october sky〜遠い空の向こうまで〜

謎主婦・風信子(ヒヤシンス@nobvko)のブログです。宜しくお願いします♪

2011年03月

大学入試の結果報告と、大学での奨学金申請のための調査書の受け取り、そして高校のPTAが募っているリユースする制服を届けるために、久しぶりに高校に出かける支度をしていた長男。

そろそろ出かける頃か、と様子をうかがっていましたが、一向に動き出す様子がありません。

 

「10時50分の電車に乗るんじゃなかったの?」

「もう間に合わないから、次ので行くよ。」

「次の、って何時に出るの?」

「11時40分くらいに家を出る。」

 

ただでさえ本数の少ない電車が、計画停電の影響で一時間に一本になっているため、一つ乗り過ごしてしまうと次は一時間後となってしまうのです。

仕方なく早めのお昼ご飯を用意することに。

 

お昼を食べ終えた長男が、改めて出かける準備をするために自分の部屋に戻った後、テレビを見ながら次男坊と一緒にお昼を食べていると、使い終わったランドセルを被災地の子供さんに届ける活動をされている方のことが報じられました。それを見た次男坊、

 

「昨日の小学校の離任式にも、ランドセルを集めているおじさんが来てたよ。」

 

今年卒業した中学校の離任式の後で、小学校の離任式にも回ってお世話になった先生にあいさつした次男坊の言葉に、我が家にも次男坊が使っていたランドセルがかなり綺麗な状態でとってあるのを思い出しました。

はネットで小学校や役所のHPを開いて、ランドセルを集めていないか調べてみましたが、特にそのようなアナウンスはありません。

小池百合子さんが声をあげていらっしゃることを知りましたが、どうやら新しいランドセルを送って欲しいということらしく、リユースじゃダメか・・・と諦めかけていたところ、長男が通っていた高校の隣の駅にある商工会議所が、なんと今日を締切に募っていることがわかりました。

ちょうどいいから持って行ってもらおう!

エッ!? もう出かけちゃった!?

いつもグズグズしているのに、こういう時に限って・・・。

 

ところが、しばらくして長男が戻ってきたのです。

 

「リユースの制服を持って行くの忘れた。」

 

いつもだったら、また〜となるところでしたが、これでランドセルを持って行ってもらえる!

急いでランドセルをミンクオイルで磨き、次男坊が書いた手紙を添えました。

5〜6年のお友達に使って頂けたら。

 

一時間後、2つに増えたリユースの大きな袋を抱えて、長男は出かけて行きました。

夕方、ランドセルを無事届けたとのメールが。

ノンビリ長男も、こういう時にはとても役に立つと嬉しくなりました。

 

「無くなりそう」っていうと

「無くなりそう」っていう。

 

「危なそう」っていうと

「危なそう」っていう。

 

「もう買わない」っていうと

「買わない」っていう。

 

そうして、あとで冷静になって、

「大丈夫」っていうと

「大丈夫」っていう。

 

こだまでしょうか、

いいえ、誰でも

二段ベッドを掃除していたら、本田美奈子さんの『つばさ』のシングルCDが出てきました。

改めて聴いてみたらなんとも心地よい。

iZa!ブログに期間限定で載せてみたくなりました。

素敵な歌なのに、あまりヒットしなかったのでは?と思ったら、youtubeに多数ありました。

この野外で歌われていたのが一番素敵だったのでこれにします。

 

コメント欄を見たら、東日本大震災の復興のテーマソングにしたら?と思った方が以外にもいらっしゃったようでした。

 

 

マーリンの去勢手術は無事終わりました。

 

いつもお世話になっている動物病院では丸一日の絶食をさせなければいけないので、今回は半日の絶食で済む初めての動物病院でお願いしてみました。

アシスタントの女性が親切丁寧な方だったので、不安いっぱいに鳴いていたマーリンも大丈夫だった模様。

それでも、麻酔がとれてからの初めての食餌は、ほとんど口を付けなかったそうでビックリ。

なんでも好き嫌いなく食べるマーリンが!?

