october sky〜遠い空の向こうまで〜

謎主婦・風信子(ヒヤシンス@nobvko)のブログです。宜しくお願いします♪

2014年04月

修和女学校に入学までに、『アンの夢の家』の中でアンの「キンドレット」の一人として描かれる女性・レスリーの境遇と似た経験をしてきた蓮子さん。

『花子とアン』では、葉山蓮子なる華族の令嬢を花子の「腹心の友」とおいているようです。

一方、ダイアナを連想させる醍醐さんのことを、いまのところ花子は「腹心の友」として見てはいない様子。


ところで、モンゴメリは「腹心の友」と「キンドレット」をどのように描き分けているのでしょう。

『赤毛のアン』の原書では、bosom friendとは何かと問うマリラにアンは、kindred spiritすなわち同じ魂を持つ者であると答えています。

つまりこの時点では、bosom friendとkindred spiritは同義なのです。

しかし、2巻目の『アンの青春』以降ではbosom friendという言い方が見られなくなり、kindred spiritsという表現しか出てこなくなります。
 

村岡さんは、『赤毛のアン』ではbosom friendを「腹心の友」「親友」と訳し、kindred spiritsを「気が合う」「ほんとうの仲間」「本気」「心が通じあってる」「腹心の友」「腹心」「腹心の人」「自分と共通の好み」」などと様々な表現で訳していますが、2巻目以降はkindred spiritsを「同類」と訳すようになります。(2巻の最初に一度だけ「同じ型」と訳しています。)


kindred spirit同士は初めから気が合う者同士であり、そんな間柄のダイアナとアンはさしたる衝突もなく友情を交わしてゆきます。

他のキンドレットたちとの間でも、アンは一切衝突を起こしていません。

それに比べ、『花子とアン』で腹心の友同士と描かれている花子と蓮子は、出会い頭に衝突しています。

まるで、石板事件を起こしたギルバートとアンのように。

中園さんはモンゴメリとは異なり、ぶつかりあった先に生まれる強い絆で結ばれた間柄こそが、腹心の友であると描こうとしているのかもしれません。


そのユニークな感性ゆえに、世間との折り合いの悪さを感じる幼いアンが、ひとり遊んでいた想像の世界の外で初めて出会った生身のキンドレットを、からだの実感を込めて「腹心の友」と呼びたくなったのは決して大げさなことではありませんでした。

マリラやギルバートのように、世間の側からアンとのアウフヘーベンを生み出す者たちとの、緊張と衝突、そして変化と深化に挫けずにいるためには、キンドレットたちとの間に感じる安らぎは大切な拠り所となります。

そう、いつでもそばに居て見守ってくれる母親のように。

kindred spiritsが「アン」の物語の本質である以上、モンゴメリがアンに世間的な成功ではなく母となる道を与えたのは当然のことでした。


さて、中園さんは花子にどんな道を歩ませるのでしょうか。

 

先週の土曜日にスタートした『弱くても勝てます』。
オンタイムではなぜか入っていけなくて、観るのを止めちゃおうかなと思ったんですが、録画しておいたのを先ほど観てみたらなんだか面白い。
理由はよくはわからないんですけど、妙にツボにはまる台詞がいくつかあって、何度も笑ってしまいました。
真面目で理屈っぽい、それでいて素直な会話が独特のユルさを醸し出して良かったのかも。

思えば河野プロデューサーの手がける作品にハズレなし。←にとって。
『野ブタ。』に弟役で出ていた役者さんもへっぽこ野球部に居て、 嬉しいです。

私は中学の時に2年間、米語(とちょびっと南米語)の世界に放り込まれた経験があるので、幼いはなちゃんの戸惑う姿はあの時の自分だと感じます。 きっと校長先生はわかってたんだと思いますよ。 はなちゃんがどうやってこの急場をしのぐか、彼女の知恵を試したんだと思います。 強面のお顔が印象的なブラックバーンさんですが、今回はずいぶん優しい目をしていました。 きっと恋の歌を丸写ししたって思ったのかもしれません。 これを不正なんて強い言葉で否定しては、子供は何も学べません。 幼い頃は、何事も人まねから入るのが当然。 でもはなちゃんは、自分が夢中で飛びついた後で、狡いことをしてしまったことに心苦しさを感じて反省し、言葉が通じないのを承知でスコット先生に謝ったところが彼女らしくて素晴らしい。 あっそうそう、私の友達も短い期間でしたが米国にいて、英語歌をすぐに覚えちゃったみたいです。 私には到底ムリだったので、耳のよい(音感に優れた?)人っているんだなぁと驚いたことを今でも覚えています。 そういう人がやる気を出すと、英語もあっという間に上達するんでしょうね。

