october sky〜遠い空の向こうまで〜

謎主婦・風信子(ヒヤシンス@nobvko)のブログです。宜しくお願いします♪

2009年12月

クリスマスの夜、我が家に新しい猫がやってきました。

 

近所の歴史博物公園の売店横でウロついていた白い猫。

元気な野良猫たちを避け(鼻の先を引っ掻かれた跡あり)、人がいる場所をうろうろしていたその猫は、餌をもらえていたかどうか分からないほどやせ細っていました。

おまけに、博物公園が26日から正月休みに入るので、見守る目もなくなってしまう。

 

ということで、今回はあまり深く考えずに、私とnobvkoの夫で救出してきました。

で、家についてからしばらくして分かったのは、この仔がオスだったこと。

後ろ足の間に、小さい丸っこいのが付いていました。我が家ではメスしか飼えないって思ってたのですが、仕方ない。

これも何かの縁。

 

最初の晩はウェンディを脅かさないようにと、玄関に檻を設置してほっかいろで暖をとり、急いで買ってきたアニスター(八角)のノミ避け剤を首元にたらしました。

ところが猫の衰弱が思いのほか激しく、最初は食べていた餌も口にしなくなったので、私(とnobvkoの夫)の部屋に産経新聞を敷いて、下痢をしたり胃液を吐いたりするたびにタオルを取り替えていたら、その子の嘔吐物からピーナッツの欠片が4つも!

これで気持ち悪くなっていたのかも。

どうやらしばらくの間は、まともな餌をもらえていなかった様子。

でも、ピーナッツを吐いてからは容態も落ち着いて、無事に朝を迎えました。

 

それからはウェンディと2〜3日かけながら徐々にランデブーさせ、食欲も旺盛に。

禿げていた両耳の毛も、すごい勢いで生えそろいはじめ、何匹か居たノミも蚤取り櫛で鋤いて取り除き(白い毛なので、見つけやすい)、元気になりました。

うんちもおしっこも、きちんと猫用トイレでしてくれます。

ものすごい甘えん坊さんで、ひざの上で丸くなるのがとても好き。

 

 

ウェンディが寂しがらないように気をつけながら、世話をしています。(飼い猫は新しい猫がやってくるとどこかへ家出してしまうこともあるそう)

 

 

 

♪まっし〜ろなこやぎ、なまえ〜はユキ

いつかしら初めて、あなたと出会ったのは。

そうね。あの、泉のほとり。

冷た〜い水を、一緒に飲んだ日〜♪

 

真っ白な毛を撫でながら、昔良く聞いていた「ハイジ」の挿入歌を口ずさんでいたら、nobvkoの夫が

 

「なら、名前はユキにしたら?」

「ユキちゃんは女の子でしょ。この仔は男の子だよ」

「だったらユキオ?」

「・・・それは絶対、イヤ!(大笑い)」

 

 

 

で、見た目が小熊に似ていることから、つけた名前がアーサー。

前にも書きましたが、アーサー(Arthur)という名は元々ケルト語の「熊」からきています

次男坊が毎週楽しみに観ていた『魔術師マーリン』も、昨夜最終回を迎えました。

アーサー王子が死の淵から復活!

シーズン2が今から楽しみです。

2010年1月31日追記:

11年度からの満額支給は無理なんですか?

ってことは、下の表の赤い部分の層にとっては、実質増税のままというわけですね。

 

 

先日、日本総合研究所が試算した「子ども手当、扶養控除廃止などによる所得増減」表をもとに、来年度の子ども手当半額支給版を作って載せましたが、今朝の産経をみたら

 

「日本総研再試算」

「一部結果に誤りがあったため再試算した。」

 

という記事が。

なんでこの間は総合面(2ページ目)の記事だったのに、今回は経済面(11ページ目)?

というわけで、私もさっそく再計算しました。

 

 

 

所得増減の世帯年収に対するインパクトについての表も。

 

 

 

先日の記事と今朝の記事では、それぞれで示されている表での年収の層や子供の構成の切り出し方がなぜか異なるため、おおまかな比較しか出来ませんが、今回のを信用していいなら何となく無難な線に落ちついているように見えます。

さ来年度から本当に子ども手当を「満額支給」できるのなら(出来るのか?)、来年度のひなちゃん一家のダメージも26,000円で済みそうだし・・・ハッ!

