october sky〜遠い空の向こうまで〜

謎主婦・風信子(ヒヤシンス@nobvko)のブログです。宜しくお願いします♪

カテゴリ: 熊 くま クマ

この秋にドングリを送った会津のくまんちさんから、ドングリ拾いへのサンキューメッセージとポストカードが届きました。

 

 

 

この度はたくさんのドングリを送ってくださりありがとうございました。

無事、12月6日をもちまして全てのドングリを山へ運んで参りました。

 

今年はたくさんのクマ達が里へ降りてきてそのほとんどが殺されてしまいました。

子グマも親子グマも無差別です。

体脂肪ゼロパーセントのクマもいたそうです。

山には食べ物がまったくなく、下を向いて歩いてもドングリを見つけることができません。

そんな中、皆様方が送ってくださったドングリは動物達にとって唯一の救いであり、運よくそれを見つけてくれたクマは無事に冬眠することができると思います。

ドングリを食べてくれた形跡のある箇所には5〜6回追加給餌を行ないました。

近くには置き土産のフンも確認できました。

 

エサ不足の年は今後もやってくると思います。その度に出てきたクマを殺し続けていればいつか本当に絶滅させてしまいます。まして命を簡単に奪ってしまうことは心を持った人間であるならば決してしてはならぬことだと思うのです。

無関心、無感動はとても恐ろしいことです。

困っている人や動物がいれば助ける、飢えている人や動物がいれば手を差し伸べる、それが人間の本来あるべき姿のように思います。

 

人間に心があるように動物にも心はあります。

皆様方の優しさはきっと森の動物達に届いていると思います。

 

これからの未来、全てのいきものに対して優しい世の中になってくれることを願っています。

 

本当に本当にありがとうございました。

 

追伸

くまんちの仲間「ふくまつ」のポストカード同封させて頂きました。

お使い頂けるとありがたいです。

 

                くまんちスタッフ一同

 

 

 

一回分しか送らなかった我が家。

本当に申し訳ありませんでした。

山で飢えている生き物がいる、ということをつい忘れてしまい、旅行にいけない我が身を時々恨んだりしていました。

 

テレビをつければニュースでは、クマが助けられている、というイメージばかり流れていましたが、実際は数えきれないクマ達が、ただ恐ろしいからと殺されていたんですね。

 

そしてそうすることは当然のことだと、大勢の人々が考えている。

なんでクマだけが守られなければならないんだ、と理屈を言う。

 

今はもう、縄文の世ではないのに。

人々は飢えていないし、狩りを常としていないのに。

そんな縄文の世にはあったであろう自然への畏怖の念も抱かずに、自然界のバランスが大きく乱れてしまっていることも感じられずにいる。

 

一方で、少しだけ明るい面も見られました。

日本の森を資源として守ろう、という新たな動きが保守層から芽生え始め、それを産経新聞も支持してくださりそうなこと。

 

森が豊かでドングリ等の食べ物が十分あれば、人間が怖いクマはわざわざ里に降りてきません。

どうかそのことをマスコミの方々もしっかりと認識して欲しいと思います。

飼われているクマの前に、ドングリと一緒に蜂蜜とか柿の実を並べ、ドングリを選ばない様子をわざわざ映すなどという愚かなニュース番組を流し続けることは、もう止めにしてください。

 

 

くまんちさんが以前、やむにやまれず保護した子グマのふくまつ君。

彼の無邪気な姿を写したポストカードを見ていたら、小学生の頃好んで読んでいたパディントン・シリーズを思い出しました。

あのお話は、戦争から戻った作者が綴ったもの。

パディントンの故郷を「暗黒の地ペルー」と表現していたのが印象的でしたが、日本こそクマにとっての「暗黒の地」となってしまわないように祈ります。

 

 

 

2011年1月11日追記:「日本の森を資源として守ろう、という新たな動きが保守層から芽生え始め、それを産経新聞も支持してくださりそうなこと。」と書きましたが、今朝の社会面には「野生クマへの餌やりは保護か」というタイトルの記事が。

ドングリ運びは餌付け、との立場からドングリ運びの中止を呼びかけているお役所に、産経さんは同調しているように読める内容で残念。

先日、毎日新聞が熊森協会に好意的な記事を載せていたんだな、と気づきましたが、もしかしてこのせい?

