october sky〜遠い空の向こうまで〜

謎主婦・風信子(ヒヤシンス@nobvko)のブログです。宜しくお願いします♪

カテゴリ: 野木亜紀子さん作品

坂元さんの『スイッチ』とか、野木さんの『MIU404』とか。
この夏で35年が経過したあの事故、というか事件のことを想起させてくれる夏ドラマであったと、勝手に受け止めているです。

・・・そのことに気づいたのは、今期の『半沢直樹』の後半戦を観ていてなんですけど。

『MIU404』観ました。
本当に久しぶりの空耳、行きま〜す♪

感電

逃げ出した 夜の砲雷 行方は未だ不明
回り回って 虚しくって困っちゃった僕らはワンワンワン
失ったつもりもないが 何か足りないもの
ちょっと変にハイになって 蒸(ふか)しこんだように歌う

兄弟 ど〜かしよ〜 もう何も考えないよ
銀河系のハズレ サヨ〜ナラ〜
真実も 道徳も 存在交差しないイカれた夜でも
僕ら手を叩いて笑い合う
誰にも 知られないまま

*2 たった一瞬の このキラメキを
食べ尽くそう二人で くたばるまで
そして幸運を 僕らに祈りを
まだ行こう 誰も追いつけないくらいのスピードで

*4 イナズマのように生きてたいだけ
お前はどうしたい 返事はいらない

思い出した 一人と情景 動機は未だ不明
邪魔くさくて イラついて 迷い込んだニャンニャンニャン
ここいらで落としたサイフ 誰か見ませんでした?
バカみたいに ツイテナイね 茶化してってハイウェイさ
 
よ〜相棒 も〜一度 海岸でケンカしようよ
シャレになんないくらいの エピソードにして
正論 暴論も 分類さえできやしない街を
抜け出して互いに分かり合う
目指すのは メローなエンディング

*3 それは心臓を 刹那に揺らすもの
追いかけた途端に 見失っちゃうの
きっと永遠が どっかにあるんだと
明後日も探し回るのも 悪くはないでしょう

お前がどっかに消えた朝より
こんな夜の方が まだマシさ

*1 愛に睡蓮 遠くのサイレン
響きあう境界線
愛し合うようにケンカしよ〜ぜ
やるせなさ引っさげて

*1 繰り返し

*2 繰り返し

*3 繰り返し

*4 繰り返し



米津さんのブロンテ世界にハマってます。
2020年7月4日追記:昨夜の録画で確認訂正した箇所を棒線と赤色で追記します。
2020年7月14日追記:それにしても、いつになったら世の中から「バカみたい」って言葉、無くなるのでしょうか。いつか無くなることを信じて。

『獣になれない私たち』

自分の素を受け止めてくれるパートナーができた時、人は自分を取り戻すことができるということを、10回のお話を使ってとても丁寧に描いていたと私は思いました。 9話のラストでの晶と恒星さんのプロテストは、とてもとても腑に落ちました。 組織とか、社会とか。 それらはまるで怪獣の様に一人一人の人間を飲み込んでしまう。 個はまるでなかったものの様にされてしまう。 そんな場所から一旦(いったん)離脱した二人は、これからどんな場所で、どんな共同経営責任者になるのでしょう。 5Tapでは、これからまたどんな人たちが出会うのでしょうか。 想像してみるのも楽しいです。

〈YAHOO感想掲示板より転載〉

『獣になれない私たち』、最近はオンタイムで観ています。
なんだ、ズラしていたんですね。
ネーミングに引っ張られて混乱してました。
九十九社長は、名前と能力はスロスタ委員長だけど、その性格や容姿は恒星堂主人さん。(←もちろんあくまでもテレビ的な印象です)
晶さんは名前と能力はeinさんだけど、その性格はスロスタ委員長?
で、逆に恒星さんは名前と能力は恒星堂主人さんだけど、その性格はeinさん・・・的な。
違うかなぁ???

自分の素を受け止めてくれるパートナーができた時、人は自分を取り戻すことができるということを、9回のお話を使ってとても丁寧に描いていたとは思いました。
今週のラストの晶と恒星さんのプロテストは、とてもとても腑に落ちました。
これから二人は、どんな共同経営責任者になるのでしょうか。

今週水曜日、『ロミオとジュリエット』14時公演を観てきました。
読んだことないのでちょっと予習しようかなと、出かける前にちょこっとだけネットで読んだ久米正雄さん訳とは、かなり異なる世界観に戸惑いました。
芸達者な役者さん達の奮闘ぶりばかり伝わってきて、内容が正直、頭に入らなかった強2時間。
でも、家に戻ってから劇場入り口でゲットしたパンフレットを読んだら腑に落ちました。
「役を掘り下げなくていい」「この言葉をただ喋っていればいい」という翻訳者・松岡さんのアドバイス・・・この辺りにつまらなかった訳がある???