前回の表に見られた所得間格差が縮まったことに気を取られ、三歳未満のお子さんを抱えているお家が最大76,000円も所得減になるのを見過ごすところでした。

まさか、こうやって納得させるためにわざと間違えた訳じゃないですよね、日本総研さん。

 

確か、こちらの研究所の会長は、オバマさんから ”出入り禁止” 扱いされちゃった鳩山ブレーンの寺島実郎さん。

前にも日本総研はこんなこと言ってたし。

なんだか意図をかんじるなぁ・・・日本総研。

 

 

古森記者の22日付けのブログエントリは「鳩山政権の『まだら国家社会主義』。

古森記者は、鳩山民主党の押し進める子ども手当が「子供は社会が育てる」という国家社会主義的理念に基づくものであることに、ずっと警鐘を鳴らしてこられました。

 

子育てというのは、人間の最も私的な行為でしょう。カネさえあれば即、子育てが成り立つというものでは、ありません。子どもたちになにを教え、どう育てるか、それぞれの親が自分自身の信念を注ぎ込む精神的な側面がきわめて大きいはずです。

 

もちろん子育ての基盤となる社会の施設の整備は政府や国家の義務です。しかし子育てという行為自体はそれぞれの親が個人の価値観や道徳観、社会観を 主体に、進める私的な活動のはずです。この子育ての「個」という核は、動物たちが自分の子に口移しに餌を与える光景にさえ、明白です。

 

まさにその通りだと、改めて思う

で、つくづく思ったんです。

こういうことを明言されているのは、産経では古森記者だけなのでは?って。

だって、12月23日の「主張」欄では、

 

民主党は先の衆院選で「控除から手当へ」との基本方針を打ち出し、さまざまな所得控除の見直しや予算の無駄の排除を通じて財源を確保することで子ども手当などを給付するとしてきた。

 それなのに配偶者控除や扶養控除などの見直しも先送りされた。控除が積み重ねられた所得税の税収は低迷しており、税の再分配機能を高めるためにも、今後の税制の抜本改革の中でさらなる控除の見直しは避けて通れない。

 

という記述があったり、今日の「日曜経済講座」でも論説委員の岩崎慶さんが

 

財点の裏付けがなかった政権公約の破綻も予想通りといえる。子ども手当だけは来年度に半額実施する財源2.7兆円の半分を所得税の配偶者控除・扶養控除の廃止でまかなうという裏付けを示していたが、これも達成できなかった。

 

と書かれているのですから。

この引用部分だけ読めば、公約を違えている事実を述べているだけにも思えますが、全体の文脈からすれば「早く配偶者控除を廃止しろ」と言っているように思えます。

これまでの産経の子育て関連の記事でも、国家の税収が少しでも増えるようにと、赤ちゃんを授かっても保育所に預けて働き続けることを奨励してる印象がありますし

やっぱり産経も一皮むけば、個や家族よりも組織や社会を重んじる「まだら国家社会主義」だったりして。

 

もっとも産経に限らず日本人のほとんどは、家族よりも組織や社会を重んじている、というか、家族とそれ以外の社会集団との境がなくて、目の前にいる目上の相手にあわせて動いたり考えたりしちゃうのが当たり前なのかもしれません

社会や組織のために身を粉にして働くことが生きがい。

まるで蟻や蜂のように。

 

だから

税制改革にはまず個人単位課税から、世帯単位課税への転換を!

なんて言ってみたところで、日本人には響かないのかもしれません。

 

2011年9月26日追記:

「家族観」という表現を使いだしたところを見ると、とうとう産経新聞も変わったのか!?

でも、単に「アンチ小宮山」というスタンスだったりして・・・。

包帯の男はそもそも何?

胎児がぱかっと目を開いたのは、いったい何?

 

という感じで、『JIN-仁-』最終回にガッカリしている方々が結構いらっしゃるようですね。

が受け取った感想を少し書いてみます。

最終回には、

 

  • 「包帯男は龍馬だったんだ」と主人公が思い至った。
  • 目をつぶっていた胎児が、その目を見開いた。
  • 主人公が野風の手術を行い、治った野風が旅立っていった。

 

ことが描かれていました。

例え未来が、それまで知っているものとは異なるものになってしまうとしても、主人公はその道を選びました。

あれは龍馬だったんだ、と思ったことも、野風を治そうとしたことも、すべて主人公の思い。

それが正しかったのかどうかは、わかりません。

いつになっても結局はわからない、ということではないでしょうか。

 

そうした中で、自分の心に正直に目を瞑らずに生きていく、というメッセージがストレートに描かれたことに、の魂は揺さぶられました。
心の中の目が、見開かれたようでした。

 

 