〈YAHOO感想欄より転載〉

社会進出して仕事を優先し、結婚や子供を産むことを先送りしたあげく、産めなくなってから産めないことを社会のせいにしようとする「キャリアウーマン」。

結婚しても、職場で新たな出会いがあれば共に過ごす時間の多さから、結婚生活の方がうまくいかなくなるリスクが増える、ということを想像しないで男女共同参画を提唱し続ける「大人」。

大きな組織で活躍することを夢見て、要求される「期限」に間に合うための「
時間稼ぎの不正」を重ね、そのことが社会から暴かれると「未熟だった」と謝罪し、その組織から理不尽なことをされても所属し続けるために気を遣い、自己の確固たる倫理観を確立しない「研究者」 。

どうすればどうなるのか、その辺のことを
本当に考えていなかったの?
30歳を過ぎても本当にそれほどの初心(うぶ)でいられる?
っていうか、その程度の知力?

さて小保方さん。
本当に「社会のために」 と望んでおられるなら、理研の利益を優先せずにSTAP細胞の作り方をネットで公表してはいかがでしょう。

未熟だから不正に手を染めたのではなく、単なる「かまとと」だからではないでしょうか。
知ってるのに知らないふりをしてたんです。
そして本当の「子供らしさ」がまだ残っていたからこそ、STAP細胞を発見できたんだと思いますよ。

理研は小保方さんを本当の意味では守ってくれないと思いますよ。
 

2週目に入った『花子とアン』。
給費生として修和女学校に入学した
チビはなちゃんが、居並ぶ
先生方にのっけから「花子とよんでくりょ」と言ってのけて、でも
隣に居たお父さんがすぐに「はなでいいです」って言い足したところでと長男が大爆笑。
1週目でくどいぐらいに「はなではなく花子と
よんでくりょ」と言っていたのが見事に効いてきたようです。
白鳥さんの「かをるじゃネェよ、かをる子だよ!」が早く観たい♪(ナイ)

そんな(どんな?)白鳥さんがかすんで見えるほど、強烈なキャラが続々(ぞくぞく)登場したことにもぞくぞくっとした。(笑)
貿易会社社長令嬢という、花子と同期入学の醍醐(だいご)さん。
これは文句なくダイアナなんでしょうね。
で、的にツボだったのが校長のブラックバーンさん。
黒い衣装と厳格そうな表情
ちょこっとマリラっぽい?
でももしかしてもしかするとこの方は、シャーロット・ブロンテの『ジェイン・エア』に出てくるローウッド寄宿学校の経営者・ブロックルハーストをモデルにしてる!?
名前と役回りが似てるような。
どちらのお名前もランカシャー地方由来だそうですし。(こちらこちら参照)
そして、
優しそうな寮母・茂木のり子先生の名前は、「前途洋々」が花言葉のマグノリア(タンサイボク)っぽい響きですが、モチーフにしているのは『ジェイン・エア』の慈愛に満ちた寄宿学校の先生・マリア・テンプルだったりして。
もしそうなら、この朝ドラ凄い。
『赤毛のアン』だけでなく、シャーロット・ブロンテの『ジェイン・エア』もオマージュしてる!?
モンゴメリがシャーロット・ブロンテ自身やオルコットの作品をオマージュして描いたのが『赤毛のアン』っていうのは、的にはもはや定説なんですけど(笑)、中園ミホさんはモンゴメリを継ぐお方!?
(詳しくは『真実の赤毛のアン』https://sites.google.com/site/anneskindredspirits/ をご参照下さい♪)



幼いジェインが寄宿舎生活を送ったローウッドは寒くて食事も粗末なひどい学校でしたが、花子が生活することになった修和女学校は最新の設備(スチーム暖房!)とおいしい食事で、戦前なのに凄いなぁとどこか安心しながら観ていられます。

今日の午後、テレ朝でやってた旅番組。
テレ東で、太川陽介と蛭子さんが路線バスを乗り継いで旅するっていうのがありますが、こちらはその鉄道版。
旅するメンツは、爽やかさもコミカルさも何もナシの石原良純、花田虎上、宇梶剛士の中年三人男で、番組タイトルは『ローカル鉄道オヤジ旅』。
このタイトル、千葉ローカルのチバテレで毎土曜の夕方やってる『熱血BO-SO TV』のコーナー企画「ローカル鉄道オタク旅」のモロパクリじゃあないですか!?
タイトルといい、テレ東の企画をちょこっと捻るだけという安直さといい、小保方さん@理研の向こうを張ってますね、テレ朝さん。
さて、その後しばらくして今度はチバテレにチャンネルを合わせたらやってた『カラオケ大賞21
司会は湯原昌幸さんで、審査員には岡千秋さんの姿も。
出場者全員が歌い終わり、番組を締めるゲストとして紹介されたのは、なんと岩崎良美さん!
タッチの岩崎良美を呼べるなんて、やるじゃんチバテレ!と思ってたら・・・知らんでこの人。
もうひとりカラオケ挑戦者が残ってたの? と思いきや、「岩崎よしみ」さんという習志野のご当地歌手さんでした。
そんなわけで、次回予告のテロップにあった「城之内早苗」も、あの城之内早苗さんかどうか油断できません。(笑)