そうは言っても、今回の東京行き(笑)の道中はやっぱり感無量でした。
高校や大学の頃からだと30年?ぶりの中央線と、通勤してた頃以来の銀座線!
行きの銀座線では、nobvkoの夫がほら!とクドカンさんのつり革3列ジャック広告を教えてくれて、思わずビックリ。
今、ジョギングしてるんですか。

それより何より、今回の観劇をキッカケに的には大きな発見がありました。
『ロミオとジュリエット』のwikiによれば、モンタギューとキャピュレットの対立は、ロミジュリの時代から1世紀遡った皇帝フリードリッヒ2世の治世から続く、皇帝派対教皇派の対立!

知らなかった。
つまり、パンフレットに書かれてあった
「由緒正しい家柄ではあるけど、あんまりお金はなさそう」なロミオのモンタギュー
「新興階級で大金持ちらしい」ジュリエットのキャピュレット
の対立は、まさにフリードリッヒ2世の精神的系譜を担う家系 V.S. 当時の金ピカの教皇だと思った
なんてわかりやすい対比だったんでしょう。

そして、クドカンさんがこだわっていた「ロミオがこだわっていた指輪」というのは、おそらくはモンタギュー家に代々伝わる家宝かもしれません。
あのサトクリフが、生涯をかけて描き続けたシリーズで、主人公のアクイラ達が大切にしていたのも指輪でした。(イルカの紋章入りのやつ)
当時の人々には当たり前な表象だからこそ、シェークスピアは詳しい説明ゼリフをおかなかったのでは。
でも『ロミジュリ』はまだその箇所まで読んでいないので、読んでから考えようと思います。(笑)

それにつけてもフリードリッヒ2世!
対立するイスラム教徒とキリスト教徒を、エルサレムの地で10年間共存させたことがどれだけ凄いことだったのかを、シェークスピアはロミジュリのお話で描いたのかもしれませんよぉ。
対立しているもの同士の結婚から生まれるかもしれなかったアウフヘーベンが、止揚せずに落ちていってしまう悲劇として。
当時の人々は、その筋立てからフリードリッヒ2世のことを思い出したり、ロミオとジュリエットのそれぞれの音から、ローマとジュウ(Jew=ユダヤ)の古の対立構造を想起したりしたのかも。
そして現代の人々は、ネイティブでさえもシェークスピアの言葉遊びをもはや理解できなくなっているんでしょうね。

ところで、北部イタリアからドナウ河流域にかけてのあの地域には、やっぱりdoric(ドーリク・木)に繋がる何かがあるんだとwikiを読んで嬉しくなった
doricを愛する(pri-=free)と言う名のフリードリッヒ2世しかり、5世紀のヴェローナに滞在したと言うテオドリック大王然り。
ひょっとすると、が出版社に勤めていた頃出会ったAnneさん(名字をコロレド-マンスフェルドさんと言います)にも繋がるかもしれない、音楽と質実なセンスが顕著な特徴の精神的潮流!
まぁ何年かかるかわかりませんが、少しずつ調べてみようと思います。

あ、そういえばクドカンさんプロデュースの『ロミジュリ』で、大公が装着していた馬には苦笑しました。
だって、がAnneさんの第一子誕生の際、航空便で送った馬のぬいぐるみと大きさと言い雰囲気といい、似てたんですもの。
本物の馬を所有している一族に、ウッカリ馬のぬいぐるみを贈ってしまった
いつもこんな感じです。
ありがとうロミオ&ジュリエット、そしてkindred spirits!


世間から感染源の疑いをかけられてる男性と濃厚接触した女性が、その直前に彼がしていた健康診断の結果を信じて自らが感染している可能性については少しも疑っていなかった、という図式は、そういうものなのかなと思えたとしても、主人公にそれでもやっぱり感染源の疑いは続くと伝えられた後でも少しも疑わなかったことが、アンナチュラル。 それに、サウジの症例報告では濃厚接触があった配偶者が感染していない事例もあったとか。 だから「ウィルスに一度も接触していないと考えるほうが自然です」と応えたミコトは、専門家としてアンナチュラル。 健康だった当該男性が院内感染、というのもちょっとアンナチュラルですし、病院が隠蔽していたというニュースを聞いた途端、人々が安心してマスクを外す図もアンナチュラルでした。 主人公の甘えた言動も気になります。

『逃げ恥』

最終回で、お米を炊き忘れた平匡。 忘れたなら忘れたで、外で食べれば・・・というのが嫌で、怒ったみくり。 女性は家事に自分の思い描いたイメージを求めてしまう、というところが実にリアルに描かれていました。 でもそんなイメージ通りに家事をやるには、時間もかかるし手間もかかる。 そもそも、思い描くイメージを形にするための技量がある女性なんて、そうそういるものではありません。 ところが、みくりにはその家事能力が異常に(笑)あった。 ただし無償の労働はしたくない、家事にも対価が支払われて当然と考えている。 そんなみくりが、パートナー平匡のちょっとした不手際にイラついたってことは・・・。 続編のプロットは自ずと決まっちゃいますね♪ 「女性が苦手」設定の平匡の前に、みくりを遥かに凌駕する家政夫さん登場! その時、みくりは!?