現実に絶望し、どこか別の場所に行きたいと願う時、過去から英雄が迎えに来たという話は、ただの絵空事になりやすいものです。

それを、観ている誰もがいつしか魅了されてしまうストーリーにできたのは、日本人が忘れられない心が丁寧に描かれていたからだと思いました。

 

終わりのない未来へ繋がる道はどこにあるのか。

現代人の誰もが抱えているであろう問いへの一つの応えが、このドラマにはあったと思います。

 

今朝の産経朝刊に、

 

『家計に増税色強く 差し引き所得増も』

 

という記事が載っていました。

その記事では、日本総合研究が試算した「子ども手当、扶養控除廃止などによる所得増減」表を示していますが、これって「子ども手当全額支給」が前提でつくられたものですよね。

来年度の子ども手当は半額支給ですから、そっちの方を示してもらわないとリアリティに欠けちゃいます。

という訳で、その表から子ども手当半額分を差し引いてみたのがコチラ。(↓)

 

 

負担増となる世帯層が結構あります。

なかでも、三歳未満のおチビさんが1人いる片働きで年収500万円の世帯、そうまさに「ひなちゃん」のお家のようなご家庭は、なんと21万円もの所得減!

 

ちなみに、うえの数字を基に所得増減の世帯年収に対するインパクトを出してみると・・・。

 

 

格差ありすぎじゃないでしょうか。

このうえ、片働き世帯の配偶者控除まで廃止されたら!?

どうなるんだ、ひなちゃん一家!

子育て真っ最中なのに、酷すぎますぅ〜。

 

ところで、同じ内容の記事がイザ!のニュースにも載っていましたが、そこには

 

「夫婦どちらかが働き、3歳未満の子供がいる世帯では唯一、現在よりも所得が6000円減るという。」

 

という記述が。

これ、新聞にあったように「6万円減る」ではないんでしょうか?

こういう誤りは、問題の肝心な点だけにとても気になります。

 

 

2009年12月29日追記:

どうやら日本総研の計算に誤りがあった模様。

改めて来年度の表を作りましたので、こちらをどうぞ

 

 

 

ひとりで描(か)いた五線譜(メロディー)
紙飛行機にして飛ばした
この街見晴らす屋根の上から

アップテンポに煽られて
繰り返す仲間割れのデュエル
最低 ほら
イヤホン外して

空は確かに灰色だけど
上を向いて 探して
街は確かに壁だらけ
でも聞いて 感じて 風の音を
di di da da da da・・・
ほら 雲がちぎれていく

誰でもいい
今だけでいい
手を伸ばして
ほんの気まぐれだけでも
かまわないから

誰でもいい
今だけでいい
その手の指
高く空をさして
とまらせてよ

わたしの五線譜(メロディー) 雨に破れたとしても
アスファルトの道 よごす紙屑になっても

湿った景色に陽射しを運んで

[本当は渇きそうな痛み]
テラスをかすめるツバメのように

[癒すため]
あなたのフレーズのせて 口ずさんで

[傷を舐めるのやめて]

誰でもいい
今だけでいい
手を伸ばして
ほんの気まぐれだけでも
かまわないから


誰でもいい
今だけでいい
誰でもいい
気まぐれでいい
その手をほら
空にかざし
さわってみて
風が口ずさむ五線譜(メロディー)

 

 

JIN-仁-』の最終回。

空から降ってきた雪がとても印象的でした。


午前中やっていた再放送をたまたま観て引き込まれた

いわゆる人気連ドラには興味が湧かないクチなのに、今回は珍しく最後まで夢中になって観ていました。

 

幕末の江戸にタイムスリップした脳外科医が、自分の時代に残してきた女性への一途な思いを秘めながら、彼(か)の地、彼(か)の時代の人々の暮らしとも真正面から向き合っていく物語。

現代よりも濃密に互いを思いやる登場人物たちが、それでも己の正直な心から目を反らさぬよう、精一杯悩み生きる姿が新鮮で、それぞれが己の道を歩き出すラストの別れも素直に納得できました。

(え?映画もあるの?)

