前にも書いたように、勝手に 『無限のリヴァイアス』と『純と愛』を重ねて見ていた『僕のいた時間』。
最初はそれでも主人公の澤田拓人の表情が、なんでこんなに愛(いとし)君役の人と似てるんだろうと不思議でした。
ラストで医学部を目指し合格した主人公には、本当言うとどこか違和感を覚えた私。
ここまで自分の想いを考え抜いて、常人ではなかなか決断できない「表現することができない状態で生きていかなければならないことを覚悟の上で、人工呼吸器をつけて生きていく」ことを選択した主人公。
ならば、進みたい道は医学部ではなく文学部哲学科だったのではないか、と。
様々な部位の筋肉が死滅していき、やがては表情もなくなり、あらゆる表現手段が断たれて、そばに居てくれる人とのコミュニケーションがほとんど不可能となってしまうかもしれない病。
それでも、そうなった時にはそれまでの自分の生きた時間が自分を支えてくれるのではないかと想い至って、そのためにも一日一日を精一杯生きていくことを選んだ拓人のような境地には、私はまだ当分なれないだろうとも思いました。
主人公は男子。
支えるのは女子。
って図式はお話として仕方ないのかもしれませんが、支える女子であるメグの葛藤が、ほとんど描かれていなかったことも残念と言えば残念。
というよりも、1クールでは短か過ぎたんでしょうね。
2クールくらい使って、職場の人の葛藤とか、繁先輩の葛藤、拓人とメグそれぞれの家族の葛藤、そしてそばにいるメグ自身の葛藤をもっと丁寧に描き出せたら良かったのになぁ。
それでも画期的なドラマであったことに変わりはないのですが。
主人公が至った境地がどれほど過酷な選択であったか。
当事者の方々でないとその過酷さは本当にはわからないのかもしれませんが、まだその境地に達していない、これからも達しないんじゃないかと思う私なのに、観終わった後もあれこれ考えてしまいます。
そんな感じでネットの感想欄を見ていたら、メグが鉢植えに蒔いた種はドングリ、とあってビックリ☆
あれ、ドングリだったんですか!
確かめようともう一度観てみたけれど、メグの手元がよく映ってなくてわからない★
でも生えてきた樹の葉のあの形は、たぶんドングリ☆
手元にある『ドングリと松ぼっくり』という本で確かめました♪(笑)
なぜドングリ?
メグと拓人は余ったドングリを埋めちゃうrisだったりして。
そういえば二人は手紙を封入したワイン瓶を砂浜に埋めてましたから、埋めて取り出すのが好きなんですかね、やっぱり。(笑)
さて、予告を観るまでは主人公役の人に不安を覚えていた朝ドラ『花子とアン』。
さきほどnobvkoの夫が録画しておいてくれた土曜日の番宣を観ました。
いいじゃないですか!!(←何様)
流石中園ミホさんのいろいろ盛ってて(?)面白そうなストーリー♪
おまけに音楽が梶浦さんだなんて!
来た〜♪ 楽しみです。