 

 

 

 

おととい、ちょっぴり冷たい風が吹くなか拾い集めたどんぐりは8キロ。

2日ほど乾かした後、福島で熊の保護活動をされている方に宛てて先ほど発送してきました。

ここ2〜3年、我が家はこちらに送付しています。

 

 

今年は美味しそうなどんぐりを探すのが大変でした。

色は薄いし、中味がからから。

それでも、例年大きなどんぐりが生る公園で、どうにか満足いく質を確保できました。

夢中で穫っていたら、そばを自転車で通りかかったおじさんが「それ食べるの?」。

熊に送るんです、と答えたら、そのどんぐりは灰汁が少ないから人間でも食べられるんだよ、と教えて下さいました。

20数年前の草刈りの時、まだ小さかったくぬぎやどんぐりの若木を残しておくと崖崩れ防止になる、とそのおじさんが役場の人に頼んで、今ではとても大きく成長したのだそう。

まさか、その木の実を熊に送る人が出てくるとは、流石にそのおじさんでも想定外だったかな。(笑)

 

 

 

兵庫の「くまもり」さんでも、今年は例年にも増して活発に活動されてるご様子です。

熊が人里に出てこないよう、山に餌を置いてきているそう。

これはもちろん餌付けなんかではなく、緊急措置。

「クマの食料になりそうなものは全て片付けよ」という行政指導は間違っている、とHPに書かれていますが、もそう思います。

是非とも行政には、「片付け」た柿やリンゴを熊のいる森に置いてくるようにして欲しいです。

 

ところで8キロのどんぐりって、熊にとっては何回分の食事量なんだろう???

 

 

2010年10月26日追記:

産経さん、熊森協会を紹介した記事を15日に載せて下さっていたんですね。

ありがとうございます!!

今ごろ気づいてスミマセン★

 

それから昨日テレビを観ていたら、熊の一回の食事量が紹介されていました。

動物園で飼われている場合は27キロくらい、野生なら15キロくらいが一回量とのこと。

ただしこれはリンゴや柿の場合だったので、どんぐりではどうなのか正確なところはわかりませんでしたが、8キロだと半分量なんだろうなと検討がつきました★

 

今日は雨なのでお休みですが、ここ2〜3日、栗拾いに夢中です。

隣の町までいつものように歩いてでかけたら、その一時間の道中、野生の栗が道ばたにコロがっているのに遭遇!

栽培ものと比べると3分の1くらいの大きさではありますが、プックリとふくらんでいかにもおいしそう!

でも、ビニール袋を持ってくるのを忘れたので、仕方なく後で出直すことに。

 

再び現場に行ってみるともう後の祭り。

誰かに粗方拾われてしまっていました。

でもあきらめきれないは、まだ落ちてるのはないものかとあちこち歩き回ってみたら、ちょうど落ちてきたばっかりの栗を発見♪

夢中で拾っていたら、頭上にポトッと栗のイガが降ってくる!

イガだけの場合もありますが(笑)、まだ中に実が入っていたりするとHow exiciting!(笑)

両足でイガを剥いて、中から二つほどのクリンとした栗を取り出すのがとっても面白いんです。

そうやって集めたのを家にもって帰って、ネットで皮のむき方やくりご飯の作り方、保存方法を検索。

80度くらいの熱湯に一分ほどつけてからナイフで皮を剥いていくのですが、小振りなのでちょっと大変。

でも、とてもおいしい栗ご飯ができました。

 

今度は熊のためのドングリ拾いに行こうと思います。

 

 

 

 

久しぶりに覗いた日本熊森協会のホームページ

改めて熊森の認識に深く共鳴したので、一部ですが引用させて頂きます。

 

