エンターテイメント ステーションのインタビューを拝見しました。
「暮らしの変化」を描きたかったという『とと姉ちゃん』。
でも5ヶ月間に渡り観てきた私が受け取ったのは、「何かを始めてみようとする現代人の姿」でした。
好きなキャラの同人誌を作ったり、自分が信じる素材でお握り屋さんを始めたり、まったくの素人から農業を始めたり。
一昔前だったら「そんなの無理。どうせ続かないし意味ないでしょ。」と頭っから否定する人が多かったことがらに、スッと進んでいけて、地道な繰り返しを厭わない人たちが現代(いま)、確かに増えていることを実感しています。
だから、途中からは常子たちのあの生き方は、そういった現代風なスタイルを投影したものなんだろうなと思って観ていました。
戦時中なのに、とてもゆったりしている主人公一家とか。
人と人の繋がりがあっさりしてるところとか。
躊躇なくまずはやってみるところとか。
そういうところが、若い人たちの朝にマッチして、好ましく思われたのではないでしょうか。
姿勢は細々(ほそぼそ)、細々(こまごま)でも次々に成果をあげていき、気がつけば理想を捨てることなく事業は安定成長・・・というところも、若い人たちの願望や希望が叶ってほしいという気持ちと重なって良かったのかも。
私はもう少し、現実の若い人たちが抱える葛藤や対立が丁寧に描かれる、そんなストーリーの方が好みですが。(笑)
それから、インタビュアーの方の、
男性性、女性性の枠組から解放されて、自由に生きていくほうが平和な社会がつくれる。そんなことを象徴している
というご意見にはちょっと違和感。
だったら、自由に生きられた常子の主題歌が「涙色の花束」(←旧題名)ということにはならないでしょうに。
私はたとえ苦手でも、基本、女性がやる分野と男性がやる分野はあると思ってるクチ。(くどい?)
だから、『はじめまして、愛しています。』の中の男の子が、主人公のピアニストに母親を求める姿を、まず始めに描いたことに改めて感銘を受けました。
赤ん坊はお乳を求める。母親を求める。
別に『とと姉ちゃん』がそうしたことがらを否定していたとは全然思いませんが、でも常子にだって失ったもの、諦めたものがあったことをもっと丁寧に描き出せていたら、面白かったのになぁと思うのです。
まだ一ヶ月ありますが。
「暮らしの変化」を描きたかったという『とと姉ちゃん』。
でも5ヶ月間に渡り観てきた私が受け取ったのは、「何かを始めてみようとする現代人の姿」でした。
好きなキャラの同人誌を作ったり、自分が信じる素材でお握り屋さんを始めたり、まったくの素人から農業を始めたり。
一昔前だったら「そんなの無理。どうせ続かないし意味ないでしょ。」と頭っから否定する人が多かったことがらに、スッと進んでいけて、地道な繰り返しを厭わない人たちが現代(いま)、確かに増えていることを実感しています。
だから、途中からは常子たちのあの生き方は、そういった現代風なスタイルを投影したものなんだろうなと思って観ていました。
戦時中なのに、とてもゆったりしている主人公一家とか。
人と人の繋がりがあっさりしてるところとか。
躊躇なくまずはやってみるところとか。
そういうところが、若い人たちの朝にマッチして、好ましく思われたのではないでしょうか。
姿勢は細々(ほそぼそ)、細々(こまごま)でも次々に成果をあげていき、気がつけば理想を捨てることなく事業は安定成長・・・というところも、若い人たちの願望や希望が叶ってほしいという気持ちと重なって良かったのかも。
私はもう少し、現実の若い人たちが抱える葛藤や対立が丁寧に描かれる、そんなストーリーの方が好みですが。(笑)
それから、インタビュアーの方の、
男性性、女性性の枠組から解放されて、自由に生きていくほうが平和な社会がつくれる。そんなことを象徴している
というご意見にはちょっと違和感。
だったら、自由に生きられた常子の主題歌が「涙色の花束」(←旧題名)ということにはならないでしょうに。
私はたとえ苦手でも、基本、女性がやる分野と男性がやる分野はあると思ってるクチ。(くどい?)
だから、『はじめまして、愛しています。』の中の男の子が、主人公のピアニストに母親を求める姿を、まず始めに描いたことに改めて感銘を受けました。
赤ん坊はお乳を求める。母親を求める。
別に『とと姉ちゃん』がそうしたことがらを否定していたとは全然思いませんが、でも常子にだって失ったもの、諦めたものがあったことをもっと丁寧に描き出せていたら、面白かったのになぁと思うのです。
まだ一ヶ月ありますが。