october sky〜遠い空の向こうまで〜

謎主婦・風信子(ヒヤシンス@nobvko)のブログです。宜しくお願いします♪

2014年07月

『花子とアン』で描かれた二組の「不倫」は、現代ならばそうならずに済んだはずの人たちの間での、仕方のない出会いだったのだと思って観ています。

改めて自分の意思で、自由な結婚ができる現代に生きていられる幸せを実感。
えっ!?今でもあの頃と同じ家柄優先で結婚してる人たちもいる?
それから、あの時代は当たり前だった豊かな層の乳母制度。
あれ?今でもやっぱり預けちゃってるのかな?豊かでも?
なにはともあれ、花子たちが自分たちの手で子供を育てようとしている姿には共感します。
そうそう、一昨日の宮本の命名案にあった「純平」と「愛子」。
観てすぐにわかりました♪
そして、とうとうあれが来てしまうようです。
郁弥さんの愛が、結果としてかよを救うことになるのでしょうか。

「本当に嫌」

久しぶりの遠出に心躍らせていたのもつかの間、一気に谷底へと突き落とされた気分だった。

「お母さん、こういうことよくあるよねぇ」

半ば呆れたように笑いながら、夫は妻を慰めた。 

「でも、病院に行く時でも混んでる電車でお年寄りが前に立ったら席を代わるのは普通にやってるのに。そもそもレディファーストって言葉知らないのかなぁ、あのオヤジ。日本人には求める方がオカシイか。」
「あぁ言う人を惹きつけちゃうんだよ、お母さんはきっと」
「何それ。やだやだ。せっかくの外出が台無しになりそう。」

なぜか涙まで溢れて来て、理不尽な出来事に電車を降りてから震えが来た私。

「最後は後悔してたみたいだし、気にしない気にしない。」
「そうかなぁ。妖怪みたいな顔してたよ。奥さんも。言うならもっと若い人に言って欲しい」
「お母さんよりずっと若い女性もいたのにねぇ」
「小保方さんみたいな風体の女性には、その手のオヤジってけしかけないのよ。それに何よ、52って。私35歳前後からずっと自分は中高年だと思って生きて来たのに、実年齢より老けて見られるのはやっぱりショックだなぁ」
「あぁ言うしかなかったんじゃないの。今日はお母さんの好きな作家さんがどんなところに住んでるのかを見に、こうして楽しみに出かけてきたんだから、そんなこと早く忘れてしまいなよ」
「まぁ『推定』ですけどね」

何度か電車を乗り換えて、川沿いの初めての街に降り立った私と夫。

「あれ、我が家が通ってるのと同じスーパーがある。」
「ほら!同じ地元野菜が並んでる。値段も同じだ♪」
「なんだか親近感♪」

向かい側にスカイツリーが見渡せる川沿いの土手には、ランニングの人がまばらにいるだけ。

「こういう風景が、あのお話を書かせたのかと思うと面白いね」
「もしかしてこの小さなマンション?だとすると、っぽいんだけどね。」
「わからないよね」

それでも、なんとなくその作家さんのお話世界に通じるものを感じて満足した私たちは、また頑張ろうと決意を新たにその街を後にしました。

やっと来た。
年金暮らしで先行きが不安なのか口うるさい古女房とじっと家にいるよりも、時にはこうして出かけた方が何か面白いこともあるに違いないと重い腰を上げた土曜日の朝。
初夏の風の中、空港から走って来たその真新しい車両にも優先席があるはずだ。
俺は足が悪いし、女房も歳を取っているのだから、当然の権利を行使するまで。
見ると両端にボックスシートになっている。

ところが何と!
そこにはとんでもない先客がいた。
若くはないが白くて透けた、どう見ても若作りの上っ張りを身に着けたまだ元気そうな女が、何喰わぬ顔をして窓際に座っているではないか。
情けない!
嫌な時代になったものだ!
俺は通路側に腰掛けると、向かい側に腰掛けた女房にも聴こえるようにと大きな声でその若くはないが優先席に座るにはずうずうしすぎる年齢の女に言ってやった。

「あんた、まだ若いよねぇ」
「???」

その女は困ったような驚いたような風でこちらを見ると、前に座っていた旦那らしき男に目線を送った。

「あんたこの席がどんな席だか分かってる!?」
「・・・」
「優先席だよ、優先席!あんたたちみたいなのは座ってちゃいけないの!」
「そうそう、困るのよねぇ」

女房が相づちを打った後、しばらく沈黙が続いた後でその若くはないがずうずうしい風体の女が俺の方を向いてこう言った。

「あなた、ずうずうしい方ですね。お年寄りの方がいらしたら、ちゃんと席を代わりますよ。」

声は静かだったが、あきらかに怒った眼をしている。
だから俺はもういちど言ってやった。

「ここは優先席!あんたたちみたいなのが座ってると、年寄りが座れなくて困るの!」
「大丈夫です。そういう方がいらした時は席を代わりますから、そんな風に勝手に決めつけないでください。」
「何?だからぁ!若いのが座ってちゃ年寄りはあきらめちゃって余所へ行っちゃうんだよぉ!」
「私も駅に着いたら入ってくる方たちを見ています。必要に応じて席も代わります。先ほどまでは車内もずっと空いていて、私は久しぶりの遠出だったので景色の良く見えるこの席に座ってみたんです。それだけのことをこうして非難されて気持ちが悪いです。」