以前、NHKの番組に出していただいたときのことを思いだしました。

はるばる奥地の森の中に連れて行かれて、インタビューに答える形で取材を受けました。

しかし、インタビューに答える前から、分厚い台本がすでに出来ていました。

台本に沿わないことを応えると、何度も何度も「NG」を出され、しまいに泣きそうになったものです。

私はこのときから、テレビを信用できなくなったのです。

お気の毒に、一緒に行った町長さんは、NGを出されても、答えを変えなかったので、放映された番組を見ると、全面カットでした。そのときの会話は次のようなものでした。

NHKディレクター「町長さん、クマのような恐ろしい動物と共存しようという熊森と、どうして組まれたのですか」


町長さん「クマなんて、おとなしいおとなしい動物じゃ。凶暴性なんか何もないよ。クマもサルも、うちの町の住民です。 いて困ったことなど1回もないです」


NHKディレクター「町長さん、怖いといってくれないと、番組にならないじゃないですか。もう一度やり直し」


NHKディレクター「町長さん、クマのような恐ろしい動物と共存しようという熊森と、どうして組まれたのですか」


町長さん「だから言ってるじゃろう、クマなんて、怖いことなんて何もないよ。おとなしい動物なんじゃ」


このようにして、町長さんは、番組からカットされたのです。今となっては、懐かしい思い出です。

 

 

町長さん、素晴らしいです。

昨日の産経一面の『ひなちゃんの日常』。

公園で緑のドングリが落ちているのに気づくひなちゃん。

するとそばにいたひなちゃんのお母さんが、

 

昨日は風が強かったから落ちちゃったのかしらね。

 

と言ったので、

 

じゃあほんとうはまだおちたくなかったんじゃ。

 

とドングリが可哀想になったひなちゃんは、

 

しばらくどんぐりのママになるつもり

 

で一緒にお布団に入る、というほのぼのエピソードが描かれていました。

 

この漫画を見たワタシが思い出したのは、熊森協会

そろそろドングリを送る季節だなと思って、どの支部がどのように集めているのかを確認しなくちゃ、と久しぶりに覗いてみたら、

 

秋の山の実りの深刻な事態

今夏の暑さで、生理障害を起こし、ブナ×、ミズナラ×、ウラジロガシ×、クリは◎だが、あと一週間で散布が終了、コナラ○、クヌギ○。

ところによっては、2006年の大凶作年より事態は深刻。

里山のコナラ、クヌギはクマがつくのを大目に見てやってもらわないと、クマはもう生き残れません。(2008.9.30)

 

とありました。

そういえば、この辺りに落ちてるドングリもいつものように茶色くなってないんですよね・・・。

生理障害で、緑色のまま落ちちゃったのかな・・・。

 

 

昨日の産経新聞生活面「きのう/きょう」の投稿欄に、70歳の女性の「どんぐりと熊」という投書が掲載されていました

そこに書かれてあった「神戸の中学生が始めた『熊を森にかえそう』という運動の話」は、おそらくワタシが以前、こちらのイザ!ブックマークに登録した熊森協会のことだと思います。

(子供たちが公園で)
集めたどんぐりはなんと200キロ。」

200
キロ〜 凄い! 凄すぎるっ
それに比べて、今年ワタシが送れたドングリは、たったの2キロ。
何日かかけてバケツ一杯集めたドングリも、送付先がわかるまで時間がかかってしまい、そのせいで大半が腐ってしまいました。
その上、今年は予想に反して山のどんぐりが豊作だったらしく、ほとんど熊が里山に降りてこなかったそうで、ドングリ集めは中止となったのです。
うれしい誤算でした

今朝も行ってみました、ドングリ集め。
どうやらこうやらバケツに半分弱ほどたまりました
でも熊森さんたちは、今日群馬に撒きにいっちゃうとのこと。
次の機会はいつかな・・・と思って今朝も覗いてみた熊森のHP。
そしたらびっくり

昨日は、環境省記者クラブで記者会見。
今日は、東大農学部弥生講堂でシンポジウムですって。

なかなか難しい熊を守る活動への理解を広げ、一人でも会員を増やしていこうとがんばってらっしゃるなぁ。

でも、産経さんでもTVでも、さっぱり報道されないのは残念。

それとも、今日の講演会とあわせて伝えてくれるのかも・・・

ドングリは、次に送る機会までとっておこうっと。

昨日、初めてブックマーク登録というものをしてみました。
以前
ブログでも紹介した熊森協会です。
そのHPを覗いてみたら
軽井沢のピッキオという団体に9月7日厳重抗議した旨書かれてありました。