〈YAHOO感想掲示板より転載〉

平成のこの世の中で、「進め一億火の玉だ」っぽいスローガン「一億総活躍社会」が何の抵抗もなく受け入れられている不思議。
このスローガン、本当は給料をもらったりお金を稼がないと生きていけないから仕方なく働いているのに、「そうじゃないでしょ、皆さん働きたいから働いてるんですよね」って思いこませようとしているようにしか思えません。
『逃げ恥』のどこか理屈っぽいストーリーにも、その匂いがプンプンで嫌でした。
毎回最後の恋ダンスにも、視聴者は「踊らされて」ましたっけ。

それに比べてといってはなんですが、フジ月9の『突然ですが、明日結婚します』はにとって予想外のミラクルヒットになるかも。
仕事が出来るヒロインが、夕方子供にお帰りと言えるように仕事を辞めて、自分の母親のように家庭に居るお母さんになりたいと思っているドラマなんです。
石野真子さん演じるヒロイン母の描き方も、肩の力が抜けてる感で好印象。
総合職としての仕事もシッカリできるけど、できれば専業主婦になりたい女子の像も、しっかり捉えてます。
周囲との考え方の違いも、上手に描かれてる。
まぁ、この物語はお給料のいいアナウンサーとの出会いと恋愛ということになりそうなので、その辺りはもう少し普通レベルでも良かったかなぁ。
高級マンションに出入りしているヒロインを観ているうちに、なんだかには『パタリロ』のマライヒに見えてきちゃったし。
パタリロも出てたからかな?(笑)

ドラマを観たひとの感想を読むと、「専業主婦になりたいってバブルか?」「古い」「専業主婦をなめんな」と言ってるお方もおられるようですが、バブルの時にもこんなテーマのドラマってなかったですよね。
恋をして働いて、っていうのが当時のトレンディドラマの一貫したテーマでした。
だからはその頃のドラマをほとんど観てこなかったんです。
それに比べて、『逃げ恥』にしても『家政婦のミタ』にしても、家でヒロインが淡々と家事をしている姿が普通に描かれたから視聴率が高かったのだと思っている
視聴者はそこに母性
誰の心の中にもあるであろう母の姿を重ねて、魅了されたのだと思っています。



「これは意地っ張りで世渡り下手な女の子と恋愛を諦めた男性が自分でも幸せを掴めるって話とともに、家事は女の仕事って風潮に風穴をあける目的もあります。」って書いてる人がいました。

本当にそうだったのかなぁ?
「世渡り下手」って、どんな時も豊かな生活を維持できた女の子が?
ひらまさのように、家をこぎれいに整えようとし、仕事の能力も高く、実は相手を思いやれる心の持ち主ならば、普通に「幸せを掴め」てたでしょうとも思う

「恋愛」はともかく、共に生活をする相手として、彼は最初から都合が良すぎるほど完璧な像でした。
それに「女性が苦手」設定のひらまさのこと、毎週外注してた家事代行サービスに来てくれていたのは、男性スタッフだったかもよぉ。

ずっと現実味の無いおとぎ話のようなお話だったのに、最終回のみくりは違いました。
女性は家事全般に完璧を求めてしまうということを、いきなり強烈に描いてきました。
炊飯のスイッチを入れ忘れていた(お米を研ぎ忘れていた?)ひらまさは、別に忘れたなら忘れたで外で食べればいいと思っていたのに、みくりはそれでは嫌だった。
「きちんと」家で食べたかったから怒った。

女性が男性に「家事とはこのようなもの」と教えるこのような構図を、まるで疑問に思わない人はまぁ常識派なんでしょうね。
この物語は、それが貫かれていました。
そして「女性が男性に家事を教える」のがフツウだと思うのは、そう刷り込まれたからでは決してない、と思う

「女性が家事の仕上がり具合に、男性よりも高いイメージをもつから」なのです。
女性が家事にイライラするのは、そのイメージ通りにいかない時

自分の城である家の中が、いつもピカピカだったらいいなぁ♪
おいしい御飯もかんたんにすぐ、でもしっかりと用意できたらいいなぁ♪
その上、私はあちこちに首をつっこんで賑やかな毎日で、いつもにこやか♪
でも現実は、『奥様は魔女』のサマンサの様にテュルテュルテュン♪な魔法を誰ももっていないわけで。