は、全体的な印象として、どの方の訳よりも村岡花子訳が好きです。
村岡さんが全訳ではなかった、というのは、出版上の都合もあったのではないでしょうか。
いくつかの箇所で、全訳と村岡訳を読み比べる機会がありましたが、全訳していないからと言って特になにかが大きく損なわれているとは感じられませんでした。
例えば、山本史郎さんが唱えているという「ラストのマリラの告白の欠落」問題にしても、こんな文章を『モンゴメリ書簡集I』に見つけました。

「(『赤毛のアン』への書評について)ある批評は当を得ています ─ いわく、末尾の部分はあまりに「貧弱かつありきたり」なので、初めの三分の二の「新鮮さと独創性」とのつり合いがとれていない。」

西洋文学に通じていた村岡花子さん。
ひょっとすると、『赤毛のアン』のラスト部分をこのように感じて、マリラの告白を大幅に省略されたのかも!?

が書いたのは2010年4月。
今は無きiZa!ブログでの、コメントを下さった方とのやり取りの中ででした。

今週の月曜日から始まった朝ドラ『花子とアン』の、山梨の風景の向こうにアンの居る「想像の世界」が広がっているというオープニング映像は、観ていて共感します。
プリンスエドワード島に行っても、アンの世界があるわけではないですからね。
村岡さんの生涯に題材を得ながらも、赤毛のアンの物語をなぞりながら虚実織り交ぜて繰り広げられる中園ミホさんの空想世界。
チビはなちゃんと呼ばれている(らしい)主役の女の子は、なんだか『河童のクゥ』みたいで愛らしいし、これからの展開も楽しみです。

で、前から思っているんですけど、朝ドラって前半の3ヶ月間が面白いものが多いような。
が好きだった傑作『カーネーション』や意欲作『純と愛』も、あれほど「新鮮で独創的」だった前半の出来と比べて、後半は観ていて蛇足に付き合わされているようで、もどかしかったんですよね。
村岡花子さんが『赤毛のアン』を訳す際に、山本史郎氏言うところの「マリラの告白」を大幅にカットしたのも、もしかすると「貧弱でありきたり」だと感じたからなんじゃないかなぁ。
ラジオのお仕事もされていた村岡さんには、モンゴメリを得心させたイギリスの書評家のようなセンスがあったってことではないかと思うです。

で、提案なんですけど、朝ドラ放映期間を3ヶ月に短縮、なんてのはどぅでしょう?
やっぱりムリ?

 

世間で注目を集めるSTAP細胞論文疑惑。
研究者がコピペはいけないでしょう、というのは今でも正論だと思っているですが、とはいえ速度を求められちゃう理系世界では残念ながらコピペとか判りやすさを求めた改ざんはもはや当たり前のことなのかもしれません。
だったら理研も同罪ってことだし、大学も学生への教育を改めなければならないってこと。

で、ここからが本題なんですが、今さらながら小保方さんの誕生日を例の『誕生日事典』で調べてビックリ★
彼女は6月29日生まれとのことですが、この日生まれの人は

「子供っぽいふるまいをすることがしばしばあります。すばらしい若々しさがあり、無邪気であけっぴろげで、人を魅了します。そんな外見に似あわず、巧みにお金を儲け(そして使い)、競争の激しい業界で立派に身を立てます。」

なんだそう。
う〜ん、なんだか割烹着姿で人前に現れた彼女らしいし、現に高給取りであることにも納得!?