片側にいた旦那と思われる若くはないが白髪まじりの男も、気持ち悪いほど落ち着き払った様子だ。
そいつが笑みを浮かべながらこう言った。

「もっと信頼してください」

「信頼!?へん!時代は変わっちゃったのかねぇ。俺は軍国少年だったから、絶対に席に座ったりなんかしなかったのによぉ」
「なら、どうして私にそんなことをおっしゃるんですか。あちらに座ってるもっとお若い女性にそのようにおっしゃらないのはどうしてですか。」

俺は少したじろいだ。
確かにこいつに話しかけたのは、なんとなく説教しやすそうな雰囲気があったからだ。
このくらいの歳の女に道を説いてやれば、女房の日頃の鬱憤を晴らすのにもちょうどよい機会だとなんとなく思ったし。
なのにこんなに反論して来るなんて、ちょっと想定外だよ。
眼を白黒させていると、電車はいつの間にか隣駅に着き車両から人が降りて、優先席にも空席が出来た。
そこに若い男がすっと座った。

「・・・ふ、ふん!そうか。俺が悪いってことだね。時代は変わったということだね!」
「・・・そういうことではないと思いますよ。人それぞれ、事情があるんです。」

その若くない女は努めて冷静になろうとはしているが、明らかに怒った眼でそう俺に言った。

「私たち、何歳くらいに見えますか?」

突然、向かい合わせに座っていた若くない旦那がそう聞いて来たので、俺は少し慌てながらも冷静に

「・・・52?」

と言ってみると、そいつらは互いに眼を合わせて困ったように笑いながら


「そうですか」

と言って、次の駅で降りて行った。
最初はもっと若いのかと思ったんだけど、話してるうちにこいつら思ってるよりもずっと歳取ってるんじゃないかと思えて来て、それじゃあこちらのスジが通らなくなっちゃうから一応52歳って言ってみたんだけどね。
本当は何歳だったんだろう。




 

大満足の初回

面白過ぎて大満足の初回でした。
前回の単発スペシャルの時は、狙い過ぎていて私的にはクドい感じがして残念でしたが、今回のは最高♪
暑い夏を乗り切るためのお楽しみが出来て、嬉しいです!!

〈YAHOO感想掲示板より転載〉

このドラマの田村正和さんを観ていたら

2006年TBS放映の日曜劇場『誰よりもママを愛す』を思い出しました。
様々な問題を抱える子供たちを父親としてしっかり支える専業主夫・正和さんは本当にかっこよかった。
だからでしょうか。
今回松たか子さん演じる35歳の娘への距離感には、なにか危うさを感じてしまいました。
「病気の発作がある娘への愛情の掛け方」には、もっと別の表現があるはず。
何より、バカリズムさんを娘の恋人だと勘違いして「気に入らない」と言ってしまうお父さんが、ラストで娘が出会うことが出来たカッコいい彼氏には「気に入った」とご満悦な場面には、妙な嫌悪感さえ覚えました。
こういう「似た者同士」溺愛ドラマには、古さというか偏りというか、何か嫌〜なものを感じてしまい、好きな俳優・女優さんたちだっただけにとても残念でした。

花子は村岡印刷兄にとって「触媒」なんだろうと思います。
花子の訳した物語を読むと、自分の中の芸術的感性が刺激されて表現したくなる、そんな「化学反応」を引き起こす触媒。
村岡印刷兄の元奥さんは、そんな夫の変化を敏感に感じ取ってしまい、身を引いてしまったのではないかな。
自分ではない別の女性が、夫に絵を描く意欲を湧かせたという事実。
村岡兄にとって絵を描くということがそこまで大切なものであるとした元奥さんの受け止め方が、なんだかとても気になります。
そのあたりが村岡弟に託されたカメオのエピソードで描かれるのかなぁ。
今週村岡兄に課された「銀河の乙女」イメージ画ダメ出しも、結局は花子のイメージで描かれて宇田川先生のOKを貰うのではないかなぁ。
一方で、花子が村岡印刷兄に惹かれる過程がにはよくわからなかったです。
いくら花子は「触媒」で、触媒「自身は反応の前後で変化しない(wikipediaより)」ものだとしても、花子にはあまりに変化がない。
本当に恋してるのかなぁ。


それにつけても朝市がセツナイ。
なんで花子はあんなに思ってくれてる朝市ではなく、村岡印刷兄のことが好きになったんだろう?
恋するココロに理由なんてないとは言っても。
それから宮本龍一が全く魅力的に見えない。
なんで蓮子はあんな宮本龍一のことが好きなんだろう?
炭鉱王はますます良い人で、なんとなく電童拙小ネタの西園寺公と似てきた感じがお気に入り。
きっとお付きの人の名は黒崎(以下略)。
蓮子はただただ自分の置かれた状況から脱出したいだけなのでは?
ともかく、ダブルヒロインが恋に落ちた相手の魅力がにはわからなくて、そんなところもなんとなく面白かったりします。

