリベツにとっての最前線の要塞でしたが、大部族のそれに相応しい大きさも堅牢さも備えてはいません。
芝土
と材木で作られた壁は、もっと南にはり出していなければなりませんし、残った塁壁も補修され補強されねばなりません。
それに堀も、より広くより深く掘られなければなりません。
それは『
槍(やり)の支配者』アトリベツがするべき作業ではありません。
古き人々、暗き肌の民の仕事でした。
しかし、古き人々は戦が始まるとさっさと森の中へ姿を消しました。
いずれふらり舞い戻ってくるでしょうが、それはまだ先のこと。
征服者たちの盛衰を見定め、自分達の番が巡ってくるやも知れぬと様子を窺うことが古き人々の常でした。
ですからその秋と冬の間は、ルブリンとぼろ屑のように生き残った彼の民の仕事だったのです。

はじめ、ルブリンの民は無謀にも征服者たちに反旗を翻えして活路を見出そうとしました。

ルブリンは全身の力をこめて反対しました。

「ただ死にに行くようなものだ、意味がない。我が一族が根絶やしになる、もちろん子供たちもだ。子供たちのことを忘れたのか? こうして・・・」

「こうして生き延びるのか・・・アトリベ
ツの奴らの踵(かかと)を首にのせられたままで。」

かつて男子の館でルブリンと一緒だったクノが、軽蔑の色を浮かべた視線をまっすぐ向けて言いました。

「いかにも暗い血を持つ奴が言いそうなことだな。」

 

同じようにささくれだったささやき声が周りで沸き起こりました。
微かな鼓動がルブリンの喉の奥で脈打ち始めましたが、それをなんとか鎮めました。
もし仲間同士で争いが始まれば、本当におしまいです。

「ルブリンは、我が一族の女の血を分けた者だ!」

ダラの声でした。
まだ息の弱いしわがれた声がした方をルブリンが見やると、堤の雨よけ部分で、古い牛皮の敷物にひじをつき、精いっぱい身を起き上がらせようとしているダラの姿がありました。
彼の顔は樺の樹皮の内側から切り取った白い取り木のようであり、その髪は深い傷のために今だ下がらない熱の汗にまみれています。
しかし彼の瞳は、げっそりと深く窪んではいましたが、挑みかかるように大きく見開かれていて、髪の毛はまるで怒った雄鶏の如く逆立って見えました。

「これ以上そんな言葉を吐く奴は絞め殺してやるから、俺が立ち上がれるようになるまで待っているんだな!」

その時、ルブリンは初めてダラが助かると確信しました。
そして、テレリが生まれたあの日に、族長の炉辺で感じたあの暖かさや力強さと同じものが込み上げてくるのを感じました。
けんかの最中、友の肩が自分の肩に触れたあの時と同じぬくもりが広がるのを。

 

 

このページのトップヘ