そうしたら先ほど(夕方)のCXニュースで、ちょうどその名のNPO法人が紹介されていました。
北欧スタイルの熊追いの犬と共に、寝食も忘れて熊との共存に取り組んでいる真面目な働きぶり。
するめを餌に寄ってきた熊を捕まえて発信器をつけ、
山へと犬に追わせて人間の恐さを「教育」するピッキオ。
そうやって取り付けた発信器からの電波をいち早く捉えることで、畑の被害を未然に防ぐ活動を延々と続けているピッキオ。
ピッキオが山に放した熊が、隣の群馬県で駆除されてしまったと、悲しそうなピッキオ。
夕食の支度をしながら、あるいは食べながらの視聴者には、きっと好印象に映ったことでしょう。

でもワタシはちょっと違いました。
熊森のHPに掲載されている、


9月7日、長野県軽井沢町は、町が職員給与を出しているNPO法人ピッキオに委託して、野生で珍しく10歳まで生き延びていたツキノワグマ(オス)を、レストランなどのゴミを度々あさっていたとして、1度も放獣することなしに殺害しました。

という一文で始まる抗議文と、
次のような「厳重抗議の理由」を読んでいたからです。

1〜3は略
4、昨年の長野県のクマ捕殺数は全国でも2番目、推定生息数の半数にものぼるという異常さ。【後略】

5、ピッキオ(元は星野リゾート開発会社の一組織)は軽井沢におけるリゾート開発で、大変な利益を得ました。
当協会の宮澤正義先生が当時あれだけ軽井沢で別荘開発すれば、玄関にクマが立つことになると反対されたのに、無視して開発を続け、クマの生息地を奪い、クマが出て来ざるを得ない原因を自ら作っておいて、今度は出てきたクマを良い悪いと勝手に判別して税金で殺している。
クマが裏山でひっそりと冬眠するのは昔からあたりまえなのに、ピッキオは今年2月にも、裏山で冬眠しているクマを「悪クマ」と決め付け、冬眠中を襲って2頭殺しています。
わたしたちは、理解に苦しみます。

こういう図式を目の当たりにすると、ワタシなんかは思います。
何が事実かは、わからないのかもしれない。
でも、うさんくさいの
はどちら側なのかが気になる、もっと知りたいって。

件の
TVニュースでは、

・民間の自然保護団体のように紹介されているピッキオには、軽井沢町役場からお給料が出ていること。

・軽井沢のある長野県は、昨年の熊駆除数が全国で2番目に多く、推定生息数の半数近くを殺してしまっていること。

ピッキオも県の執行機関として殺処分に加担していること。
 
などに触れられないのはなぜ?
ういった「事実」は、熊森協会のねつ造?
でもナレーションで
一度人間の食べている物の味を覚えた熊は『教育できない」って言ってたのは、そんな熊は殺すしかないって意味にしかとれない。
にもかかわらず、そのことをはっきりと伝えることをせずに、「野生の熊はとても臭い」というような解説ばかりを繰り返していたのは、臭(にお)いに比べれば殺される熊の数など取るに足らない「事実」だから?

「野生の熊はとても臭い」
 そりゃあ臭いですよね、野生ですから。
そんな
臭いを人が嗅がないで済むためにも、熊が安心して山や森にいてくれるように、どんぐりの実を置いたり木を植えたりという、熊森のような活動が必要になってくるわけでしょう。
ただ山に追い立てればいい、それも無理なら殺せばいい、ってもんじゃないと思うワタシです。



熊森から、軽井沢町とピッキオへの提案

生息地の提供を 
…生息地を追われたクマが帰る安心して暮らせる場所を軽井沢内に提供してやってください。これ以上の軽井沢開発にストップをかけてください。

何度も放獣する体制を
…ゴミ箱や屋外の倉庫に鍵をかける等、誘引物撤去を徹底する。防除に努める。その一方で、出てきたクマは何度も安全地に放獣する。

参照:
・長野県では、昨年、推定生息頭数1300〜2500頭のうち、558頭ものツキノワグマを殺しました。
今年に入ってからも、既に33頭も殺しています。こんなに殺していたら、絶滅します。