 

さて、「不足しているワクチン」を開業医が身内に打っている、と以前書いたですが、今朝の産経新聞主張欄では

 

 

医療現場ではワクチン接種をめぐる混乱も起きている。現在、全国の診療所などに送られているワクチンの多くは18人分が1つの容器に入っている。いったん使い始めたら24時間後に廃棄しなければならないので、医療機関では希望者がいても18人集まらなければ接種を始められない。

 優先対象者を探すために基礎疾患を持つ人に電話をかけまくり、それだけで疲れ果てているという診療所もある。他の人に提供しようとしても、優先対象者以外に接種したら激しい非難を受けることになりかねず、泣く泣く廃棄しているケースもあるという。

 

と書かれてありました。

なるほど。

ということはあの娘さんも、接種人数が確保できなくて困った開業医のおじさんに呼び出されてたってことなのかもしれませんね。

それにしてもなんで18人分を1パックにしちゃったんでしょうか、厚労省!?

 

そういえばおとといお菓子コーナーで見つけたバームクーヘンのお買い徳パックにも、一度袋を開けたら一両日中にお召し上がりください、との注意書きが。

袋には12個くらい入ってましたが、美味しかったので風味が悪くならないうちにと急いで食べました。(笑)

 

先週末から急に寒くなって、左目がまたザックリ切れてしまっ

そうなると、ネットも新聞もテレビも目に刺激が強すぎて見られなくなり、気分も落ち込んでもうガックリ。(それでも、毎日やってた『JINー仁ー』の再放送と金曜日の『アンタッチャブル』最終回は観ました。

 

どうにか回復してきた今日は出血している間はひかえていたお風呂に入って、たまっていた新聞を読みました。

 

 

財源不足からとうとう検討され始めたようですね、子ども手当の所得制限。

2千万までとすると、セーブできる額より事務経費が多くなってしまい、そもそも制限をかける意味がわからなくなる。

ではと、現行の児童手当のように860万くらい線をひくと、所得制限の効果は出ても、いわゆる「高額所得層」が反発して次回選挙に影響が出かねない。

どう決着をつけるんでしょうね、民主党さん。

 

そもそもこの問題の本質は、どこに線を引けば良いかと言うテクニカルなレベルのものではなく、「子供は、個々の家族が育てるのではなく、社会が育てる」という民主党の基本理念が肯定されるのか否定されるのか、というところにあります。

つまりそれは、所得制限を行うというのはマニフェスト違反という次元ではなく、イデオロギーの転換と言うべきもの。

「子供は個々の家族が育てるものであり、社会はそれを支援する」という考え方こそ真っ当と思っているとしては、その転換は歓迎すべきものと言えますが、そのことをきちんと宣言して頂かなければトラストできません。(笑)

一方、先の選挙で鳩山さんの「友愛社会主義」イデオロギーによろめいちゃった方々にしてみても、そこのところはハッキリさせてもらいたいはず。

ここはやっぱり、解散総選挙っていうのが筋ではないでしょうか、鳩山党首?


それから、昨日の産経朝刊の「フランスの子育て支援」というコラムでは、あの東レ研究所の渥美さんが我が家がずっと提案してきた(笑)「N分N乗方式」を紹介しているではあ〜りませんか。

 

「家族手当がどちらかといえば低所得者対策なのに対し、高所得世帯をサポートするのが『N分N乗方式』と呼ばれる税制優遇策です。夫婦の課税所得を合わせ、子供が1人なら2.5、子供が2人なら3で割り、おのおの基礎控除に当たる額を引き、累進税で税額を出します。同じ所得なら子供が多いほど税負担は少ないので、『独身課税』とも言えます。日本の扶養控除方式に比べても高所得者にメリットが大きい仕組みです。」

 

あれ?

渥美さんは「N分N乗方式」を高額所得者ほどメリットがある制度だと思われてる?

でも、これって低所得であろうが高所得であろうが中所得であろうが、結婚してる人たちや子供がいる人たちに有利な制度だから、渥美さんも『独身課税』とも言えます」って説明されたのでは?

には、タイトルにあった「高所得・子だくさんほどメリット」という説明がイマイチ「ピン」ときませんでした。

今度そこのところを分かりやすくシミュレートしてレポートしてくださらないかな〜。

 

 

それはともかく、大混乱中の民主党さんを攻めあぐねている自民党さん!

いまこそ「N分N乗方式」導入を打ち出しませう!!

