october sky〜遠い空の向こうまで〜

謎主婦・風信子(ヒヤシンス@nobvko)のブログです。宜しくお願いします♪

2012年06月

信西、清盛のこと信じちゃってるなぁ。

それに比べて清盛の、腹に一物ありそうな意味深な表情。

そぉ来なくっちゃ!

やっぱりそう描いてくるんですね、この物語では。

純粋だった清盛が、最後にはあれ程嫌っていた白河法皇のような人物になってしまうのでは・・・と予想される、実にわかりやすいプロットで来るんだろうなとは思っていましたが、ドラマでこれほどまでに緻密に「もののあはれ」を表現出来るとは!

想像以上です。

「ただ出世を目指した主人公の物語」なんて単純なドラマのほうが、視聴率とれるんでしょうけどネ・・・今のご時世。

 

一方で、繊細で賢い母親(明子)似の長男・重盛は、これから本当に大変そうだなぁ。

注:ルックスは次男の方が似てますね。

 

今朝の産経新聞。

生活欄の『賢く節約まる得のススメ〜児童手当〜』には、次のような記述がありました。

 

「共働きの夫婦では収入の多い方が基準になる。世帯の収入は問われないため、例えば、年収1千万円のサラリーマンの夫と専業主婦の妻、子供2人の家庭は制限を受けるが、共働きでそれぞれ年収500万円だとすると満額給付されるという『矛盾』も抱える。」

 

 

ホント、矛盾してます。

でも、この例えじゃなんかインパクト薄いなぁ。

記事の表によると、共働きで子供2人なら、どちらか収入の多い方が917.8万円以上だと所得制限になるそうですから、夫婦それぞれ900万円の年収があっても、つまり世帯年収が1,800万円であっても児童手当は満額給付になる、ってことでしょ。

一方、同じ表で専業主婦/夫のいるサラリー(ウー)マン世帯で子供2人のケースを見ると、960万円が所得制限を受ける目安の年収となってます。

 

つまり、

 

世帯の収入は問われないため、例えば、年収960万円のサラリーマンの夫と専業主婦の妻、子供2人の家庭は制限を受けるが、共働きでそれぞれ年収900万円=世帯年収1,800万円だとすると満額給付されるという『矛盾』も抱える。」

 

ってことですよね

こんなハッキリとした矛盾を、なんで薄めて表現しちゃうかなぁ・・・???

まさか、共働きでそれぞれ年収900万円の記者さんやシンクタンカーさんたちが、この記事書いてる?

 

あぁ〜、本当に早く日本も、税や社会保障を世帯収入で考える『公平』な国にならないかなぁ。

ちなみに我が家は駆け出しの自営業で、2人の子供は高校2年と大学2年の対象外です。

 

7〜8年前から、には珍しくずっと観続けている海外ドラマ『デスパレートな妻たち』。

あり得なさと有り得る感の、絶妙なバランスに最初からハマってしまったんですが、4人の主役主婦の中でも一番共感して観ていたのが筆頭主役のスーザン。

外見の美しさとは裏腹に、暢気でマイペースな役どころの彼女のやることなすことが、放映当初のNHKBS公式掲示板の「正しい」奥様たちの非難の的でした。

でも、的にはスーザンの行動はなんとなく納得できることばかり。

 

お金ではなく、愛する人と結婚して家庭を築くことが大切なんだと気づいてからの彼女が、このドラマでは描かれているんですけれど、家族への愛情の深さや友だちへの思いやりに、観ているこちら側がハッとさせられることが多かったんです。

 

で、新しい夫のマイクは配管工なんですが、真面目に働けば働くほど積もっていってしまう借金を返済するため、大切な家を人に貸してウィステリア通りから別の家へと引っ越していったのがシーズン6の終わり辺り。

それからはヒヤヒヤしながら観ていましたが、今週スーザンが事故で片方の腎臓を失い、もう1つの腎臓も生まれつきの奇形で機能が充分でないため、いきなり透析生活に入ることになる、というのを観て、もう他人事に思えないほど感情移入。

いつか近いうちにそうなる(と思われる)と、あまりにも近い存在になってしまった。

そういう境遇の人ってそんなにいるとは思えないのに、筆頭主役の置き方として大丈夫なんでしょうか。

マーク・チェリーはどうしてそうしたんだろう???

 

「4〜5年は透析を続けることになる」って台詞があったけれど、アメリカでは移植は普通に期待されてることなんですかね。

ってことは、誰か「身近な人」の腎臓がスーザンに移植される、という展開がラストに向けて用意されているのかなぁ。

 

 

 

『鍵のかかった部屋』の主人公・榎本は、30歳。

でもには、あの何事にも動じない落ち着き払った態度は、仙人に見える。

ハッ!『名探偵コナン』は高校生が小学1年の男の子になっちゃうお話だけど、『鍵のかかった部屋』はおじいさんが30歳になっちゃってるお話だったりして!?

そう思ってみれば、何事にも真面目なヒロイン・青砥さんは毛利蘭に、テレビ取材の前で空威張りしちゃう芹沢弁護士は蘭の父親・毛利小五郎に見えてくるし!

って、「最終章」にとっくに入ってるのにそういう伏線は全く描かれてないから、それはナイか。(笑)

 

それにしても的にひっかかるのは、「最終章」という言葉。

今朝の産経新聞の「週間視聴率トップ30」の欄にも、「ドラマは、TBS日曜劇場『ATARU』が最終章に向けて初回(19.9%)につぐ17.1%まで伸ばし」なんて風に書いてあったけど、なんかピンとこないんですよね。

日本のドラマは1クール(3ヶ月)しか続かないのがほとんどなのに、最後の2〜3回をわざわざ「最終章」なんてもったいぶって呼ぶ必要があるのかなぁ、って。

ちなみに今季、視聴率の良い『梅ちゃん先生』も『ATARU』も『リーガル・ハイ』も観てない

気に入ったり気になったりでずっと観たドラマは『鍵のかかった部屋』以外どれも視聴率が振るわず、「最終章」が「最終回」にギュッと圧縮されちゃったものばかりでした。

 

昨日の『平清盛』は重かった。

共感しすぎて、しばらく引き摺りそう。

 

人は基本、それぞれがマイノリティ。

 

なのに、組織や集団に関われば”やらなければならないこと”を突きつけられ、そうできない、したくない自分に苦悶する。

 

普通はそういうことを繰り返すうちに、対峙するよりもずっと楽だからと”大きなもの”に巻かれてしまうのだろうけど。

 

でも『平清盛』の清盛には、叔父とその息子たちの命を絶たねばならなかったという過去を、あの時は仕方が無かったと割り切るような人物にはなってほしくないなぁ。

 

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