お世辞にも熟(こな)れているとは言えない熊森協会のHPからは、地に足のついた真摯な姿勢と真実味が伝わってくるのに対して、報道のプロが「事実」をわかりやすく伝えているはずのニュース映像からは、
作為と底の浅さを感じてしまうワタシは、この秋もドングリを集めたいと思っています。

 

今日のポトマック通信、面白かったです♪

ワシントン・ポスト紙の地域面に載っていたという専門家の助言(↑タイトルの言葉)には、日本で熊の森を守る活動をされている熊森協会の姿勢に通じるものを感じました。

小学生の時に映画館で観た「アドベンチャー・ファミリー」。
どう猛なグリズリー(北アメリカのヒグマ)に襲われ恐怖を感じるアドベンチャー家族も、ブラウン・ベアーとは仲良く遊んでいましたっけ。
(注:従来、
グリズリーとブラウン・ベアーは別々に分類されてきたそうですが、遺伝子的には同種であることが最近わかったそうです。)

さて、アドベンチャー家族がロッキー山脈で自炊しているイメージ、に触発されたわけではありませんが、今とっても気になっていることを思い出しました。

何年か前の新潟中越地震で、被災された方々の様子を伝える産経の記事が紹介していた元教員の女性の方の日記なのですが、そこには、

「食事中も、今後の不安についての話が出る。(中略)それぞれの後ろ楯のあるなしで、黙認されたり、攻撃されたり、アチコチで激しい言葉、やんわり皮肉を交えた言葉が聞かれるのは悲しいし悔しい。」

「救援物資の配分、地区に配られた物の末端におけるみにくい行為が横行。早い者勝ち、強い者勝ち、恥ずかしいありよう。みんな心が荒廃し、くさってきた。我先にと焦って、『もらえるものならなんでもほしい』と目の色を変えている。」

との記述があったのです。
状況が人を変えるのではなく、状況に応じてそれぞれの本質が出るものと思っているワタシは、日常の中でもこの類いのことを感じてしまうタイプ。
そんなワタシにとって、地震や台風などの災害、あるいは紛争などの本当の恐さはそこにあると思っています。

で、そんな体育館に避難するよりも、自分の家でと思ったワタシ。
やはり何年か前の
曽野綾子さんコラムにあった、大きな石3つでコンロを作り鍋を乗っけて、どこの家にもある(であろう)米からご飯を炊くという方法がとても気に入り、地震の際にはぜひ実践しよう!でも曽野さんと違ってワタシはド素人だから最低限必要な道具は揃えておこう!と決心。

でも、余震が心配される中、めいめいの自炊はOKなのでしょうか?
二次災害の恐れ等で、禁止されてはいないでしょうか?
今回の新潟県中越沖地震の報道に際しても、そこのところを教えていただきたいワタシです


さて、ここで話を熊に戻します★
3年前の冬でしたか、山口県のある地域で生ゴミを捨てる穴に落ちた熊のニュースが報じられました。
その続報がなかったので、どうなったのかなぁとネットで検索したところ、十時間後に薬殺されたとのこと。
我が家も毎年、
散歩道に落ちてるドングリを拾い集めては送っている熊森協会のサイトに行ってみると、協会が県の担当課に対して救出費用の全てを負担するからと依頼しても無駄だったとの記述が。

なんで
日本ではこうなるのでしょうか。

熊森協会がドングリを募って森に置きに行く活動それ自体も、地域外のドングリが持ち込まれることで生態系が乱れる、と一方的にイチャモンつけてる専門家とその意見を紹介するメディアに水を差されていた模様。
スギ花粉が毎年話題になっている昨今、ドングリごときで今さら言うかぁ、生態系!
(もちろん熊森協会は、こんな暴論吐いてません。ちゃんと生態系への配慮をしながら置いてきてるそうです。)

熊の命と人間の命が二者択一を迫られているわけでもないのに、人間への危険を理由に熊を殺す。
そういう決定を下せる人、そんな決定を意に介さない人たちと、何かの時には共同生活をすることになるかも、と思うだけでもゾッとしてしまうワタシです。

花粉症の心配もなくなってきたので、昨日は久しぶりに歩いて買い物に行ってきました。
田んぼの脇に立てられた看板をふと見ると、

「残したい水土里(みどり)」

うまいっ!
「みどり」という言葉にも入ってるんですよね、「泥」のドロとかドリとかが♪
「ど」に「土」をあててるところがなんとも憎い。(笑)