女性が満足いくまで家事をやるには時間も手間もかかるし、その前に技量が足りない。
そもそも家事が好きな女性なんてのも少ない。(笑)
だから、お金の都合が付くなら、家政婦さんとか外注サービスでその欲求を
テュルテュルテュン♪と解消したいと思うわけで。

『逃げ恥』は、
「女の子には家事能力が異常に(笑)あった。
でも彼女はそれを無償では提供したくなかった。
ある日住み着いた女の子に恋をした男性は、そんな女の子の言うままになった。
女の子はこれからも、世の中のあらゆることから逃げながら、自分の役に立つことをゲットして行く」

そういうお話でしょ。

と、どこか冷めた目で観ながらも、
みくりが心をこめて家事をしている姿には魅了されたでした。


ベランダに置いたエサをついばみにやって来ていたつがいの(?)ジュウシマツ。
それが最終回ではなぜか鳥籠の中にいました。
その後、再び自由にしてもらえる訳でもなさそうだった2羽の十姉妹。

世の中にはいろんな人がいて、「常識的じゃない」と非難される立場の人たちが自分らしく生きていく、そのことに「常識的じゃない」と非難されることの多いはなんの違和感も覚えません。
でも、この物語が真剣にそのようなメッセージを伝えたいのなら、小鳥を鳥籠から解き放して欲しかったし、そもそも主人公たちの手で籠の中に閉じこめるようなことはして欲しくなかった。

そこがひっかかるだからなのか、最終回をどう感じ直してみても、みくりはまだ本当にはひらまさを愛しているとは思えない。
ただひらまさが、みくりに恋しただけ。
自分は変わらず他者を変え、これからもそうしていきたいみくり。
それもひとつの「自分を縛る呪い」じゃないの?

「可愛いは最強です」って言ってたみくり。
みくりのことを可愛いと思ったひらまさは、みくりに閉じこめられた十姉妹?



『逃げ恥』
の最終回予想では、前回ラストのみくりの気持ち「給料の支払われない家事担当は『好きの搾取』だ」は、最終回でもそのまま変わらない、でした。
愛情は対価を求めるものではない、ということに気づく、あるいは愛情が深まることによってそのように自然に思える、ということには、みくりはならずに物語を終える、というの予想通りに(?)、愛情は確かめ合いながらも、お金には固執したままのラストみくり。
これだけ専業主婦「もどき」女子を描いておきながら、ラストは共働きエンドってなんか狡いなぁ。
ひらまさがリストラされたとはいえ、みくりの「働いてお金を稼ぎたい願望」から共働きになる展開は、これまで観てきて自然の成り行きでしたけど、でもやっぱり残念。
共働きだと、視聴者がときめいたあんなことやこんなことをしている時間と空間がなくなっちゃうのに。
「一度愛情を感じ合えたし、これからも互いを思いやって話し合って、努力して行けば」本当に大丈夫なのかな?
っていうか、結局みくりの言うことをなんでも聞いてあげるひらまさは、みくりに「好きの搾取」されてません?
「普通じゃない」みくりの物語なら、今や世の夫婦の半数を超えた共働きになるエンドは普通すぎるし。
それより、「社会に参加していない」「働いていない」と一部の人たちからまだディスられてる専業主婦に、あのみくりが進んでなって、得意の妄想力(想像力?)でふたたび独りの時間をなんとか乗り切って家庭を営んでいく様を全面的かつ肯定的に描く展開だったら、予想外ですごかったんだけどなぁ。
25年も前から、普通に家庭の共同経営責任者と思って専業主婦やってきた大卒のには、「夫婦を越えてゆけ」と言われても今さら感がいっぱいで・・・。


『レンタル救世主』
初回っから「大根おろし」をディスるストーリーを見て、なんだこれはぁ?と嫌ぁな気のした
でも戦隊ものっぽいし、なんだか引っかかるところがあるしで結局全話視聴。(笑)
そしたら9話で「大根おろし」が綺麗に回収されていて、最終回ではまさか(失礼)の感動の涙!
専業主婦の稲森さんが、最後はレンタル救世主の所長になっていたのはそれはそれで面白かったです♪


坂元さんのインスタグラムで知ったチャンジャという食べ物。
何度も買って食しました。
本当に美味♪
1月スタートのドラマも楽しみです♪

そして来年は遊川さんの映画が!
原作は夏頃買って読んでみたけど、あんまりピンと来ませんでした。
どちらかというと嫌いな作風かなぁ。(失礼)
さて遊川さんはどんな風に描いてくるのか?
楽しみ。体調良ければ観に行きたい。

 

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