今『レ・ミゼラブル』第1巻の第二部「コゼット」第一編「ワーテルロー」を読んでいます。
当時の認識では、ナポレオンの「フランス軍」は革命の側に立つものであり、それと対峙したイギリス軍こそ、ヨーロッパの地を革命から守るために戦った旧体制。
しかし、ナポレオンに勝利した旧体制ヨーロッパは「(ナポレオンの)帝国が専制的であったがゆえに」その反動として自由へと進み、結局のところ歴史は天意的なものであるがゆえに革命の延長を進んだ、そうユーゴーは語っています。(岩波文庫 p.593及びp.597)
その認識はそれはそれとして、全体として私が受けた印象は、ウーゴモンを戦端としたワーテルローの戦いは、ローマのカエサルの如くガリア・ベルギカの地に皇帝として再び君臨せんとする皇帝ナポレオンと、その地を死守せんと海を越えて駆けつけたケルトのkindredであるブリタンニアとの因縁の戦いであり、最初の関門ウーゴモンを此度はケルト側が守り抜いた。
・・・とそうユーゴーは言いたいのではないかと思ったんです。
ユーゴーは、勝利者であるイギリス軍のウェリントン公爵を、楡の木の下に「冷然たる勇気を持って立ちつくしていた」と描写しています。
しかして、その楡の木は「物のわからぬあるイギリスの心酔家」が「二百フランで買い取り、切り倒して持っていってしまった」と。(p.546)
そのうえで、「ワーテルローの戦いに勝利を得た者は、彼カンブロンヌである。」(p.582)と書いていますが、カンブロンヌ(Cambronne)をカンブロ(Cambro)から派生/連関した言葉ととらえていいのだとしたら・・・カンブロ(cambro)は接頭辞としてはWelsh(Wales)のことを意味するらしいんです。
Welshといえばブリテン・ケルト。
ウェリントン公爵がその前に立ち、心酔家が切り倒した楡の木は、ケルトにとって「聖なる浄化」の力を宿した木だそう。
つまりユーゴーは、天意にかなう革命の時代の真の勝利者は、ナポレオンでもなければ彼に勝利したイギリスでもなく、楡の木を守らんとした者だった、と言いたかったのかもしれません。
ところで、ウーゴモンという地名の古名は「ユゴモン(Hugomons)」。(p.521)
『レ・ミゼラブル』の作者、ヴィクトル・ユーゴー(Victor, Hugo)と同じ表記なのは、偶然でしょうか。
そして、昨日の『CRISIS』第9話。
冒頭に描かれたテロリズムが実行されたのが2016年6月15日。
ワーテルローの戦いが始まったのが1815年6月15日。(「ワーテルローの戦い」wikiより)
同じ日付なのは、偶然?
革命(という名のテロリズム)と「反革命」。
「反革命」の側に立ちつつ、自分のやり方で国の有り様を変えられると信じる主人公。
この物語の世界は、ワーテルローの後のように天意にかなう方向へと転換していくのでしょうか。
最終回が気になります。
当時の認識では、ナポレオンの「フランス軍」は革命の側に立つものであり、それと対峙したイギリス軍こそ、ヨーロッパの地を革命から守るために戦った旧体制。
しかし、ナポレオンに勝利した旧体制ヨーロッパは「(ナポレオンの)帝国が専制的であったがゆえに」その反動として自由へと進み、結局のところ歴史は天意的なものであるがゆえに革命の延長を進んだ、そうユーゴーは語っています。(岩波文庫 p.593及びp.597)
その認識はそれはそれとして、全体として私が受けた印象は、ウーゴモンを戦端としたワーテルローの戦いは、ローマのカエサルの如くガリア・ベルギカの地に皇帝として再び君臨せんとする皇帝ナポレオンと、その地を死守せんと海を越えて駆けつけたケルトのkindredであるブリタンニアとの因縁の戦いであり、最初の関門ウーゴモンを此度はケルト側が守り抜いた。
・・・とそうユーゴーは言いたいのではないかと思ったんです。
ユーゴーは、勝利者であるイギリス軍のウェリントン公爵を、楡の木の下に「冷然たる勇気を持って立ちつくしていた」と描写しています。
しかして、その楡の木は「物のわからぬあるイギリスの心酔家」が「二百フランで買い取り、切り倒して持っていってしまった」と。(p.546)
そのうえで、「ワーテルローの戦いに勝利を得た者は、彼カンブロンヌである。」(p.582)と書いていますが、カンブロンヌ(Cambronne)をカンブロ(Cambro)から派生/連関した言葉ととらえていいのだとしたら・・・カンブロ(cambro)は接頭辞としてはWelsh(Wales)のことを意味するらしいんです。
Welshといえばブリテン・ケルト。
ウェリントン公爵がその前に立ち、心酔家が切り倒した楡の木は、ケルトにとって「聖なる浄化」の力を宿した木だそう。
つまりユーゴーは、天意にかなう革命の時代の真の勝利者は、ナポレオンでもなければ彼に勝利したイギリスでもなく、楡の木を守らんとした者だった、と言いたかったのかもしれません。
ところで、ウーゴモンという地名の古名は「ユゴモン(Hugomons)」。(p.521)
『レ・ミゼラブル』の作者、ヴィクトル・ユーゴー(Victor, Hugo)と同じ表記なのは、偶然でしょうか。
そして、昨日の『CRISIS』第9話。
冒頭に描かれたテロリズムが実行されたのが2016年6月15日。
ワーテルローの戦いが始まったのが1815年6月15日。(「ワーテルローの戦い」wikiより)
同じ日付なのは、偶然?
革命(という名のテロリズム)と「反革命」。
「反革命」の側に立ちつつ、自分のやり方で国の有り様を変えられると信じる主人公。
この物語の世界は、ワーテルローの後のように天意にかなう方向へと転換していくのでしょうか。
最終回が気になります。