という感じで相変わらずドロづいてるワタシですが(笑)、子供たちの誕生日に買ったプレイステーションのおかげで、頂き物のデンドロン・・・じゃなくて、『電童』のDVDがTV画面で観られるようになりました。(笑)

かつて電童の公式掲示板で、アルクトスはギリシャ語で「arktos」=熊の意味で、その語源をたどるとケルト語の「arto-(これも熊の意)」と繋がっていて、それが「ARTHUR」という言葉へと転化していることから、おそらくは「王」の意味もあるのではないかと書いた覚えがあります。
あれから7年、いまだにケルトつながりでネットをうろうろしているワタシですが、先日は「arto-」=熊(bear)=王で、熊は芸術(art)とも繋がっている、と書かれたケルトの動物観についてのサイトを発見!
パディントンとかプーさんとか、イギリスに熊のお話が多いのはそのせいに違いないとの思い込みをますます強めているワタシです♪

そんなワタシが最近見つけたのは「cave bear」。
2万数千年前に絶滅したとされる「ネアンデルタール人」は、4万年前に絶滅した熊「cave bear」を崇めていたのだそうです。
スロベニアにあるネアンデルタール人の遺跡では、4万3千年前に「cave bear」の骨で作られた笛ネアンデルタール・フルートというものも発見されたとか。
おとといの夜には、『CLAN OF THE CAVE BEAR』というアメリカのベストセラー本の感想が綴られた日本のサイトを発見。
ネアンデルタール人とクロマニョン人が共に存在した世界を描く 「原始人小説」(←この響きなんだか面白くないですか?)についての、独自の蘊蓄(うんちく)には興味がそそられました。

そのサイトにあった「ヤンガードリアス」という言葉の「ドリアス」の「ドロ」が気になり、「ヤンガードリアス」で検索したところ、12,900-11,500年前にあった氷河期のことだそうで、その名の語源は「dryas octopetala」というスイスやスコットランドなどに自生する8つの花びらをもつ白い花(高山植物)とのこと。
そこから「DRYAD(ドライアド)」というのに行き当たり、それが「木の精霊」という意味であることを今さらながらに知り、なるほど〜♪と。
木を知る者・ドルイドに戻ってくるのに、一体何年かかったことか・・・。
『赤毛のアン』に「ドライアドの泉」というのが出てくるのに、こっちからのつながりに気付かなかったのも我ながら情けない。(泣)

4月からNHKBS2で始まった『精霊の守り人』というファンタジー・アニメのことも全然知りませんでした☆
昨日本屋で『CLAN OF THE CAVE BEAR』を探していた時に目にとまった、原作の『
精霊の守り人』という本の帯に書かれた番宣にワクワクさせられたワタシは、今朝さっそくアニメ版をチェック。
・・・主人公がオープニングなどで歩いている風景、ワタシが昨日歩いた田んぼ道みたいでした。(笑)
確か舞台は、どこぞの宇宙だったはず・・・なのにまるで昔の日本とか中国みたい。
それに描かれている登場人物たちの顔がどれも怒ってるみたいで恐い★
今日日(きょうび)、この手の荒唐無稽な舞台設定の物語のことをファンタジーというのでしょうか???
ちょっとガッカリ。

一話目に感じたあまりの違和感に観なくなっていた『風の少女エミリー』もついでに観てみたんですが、思ったことすべてをすぐに口に出しちゃうエミリーは相変わらず気が強すぎ。
「この世のありとあらゆるものが込められた詩が書きたい」なんて、本当のエミリーなら言わないんじゃあ・・・。
他のキャラも、自分の思いを語る語る。(笑)
ジミーさんでさえ理路整然としすぎで、こんなの『エミリー』じゃない!
まあ、別のお話と思って観れば、それなりに観られるイマ風な味付けとも思いますが・・・。

台詞や絵ですべてをスッキリ表現できる、っていう雰囲気の「石」の作品じゃなくって、行間にニュアンスを込めた「泥」の作品が観たい今日この頃。
といっても、ドロドロの愛憎劇はご免ですけど。(笑)

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