個人所得ではなく世帯所得を基礎とする「N分N乗方式」にしたうえで、現行の児童手当を維持すれば、夫婦の所得をあわせると優に「高額所得」になるのに、どちらかの所得だけを基準に手当をもらえちゃってるような不公平もなくなります。

そして、扶養控除を廃止して所得制限付き子ども手当を導入するなどという、バラ撒く餅をつくるために米を巻き上げるようなこともせずにすむはず。

 

今のうちにそちらへシフトしておけば、今朝の産経朝刊にあった「平成32年に単身世帯が主流になる」という最悪のシナリオも避けられる、かもよ〜!?(本気)


今回の、陛下と中国副主席の会見アレンジの件では、小沢さんの節度のほどが改めて露呈しましたね。

民主党の小沢チルドレンの皆さんは、果たして呂布になれるでしょうか。

産経新聞の年末恒例(?)ジェンダー企画広告、拝見しました。

 

上野千鶴子さんと香山リカさんの基調講演と、このお二人と専修大学の3名の教授によるシンポジウム。

「ジェンダー」という言葉は冠されていません。

でも概要をざっと読んだ感想は、まさに母性否定のジェンダー広告そのものでした。

 

このシンポジウムの課題は「生きづらさ」。

上野千鶴子さんによれば、「90年代に、青年期の逸脱と呼ばれるものが、非行から自傷へと変わ」ったそうです。

「自殺や不登校、ひきこもり」が増加し、「攻撃衝動の対象が他者から自己に変わった」のは、何故でしょう?

やっぱり家庭に置ける母親不在が原因ではないでしょうか。

 

シンポジウムでは、大庭健教授が

 

「赤ん坊が親を信頼するような無条件の存在承認を、どのように模索していけばよいかというのが課題でしょう」

 

と述べておられます。

この大庭さんの提起を「倫理学者ならでは」とした上で

 

「無条件の存在承認なんて、求めても得られないし、なくてもよい。《中略》幼児的なまま大人になっても、要介護になってもOKな社会を作れば良いわけです。」

 

と仰る、ジェンダーの頭目(?)上野千鶴子さん。

でも、幼児的な大人が要介護になってもOKな社会、って誰がそんな社会で介護の担い手になるとお考えなんでしょうか、上野センセ。

大庭さんは、親の存在を無条件に承認する赤ちゃんの心のことを仰っているはず。

「無条件に承認してもらいたい」ではなく「無条件に承認したい」、心の底から他者を信頼したいという心理的欲求です。

 

物心つくまでの間、そのような安らかな心の状態をもたらしてくれる親が側にいることで、様々な他者に対しても安心して接して良いのだ、という信頼の態度が形成されていくのだと思います。

その一方で、自分が無条件で承認している親と言えども、実は自分を無条件で承認してくれている訳ではないことも学ぶことで、自己を抑制することも覚えていくのでしょう。

このように、他者との相互承認関係を当然として過ごしたあとで訪れる「青年期の逸脱」において、「攻撃衝動の対象」が他者に向くのは当然のことです。

他方、「青年期の逸脱」において「攻撃衝動の対象」が自己に向くのは、幼少期に無条件に承認できる他者を持たず、その承認欲求を自分にしか向けることが出来なかった結果とも考えられます。

 

ほぼ無条件に承認しあえるパートナー=親がなく、誰かを無条件に承認したい=誰かを心底信頼したい、という欲求が満たされることを求め続けて大人になった「幼児的なままの大人」がOKな社会には、その欲求を親でもないのに満たしてあげられる存在が必須となるはずですが、上野さんは「求めても得られないし、なくてもよい」と仰る。

ここに大きな矛盾があります。

 

香山リカさんも

 

「患者さんのなかにも、無条件の存在承認を求める人はいます。結婚すれば得られるのではないかとか、母はそうあるべきだとか言うのですが、それは幻想です。」

 

と指摘されていますが、「結婚すれば得られるのではないか」と思われているのは「他者からの承認」であり、「母はそうあるべきだ」というのは「他者への承認」であり、主客が異なる「無条件の存在承認」が混在していて聞く者を混乱させます。

確かに、これらの考えは幻想と言っていいでしょう。

しかし重要なことは、赤ちゃんにとっての母という存在は、母がどう自覚しようと、赤ちゃんの側にいる限り「赤ちゃんが無条件の存在承認を与える対象」たりえる、ということです。

お母さんが無条件の存在承認を与えなければならない、ということではないのです。

 

は、子供のそばにいられるか、母親の姿が子供たちにいつでも探せる範囲にあるかどうか、ということ。

 

大学の広告企画とはいえ、こういうことを否定するシンポジウムを、母性回帰な漫画「ひなちゃんの日常」を毎朝連載している産経新聞が掲載する・・・。

産経さん、どうせジェンダーの話を紹介したいなら、小難しい話に紙面を割くよりも、上野さんのジェンダーエッセンスがわかりやすく詰まった「ひねちゃんの日常」を連載して下さい。

 

 

このページのトップヘ