「空飛ぶ夢想家。【中略】人生の目標は夢を実現させる事です。夢を現実のものに変える神秘的な力があり、それをみんなに分かちあおうとします。
【中略】幸いにも、計画を成功させるだけの資金を準備する力もあります。得意分野についてすばらしい専門知識をもっていることはおりにふれて外にあらわれますが、あまり多くを語らないので、自分のやり方を人に伝えたくてもなかなかうまくいかないかもしれません。しかし、作りだすものの質の高さは誰の目にも明らかで、楽々やってのける様子に、上司や同僚や従業員から『魔術師』と呼ばれることもあるでしょう。」

もしこれが当たっているとすると、小保方さんは本当にSTAP細胞を作ったのかも。なんて思えてくる
「やり方を人に伝えたくてもなかなかうまくいかない。」ってところも納得。(笑)
そして注目すべきは、この日生まれの人は「何にもまして、真実を求める人」だということ。

「偽善をえぐり、うわべだけの権威を許さず、見せかけの努力を暴きます。目標を立てて達成した暁には、それが宇宙の本質を明らかにするもの、少なくともかなり完成度の高いものであってほしいと願います。」

というのが当たっているのならば、理研と刺し違えて欲しいなぁ。

 
2020年7月13日追記:wikipediaに寄れば、小保方さんのお誕生日は6月29日ではなかったようです。
したがって上記記事には何の関連も無くなりましたことをご了承くださいませ。(遅すぎでスミマセン)

それにしても、何で6月29日という間違い情報が出回ったのでしょうか。
今更ですが
間違い情報の数字でカバラを計算してみたところ「11」となり、何だかとても恣意的な情報であったと思われます。
誰が何を操作しようとして流されたものなのかはわかりませんが。


『ありのままで』を歌い上げるエルサは、ある意味、開き直り&強き全開!!

でもその心の中は・・・そして妹であるアナが駆けつけて・・・っていう展開なんですよね。

だからMay Jさんの「ありのままで」は全編が終わってエンドロールで流れたので納得でしたが、肝心の本編で流れる松たか子さんヴァージョンはなんかシックリきませんでした。


明るく健気で。
というか健やか過ぎる!


話はちょっと飛んでしまうのですが、は前々から森見登美彦さんの描いた『有頂天家族』の弁天を実写で演じられるのは松たか子さんだ!と思っていたクチ。(なんだそれ)

だから、余計に英語詞のような「開き直り歌」を彼女に力強く歌って欲しかったなぁとちょっと残念でした。


一緒に行った次男坊は、今回のディズニーのキャラの動きや台詞まわしが日本的で、前半は面白くなかったと言っていました。

私もアナが、姉であるエルサを思いやったり自分を控えめにして相手を立てて話す様が、日本人の様だなぁとちょっとビックリ。

二人の王女の眼がやたら大きいのも、どちらかといえば日本チック!?

でも表情はまさにアメリカ!

レディが口をひんまげてしゃべるところなどは、なかなか面白かったです。

そして盛り上げ方も半端なく素晴らしかった。
流石ディズニー!


もともと自信に満ちてる(というか満ちていたい?)アメリカ人にとっての今的テーマは「自らの力を押さえつけるのではなく使いながらコントロールしていこう」という感じではないかと思った我が家。

でも控えめであることが美徳である日本人にとっては「まずは自分に自信を持って!」ということがテーマになりやすいから、あの明るい松たか子さんヴァージョンの「ありのままで」の歌詞になるんだろうなぁと勝手に分析しました。


・・・でもそうしてしまったことで、映像からは嫌でも(?)伝わってくるトナカイ少年とアナのハッピーエンドが、日本語で観た人たちには「アナの(そしてエルサというダブルヒロインの)自立」に映ってしまったようで、テーマがかなり歪んでしまったのではないかと思う
例えディズニーの重役であるミルスタイン氏が「観る方がそれぞれに解釈できるような作品づくりを心がけています。観た人それぞれが自由に解釈できるのが優れたアートの醍醐味ですから」と話されていても。(笑)


『アナと雪の女王』を観てきました。

心奪われながら夢中で見ている最中、これはやっぱり字幕版で観れば良かったかなぁとちょっぴり後悔した

最初にテレビで松たか子さんが歌う明るい主題歌を耳にして、その後でネットで映像も合わせて見た時に、これは日本語歌詞とは異なることを英語では歌ってるのではないかなぁと思った我が家。

だって歌ってるときのエルサ(氷の女王)の表情は、解き放たれた歓びではなく、どこか投げやりなものだったから。


本編を観て、


ありのままの~姿見せるのよ~


という前向きな決意ではなく、やっぱり開き直りの


このままで~いいの~私をほっといて~


だったんだと再確認しました。


エルサが妹アナとの愛情を取り戻したラストも良かったし、アナと王子の「似た者同士」が結ばれるお話ではなく、アナとトナカイ青年の「ぶつかり合うもの同士」が結ばれるお話だったのも、的には良かったなぁ。


あ、そぅそぅ小保方さん!

どうせならこの際、開き直られてみてはいかがでしょう。


私だけじゃないでしょ!

みんなコピペでやっつけてたでしょ!


って、ありのままに。

「ゆとり教育」を全否定して成果や評価を急ぎすぎる人たちに、強烈な一石を投じて下さらないかなぁ。


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