october sky〜遠い空の向こうまで〜

謎主婦・風信子(ヒヤシンス@nobvko)のブログです。宜しくお願いします♪

2019年10月

『スカーレット』
昔やってた世界名作劇場のようにオーソドックスなお話ですね。
下着を作ったり、洗ったりしている場面は『ペリーヌ物語』みたいだし。
『アルプスの少女ハイジ』のロッテンマイヤーほどではないけれど、大久保さん怖すぎだし。
まな板の立てかけ方まであんな風に一々チェックされたら、だったら縮み上がっちゃう。

ところで大久保のぶ子さんって、ケルトの神の木oakにちなんだネーミングですよね、きっと。
「歌える喫茶さえずり」はThrushcross(つぐみが集う)、「荒木荘」はWuthering Heights(荒天の館)からきてるっぽいし。
さては水橋さん、ブロンテのファン?
それともケルトマニア?



『いだてん』
ピエール瀧の降板に合わせるかのように、その姿が見えなくなった足袋屋の男の子。
そう、兄への手紙をポストに投函するのをためらう金栗四三にカンチョーした、『レ・ミゼラブル』のガブローシュと同じ帽子が印象的なあの子。
そのシーンに重なるような、五りんの父が満州のポストから絵ハガキを投函するシーンを観て、やっぱりあのガブローシュ君が、ピエールが降板しなければ「五りん父」だったんじゃないかなぁと思った

そんなはこのドラマのおかげで、体育の日が東京オリンピック由来だったことを知りました。
ってことは、まさかドラマのタイトルも!?

い=1 だ=0(楕円) てん=10 (咲)

でも、現在のような気象条件では、10月のオリンピックはもう無理ってことなんでしょうか。

ピエール瀧、チュートリアル徳井と不祥事の嵐に見舞われながらも頑張ってる!『いだてん』。
最後まで観ます。


今日、母から電話があって、ふとした会話から『インターセクト』の表紙に後ろ姿が写ったことがあったと言われ、思い出せなかった
でも、探したらありました。
知らない部署の人と写ってる、「作り物」な職場の風景。
もちろん同期も写ってません。(咲)

この後、ロゴが洗練されたものに変わったのです。
懐かしい〜。

IMG_0963

前々回と前回のブログ記事で書いた通り、モンゴメリが『アンの夢の家』にウィリー・プリチャードの思い出を色濃く反映させていたことは、の中ではほぼ確定です。
アンとギルバートの結婚を1891年の9月とすることで、モンゴメリ自身が経験した「理想のパートナーだったウィル(ウィリー)との1891年8月26日の別離」という現実を、物語の中で塗り替えたのです。
アンの長女ジョイスが結婚の翌年6月に生まれ、すぐに亡くなるというエピソードもそう。
別作品のエミリー・バード・スターを1892年の5月生まれとしたことも、モンゴメリが「もしも、ウィルと結ばれて子供を授かっていたら」と空想しながら、自分の人生のパラレルワールドの物語を綴っていたとすれば腑に落ちます。

そしてさらに、モンゴメリはブロンテ・マニアとしてのこだわりを、これでもかと言うほど重ねていきます。

『エミリーシリーズ』の主人公、エミリー・バード・スターの誕生日を519日としたのは、アン・ブロンテとエミリー・ブロンテそれぞれの命日5月28日と12月19日だから。
『アンシリーズ』の主人公、アン・シャーリーは3月生まれと設定されているのも、シャーロット・ブロンテの命日が3月31日だから。
なら、アン・シャーリーの誕生日は3月31日ということでしょうか。
でも、エミリーの誕生日が二人のブロンテの命日の組み合わせであったように、アンの誕生日も二人の命日の組み合わせなのでは?
実は、ブロンテ姉妹には有名な3人の他にも、早くに亡くなった二人の姉がいます。

マリア・ブロンテの命日 5月6日
エリザベス・ブロンテの命日 6月15

マリア・ブロンテの「5月」はアン・ブロンテと同じ。
ということは、残ったエリザベスの命日「15日」から取られている可能性大。
そして、この可能性を確定に変えるのがこれ。
『アンの幸福』の中でモンゴメリは、アン・シャーリーと同じ誕生日の女の子「小さなエリザベス」を登場させているのです。
つまり、アン・シャーリーの誕生日は3月の15日ということになります。