 

家に連れ帰ってからいつもの餌をあげたら、抗生物質のお薬を振りかけてたのにペロリとたいらげたので、マーリンにとって我が家はウチなんだ、となんだかとても嬉しかったです。

 

マーリンがいない間ずっと探していたアーサーも、マーリンが戻って安心した様子でした。

 

 

 

昨日は茨城県産のレタスを食べました。

今日は隣町まで片道一時間強の散歩件夕食の買い出し。

スーパーの品揃えが、段々ふだん通りに戻ってきています。

 

阿比留記者の記事で、ルース米駐日大使が23日、宮城県石巻市の避難所を訪問した際に

 

 「自然は人の命を奪うこともあるが、人の魂や思いを奪うことはできない…」

 

と述べたことを知りました。

こういう言葉を、哀しみに打ちひしがれてもなんとか堪えていらっしゃる被災者の方々にかけられる人、は好きです。

 

ところで、群馬で麻酔医をやっている弟は、計画停電が実施される中、なんとか手術をこなしている模様。

昨日の晩に、長男の大学受験の結末を知らせる電話をかけた時、大地震についての話も出たのですが、弟が以前勤務していたことのある千葉の海沿いの町が大きな被害にあったことを心配しながら、

 

「これだけの自然災害を経験すると、もうどんなことをしても結局は自然には勝てない、と思ったよ。堤防を作るよりも、もっと安全な場所に移住することを考えた方がいいと思わない?日本の大都市は全て海沿いにあるけれど、これからは内陸の、地震があまりない場所に作るべきだよ。」

 

と言っていました。

弟の言いたいこともわかるような気がします。

25歳の市職員の女性が、最後まで防災無線で避難を呼びかけ続けて、津波に飲み込まれたとの報道に絶句したという弟。

でも、日本に地震のない場所なんてあるのだろうか。

地震がなくても噴火があったり、海沿いでなくても台風や竜巻だって町を壊滅することはあるだろうし。

それよりも、堤防が、これまでの小規模な津波から、町を守ってきたことを忘れては行けないと思う

今回は千年に一度の大災害だったのだから。

 

弟との会話の後で知ったルースさんの言葉は、改めて心に沁みました。

 

今朝の産経新聞で、「子供の飲み水どうすれば」という記事を読みました。

ペットボトルの飲料水はスーパーでもネットでも品切れで、東京に住む子育て中の方々が大変な状況であることがわかります。 

 

「子供も生まれたばかりなので、非常に不安。いつになったら飲めるようになるのか」「どこに行っても買えない状況ならば、これからどうしたらいいのか」

 

これは、都内で生後2か月の女の子を育てている26歳の主婦の言葉。

一方、都内で1才の男の子を保育園に預けて働いている27歳の女性の境遇については、次のように紹介されています。

 

保育園から、園児の飲み水はミネラルウォーターを使うと連絡が来たという。

「食器などは水道水で洗うので心配な人は自宅から持ってきてほしいと言われた。急に『飲めない』と言われても非常に困る」

 

この方は園からミネラルウォーターを持参するように言われたのでしょうか。記事では

 

都内の別の保育園では対応を決め切れておらず、「園児分の飲み水を確保するのは大変。【後略】」

 

と続いているのをみると、27歳さんが赤ちゃんを預けている園ではかろうじて飲料用の水を確保できたようにも読めます。

だとすれば、少なくとも園に預けている限りは、安心な水を飲ませてやれるわけですよね。

もし、ミネラルウォーター持参になって入手困難だとしても、それは27歳さんに限ったことではないから「急に言われても困る」って言われても・・・自分の子供のことなのに・・・ウ〜ンなんか引っかかる。

それより何より、非常の時に赤ちゃんを他人に預け続ける不安、あるいはそんな時でも預かってくれる方々への感謝をなぜ口にしないのか不思議。

 

 

話は変わり、今日の正午発表だった国立後期は残念な結果となりました。

今はかなり落ち込んでいる長男ですが、気持ちを切り替えて、私立の大学で、自分が学びたかったことを思う存分学んで欲しいと思います。

夢に向かって。

逗子の母は、期間限定の同居人ができることをとても喜んでくれました。

 

 

明日は長男の後期試験の発表日。

昨日は、合格しなかった場合に入ろうと思っている私立大への授業料振込を完了させ、気持ちを落ち着けようと子供部屋の片付けを始めました。

猫が3匹になって以来、ますます手つかずになっていた息子達の二階の部屋は、カーテンも洗わず、猫の毛やホコリでかなり汚れてしまっていたのですが、先日の大地震で机の棚から物が崩れ落ちたのをきっかけに、春に向けて大整理となりました。
の後の度重なる余震もあってか、歩くたびにミシミシと軋むようになった床を踏みしめながら、いるものといらないものを選り分けること数時間、なんとか整えることが出来たのが夜の7時過ぎ。

 