このドラマは、「創作」が何よりも大切なことがらとして置かれているような気がします。
それから登場人物が皆、素朴であまり悪く描かれません。
そして全体的にユーモラスな描写になっていることなどが、モンゴメリのアン・シリーズに通じる空気感を生み出していて、それがいつもの中園テイストとは異なっている(ようにには見える)ことがある意味、凄いと思うのです。

まぁこうして「考え」てみると、花子も蓮子もそれぞれの創作意欲を高めてくれる相手として、村岡兄や宮本龍一のことが好きになってしまった、ということなんでしょうけど、その辺りの事情がココロにグイグイ伝わってこないのはナゼ?
下手すると(というか意図的に?)花子も蓮子も創作に憧れているだけで、実際は「想像しているだけ」の人なのかも。
そして彼女たちの周りの人たち、花子の母・ふじさんや、村岡兄や、炭鉱王や、宇田川たちが、真の意味で何かを「創造」している!?
ももちゃんや朝市の恋心の描写にはグッと来るものがあったので、ヒロインたちにそれがないのが残念と言えば残念。
でもそういう淡白なところも不思議なバランスとなって、魅力的なのかもしれません。
 

寒い窓辺に プリムラ買って
ひとりの部屋ちょっと明るくしてみた
枯れていたアジサイは ゴミ箱に捨てた

「いまはちょっと 話せないくらい仕事がキツいから」とか
なんで当たり前に言えてたんだろう?

とびきりだった夜 大切に過ごせなかった
食べきれないほど 並んだ あなたの
夢にちっとも 手もつけないで
わたしワガママだったね


あなたの得意なパスタを わたしマネしてみたけど
だけどやっぱり何だか足りない あなたのレシピでなきゃ ダメ
つぶやくわ わたし探してる Tu veux quoi?(あなたは何が欲しい?)


夜に広がる 街のあかりを
左から右へと指で数えて
消えていたネオンの文字が 不意にまた灯る

「かなりちょっと 意地悪いのは 甘えていたいから」とか
なんで素直に言えなかったんだろう?

待ちこがれた朝 白む空に浮かんでる
淡い三日月が 消えてく前に
昨日と今日が別れる前に
まだリプライ待ってる


あなたの焼いたガレットで 愛を包んでみせてよ
ハムとチーズと何かが足りない あなたのレシピでなきゃ ダメ
つぶやいて あなた探してる Tu veux quoi?


あなたの得意なパスタを わたしマネしてみたけど
だけどやっぱり何かが足りない あなたのレシピでなきゃ ダメ
つぶやくわ わたし探してる Tu veux quoi?

 

二昔程前に時任三郎リーマンで流行ったリゲインのCMが、うる星やつらのラムちゃんでリバイバルされてますね。
すみれさん扮するラムちゃんは、ちょっと線が細い感じで的にはハズレ。
目の大きさや顔の輪郭がアニメ顔な、夏菜さんの方がハマると思うんだけどなぁ。

夕方の民放ニュースで、電子書籍の新しいスタイルとして「絵ノベル」というものが登場した、と紹介されていました。
で、その「絵ノベル」の画面を見てビックリ。
ひとつひとつの台詞ごとに、発話者の顔の絵が添えられて進行するスタイルは、あの「パラレル電童」や「キラ!なんばしよっと」、「小ネタ新選組♪」とクリソツ。
こんなことなら、特許とっておけばよかった。(笑)
っていうより、でも考えつくようなことが「新しい」なんて、世の中どんどんレベルが低下していくような・・・。

『純と愛』は今も突き刺さったまま。

というより、観終わった時に感じたよりも、ずっと深くまで刺さっていることに気づき始めた今日この頃。


確かに観ていて心が軽くなるお話ではありませんでした。

次から次へと不運が重なり、それでもくじけない主人公とそんな主人公についていこうと決めた周囲の人びとの姿がラストまで延々と描かれ、観ていたは実際、最後の一週間偏頭痛に襲われました。

わかったつもりでいた頭とは異なり、身体の方はドラマを追体験しているような状態だったのかもしれません。


そして今ごろになって気づきました。

今でこそ誰もが名君としてその名を知る上杉鷹山。

その改革も、鷹山が藩主であった当時は天候不順などの不運が続き失敗し続けて終わっていたことが、藤沢周平の遺作となった『漆の実のみのる国』に書かれてあるのですが、この小説と『純と愛』が重なることに。


うまく行かないことが続く中でも、くじけず何かをやり始め、それを続けていくことがどれほどの困難であるかが、これでもかというほど延々書き綴られている『漆の実のみのる国』。

是非大河ドラマで観たい傑作です。


尊いのは姿勢であり、結果ではない。


同じテーマを描いた二つの物語。

『漆の実のみのる国』が、シンプルなカットが施されたダイヤモンドなら、『純と愛』はダイヤモンド・ラフ。

掌にのせた原石の、本質的な魅力に惹かれる人もいれば、輝きがないと誹りながらも捨てられずに眺め続ける人もいる。

『純と愛』はそんなドラマだったのだと思います。


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