モンゴメリはその最晩年にアンシリーズに付け足した『炉辺荘のアン』のなかで、アンの息子ジェムが母親の誕生日のお祝いにネックレスを贈るエピソードを置いていますが、その辺りの記述からも、アンの誕生日は3月の半ば頃であることがわかります。

アンの物語を書き始めた当初、ただただシャーロットの命日である「3月」を意識していたモンゴメリ。
その後、エミリーシリーズを書くに当たって、ブロンテ姉妹を強く絡ませた誕生日を設定した上で、最晩年にアンの物語を2冊書き足す際に、アン・シャーリーの誕生日を読者に推理させる大きな手がかり「小さなエリザベス」を置いたのではないでしょうか。

こう考えてくると、どうしても書かなければならないことが出てくるのですが、それはまた次の機会に。

10月はOctober(オクトーバー)

10億円の偽札で遊ぶ賭場、ってぇことは、億の賭場。 オクトーバーってことでスカイ!? それにしても、理事長室であんな責め方をされた白川さんが、なんだか可哀想でした。

〈YAHOO感想掲示板より転載〉

前回、「1892年の喜びと咲(え)み」というブログエントリで、「アンは1891年に結婚した」と普通に書きました。
今回は、この点についての根拠を記しておこうと思います。
というのも、前回のエントリを書いた後で、英語のウィキペディアを見てみたら、アンの年齢と西暦を照らし合わせた表があったのですが、の考えてる年代と微妙にズレていたからです。
あれ?と思って、もう一度なりに確認してみたところ、やっぱりの考えの方が合ってるのではないかと思い、こちらに書いておこうと思いました。

アンシリーズはもちろんフィクションです。
でも、大体の方がご存知の通り、『アンの娘リラ』の冒頭で第二次世界大戦の端緒となるサラエボ事件が勃発したことが触れられており、『リラ』が1914年6月から始まる物語であることがわかります。
そして『リラ』の第6章では、長男ジェムの8月の出征に際し、

「スーザン、わたしはきょう、あの子がいつかわたしを求めて泣いた晩のことを考えているのよ。まだ生まれて数ヶ月しかたっていなかったわ。【中略】もしも二十一年前のあの晩、あの子がわたしを求めて泣いたとき、行って抱いてやらなかったなら、わたしはとても明日の朝を迎えることができなかったでしょうよ」

というアンのセリフがあることから、ジェムの誕生年が1893年であることがわかります。
それから、『アンの夢の家』の第34章の記述には、ジェムの誕生を喜ぶマリラが、ジェムが亡くなったジョイ(ス)の代わりになってくれるよ、と言ったのに対して、

「いいえ、いいえ、いいえ、マリラ。それはだめなのーーーどんなことがあってもそれだけはだめなの。この私の可愛い男の子にはこの子の場所があるの。でも、ジョイの場所もあるの。いつまでもあるのよ。生きていたら、あの子は満一歳を越えているのです。」

とアンが応えるシーンがありますが、ジェムの誕生年が1893年ですから、ジョイスの誕生年はその前年の1892年であることが確認できます。

余談になりますが、前にも書いた通りジョイスは6月生まれなので、ジェムの誕生日は7月以降と思われるのですが、モンゴメリの実の長男が7月7日生まれなので、その辺りを設定に重ねているのではと思うです。

話戻り、英語のウィキペディアにある表では『アンの夢の家』のタイムライン年(西暦)が「1890年〜1892年」となっていますが、これまで見てきた通り『夢の家』はアンが1891年の9月に結婚する場面からスタートしている訳ですから、ウィキペディアにある表は一年ずつズレていると思われます。
(ただし、『リラ』が1914年〜と言う箇所だけは合ってます。

尚、が以前書いたアンの年齢と西暦を照らし合わせた表は、こちらにもあります。
どうぞご参照ください。

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