巷では計画停電の最中だというのに、電気を付けてのラストスパートとなってしまいましたが、おととい購入した新しい教科書を机の前に並べて、次男坊も少し満足そう。

長男は、もしも私大になった場合、もしかしたら逗子の家から通うことになるのかもしれない、とようやく実感し始めて、不思議そうに自分の机を眺めていました。

はといえば、ホコリを吸ったり、子供部屋のクローゼットに仕舞っていた昔の手紙やら日記やらを取り出して、自分の部屋に運びながらあちこち読んでは思い返したりしていたもので、なんだかとても疲れました。

20年は、あっという間だったなぁ。

外で働いてた時と、家に入ってからでは、なんだか別人になってしまったような感覚。

でもなんだよなぁ。

お母さんになりたかったんだもの。

 

そしてなによりも、片付けている最中にも何度も大きな余震があったのに、なんとなく慣れてしまっている自分が怖かったです。


我が家の住む町はどうやら本当に「対象外」になったようで、16日から一度も停電していません。
夜の寒さはまだまだ大変なのに、本当に申し訳ないです。


今日、次男坊が入学する高校のある町に出かけて来ました。
先週に行なわれるはずだった入学説明会が、地震で体育館が壊れて中止となったため、教科書や体操服をそれぞれの指定業者に出向いて購入。

途中の道路はあちらこちらでひび割れ、駐車場は液状化して吹き出した砂に覆われていました。

教科書を扱う本屋さんのおばあさんの話によると、教科書を高く積み上げたなかで仕分け作業をしていた時に地震に襲われたそうです。

教科書が崩れ落ちるなか慌てて逃げた本屋さん、教科書が破れてしまったのでは・・・と心配されたそうですが、翌日確認したら無事だったので安心したと話されていました。

そのかわり、崩れてきた教科書でおばあさんの腕には痣が出来ていたとのこと。

千葉も海に近づくにつれて、被災の跡がはっきりと残っているようです。

3月3日に長男の私立高校で卒業式がありました。

『君が代』斉唱で始まり、テンポよく進行した式の最後は『仰げば尊し』と『蛍の光』の合唱。

 

『仰げば尊し』は、1番を卒業生、2番を在校生と教職員、そして3番を参加者全員で歌いました。

このようなスタイルで歌うことで、歌詞の内容が巣立つものと送り出すものの応答になっていることがわかり、思いのほかジーンと来て涙が流れました。

 

「今こそわかれめ いざ さらば」

 

この歌詞は、簡潔なのに心がこもっている、素晴らしい歌詞だと改めて感じます。

こうした歌を、卒業式で「普通に」歌わせてくれた「ぜいたく高校」、縁があって本当に良かった!

3年間お世話になりました。ありがとうございました。

 

 

さて、巷では歌うのが避けられているという『仰げば尊し』の2番の歌詞、「身を立て名をあげ」ですが、もどちらかというとあまり好きではありません。

 

「名をあげる」というのは「立身出世」を奨励するようだから、というのが日教組のセンセイ達に嫌われている理由だとのことですが、原案ではその部分の歌詞は「身をたて名をたて」だった、と今朝の産経新聞が『土日曜日に書く』で伝えています。

 

では「身をたて名をたて」の意味は?というと「りっぱな人という評判を得、その名を後世に伝えることができ、父母の誉れとなる」親孝行を説いたもの、とのこと。

これだと「身を立て名をあげ」との違いはあまりない感じ。

 

的には、「身を立て」は自分で立つ、ということでそのままでOKですが、「名をあげ」(「名をたて」)の部分は、「名もなく」にしたら・・・と思います。

ミスチル風?

 

 

さて、次男坊の公立中学の卒業式は、大地震のあった日の午前中にとり行なわれました。

校長先生は、式の前日に配布したプリントで、「本当は『仰げば尊し』を歌わせたかったけれど」とわざわざエクスキューズされてましたが、当日の式次第にはその歌のタイトルはもちろん無し。

代わりに、森山直太朗の『虹』という歌が歌われました。

 

その歌詞には

 

きらめく日々に 君はまた 指を立て

波のさざめきと うらぶれた言葉

遠い空を探した

 

というのがあります。

 

メロディーはまだ良いのですが、この歌詞には?(ハテナ)でした。

意味が分からない。

 

「指を立て」???

「うらぶれた言葉」???

 

どうしてこの歌を止めて、『仰げば尊し』にしなさい、と言えなかったんだろう?校長先生。

本当にそう思うなら、そう出来る立場のはずなのに。

やっぱり嫌じゃないんじゃあ???

 

こういったことからも、全共闘世代の大人たちには信頼が置けないと感じるです。

 

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