『どうする家康』
〈YAHOO感想掲示板より転載〉
さて、一昨日はあんな風に書きましたが、実は気になっちゃってることがあります。
それは、古美門は本当にヒーローなのか?っていうこと。
安藤貴和事件のお話の中で明示されている事実は・・・
①「徳永さんが毒物を大量摂取して亡くなった」という事実
②「徳永さんの娘さんも同じ原因で死にかけた」という事実
③「徳永さんちに入り込んでいた貴和は当初、『徳永さんの死やさつきちゃんが死にかけたことと自分は無関係(=無実)』と主張していた」という事実
④「『吉永慶子』との面会を機に、貴和は『徳永さんの死やさつきちゃんが死にかけたのは自分の犯行によるもの』と主張した」という事実
⑤ 「④の理由は、『自分が無実を主張することでさつきちゃんに何らかの不利益が生ずる』と、貴和が確信したこと」という事実
⑥「貴和と金崎親分との間に女の子が生まれ、その子は生まれて間もなく実の両親と離ればなれになった」という事実
⑦「貴和と金崎親分との間に生まれた子とさつきちゃんは、同じ手の同じ場所に二つのほくろがある」という事実
⑧「⑦を理由に、貴和はさつきちゃんが自分の娘であると確信している」という事実
そして、④と⑤は⑧を前提にすることから生まれている、ということも事実として捉えて良いでしょう。
蘭丸vs.服部の捏ち上げ訴訟の証人として呼ばれた法廷で、古美門が彼女とさつきちゃんの関係を推論し始めたときに見せた貴和の狼狽ぶりが、それを物語っています。
さて、⑤の事実として
「④の理由は、『自分が無実を主張することでさつきちゃんに何らかの不利益が生ずる』と、貴和が確信したこと」という事実
と書きました。
では、貴和が確信した「さつきちゃんに生ずるであろう不利益」とは何でしょうか。
考えられるのは
(a)真犯人と疑われること
(b)「自分が実の母親で、ヤクザの親分が実の父親である」ことがあきらかにされること
の二つです。
ドラマの仕立てとしては(a)が強調されていましたし、視聴者の感想にも「さつき真犯人説」を「真相」と受け止めている人が少なからず見られます。
しかし、もし貴和がこのことを理由にさつきちゃんを庇おうとしたというなら、なぜ彼女ははじめから庇わなかったのでしょうか。
それは「庇う必要を感じていなかった」としか考えられません。
貴和が事件当初から「さつき=真犯人」の可能性を少しでも感じていたなら、取調べの段階から無実の罪を被ろうとしたはずです。
つまり、人間心理の観察分析に長けている上に、「かつて捨てたわが子」への特別な視線を注いでいた貴和の眼識によっても、事件前後のさつきちゃんからは疑わしさを感じることは何も無かったということになります。
そう考えると、貴和が恐れた「さつきちゃんに生ずるであろう不利益」は(b)と考えるのが妥当です。
吉永慶子を騙った羽生春樹の性格を考えても、貴和を脅すネタとして使えるのは(b)がせいぜいでしょう。
しかし、古美門には(a)を捏ち上げるなんてことは屁のカッパ。
蘭丸vs.服部の裁判を捏ち上げ、貴和を証人として法廷に引きずり出した上で、傍聴席のマスコミ記者の前で(a)説を展開してみせます。
おまけに、貴和が無実の罪を被ってまで隠そうとした、さつきの出生の秘密までも。
そうすることで、さつきちゃんが世間からどのような扱いを受けることになるのか、わかっていながらそうしているのです。
後に、さつきちゃん個人の気持ちをケアするために、貴和とさつきの血縁を否定する鑑定書を黛さんが捏ち上げていますが、そんなことで世間の口に戸は立てられません。
事件を物語と捉え、その登場人物の相関関係に向けられる下世話な興味がさつきちゃんにどんな不利益をもたらすか、誰よりも良く理解していながら、敢えてそれを世間の眼前に晒す古美門は、人の醜さや愚かさを愛しているのではく、利用しているだけなのです。
古美門が人の愚かさを愛していると思わせるシーンが無い訳ではありません。
貴和が最後に古美門から渡されたDNA親子鑑定書を焼き捨て、「最初から鑑定なんてしてないんでしょ?」と問い掛け、古美門も「そうだ」と応えたシーンがそれ。
貴和にしてみれば、さつきとの関係は自分の中での確信だけで充分であり、客観的な「真実」を確認するようなものではないし、確認することは恐ろしくもある。
どうせ古美門のことだから、彼の手にする「真実」は都合良く捏造されたもの、そう思えば鑑定結果を見ないことを合理化できる。
この「信じたいように信じた世界に安住したがる愚かさ」を、古美門は愛しているのでしょう。
さてこのシーン、テレビの前の視聴者には「さつきちゃんの出生の秘密を闇の中に葬る古美門の優しさ」と映るように作られています。
だがしかし!
よくよく考えて観てみれば、ドラマの中の愛すべき愚かな世間には、古美門事務所でのやり取りが知られる訳も無く、さつきちゃんは世間から飽きられ忘れられるまでゴシップネタにされたまま。
結局のところ、あのシーンはさつきちゃんに対する優しさではないのです。
羽生が「愚かな人間を導こうとする傲慢な男」だというなら、古美門は「愚かな人間を利用する不遜な男」。
そんな彼をトリックスターと描くことで、ドラマ全体がコメディーになっているリーガルハイですが、何故だか古美門がヒーローに見えてくるシーンを見せられると、何だか白けてしまう私。
でも、古美門をヒーローとして見たいように見る視聴者と、見せたいように見せる作り手という図式が上手く成立しての高視聴率なのかもしれませんね。
それにしてもなぜ羽生は、ヤクザ金崎が貴和と繋がっていることを知り、彼からさつきが貴和との間にできた子である(その可能性がある)ことを聞き出すことが出来たのか。
これも謎のままですが。
『キサラギ』のように、真相が物語の中では明らかにされずに終わった『リーガルハイ』。
如月(きさらぎ)が2月のことならば、あの女の子の名前が「さつき」であった名前繋がりが気になります。
とはいえ、黛が捏ち上げた「事実」こそ、真実だったのかもしれないと最後まで観て思った私。
貴和が置いていった「毒」を、ウッカリお父さんが調味料だと思って鍋に入れちゃって、それを沢山食べて亡くなって、それほど手を付けなかったさつきちゃんは生き残ったのかも。
それにしても羽生が好きだったのは黛ではなく古美門だったとは!
でも納得。(笑)
羽生と古美門、どちらが「正しい」ではなくそれぞれのキャラだったという描き方にも、納得。
これって「こち亀」みたいに「永遠に続く」ギャグ漫画だったんですね♪
でも一般に『リーガルハイ』のファンの人たちが感想掲示板で書いているように、古美門は成長していなくて、黛が成長している、というのはちょっと違うと思った私。
だって古美門、羽生のやり方に戸惑ってるというよりは何かを感じてる様子でしたから。(違?)
『リーガル・ハイ』(第1シーズン)を、何話目か(確か「赤毛のアン」て黛が呼ばれていた回)だけ観て、その後も視聴しなかったのは、「古美門は成長しなくて、黛が成長する」物語だったらツマラナイと思ったから。
でも『リーガルハイ』の最終話には納得しちゃいました。
「人の愚かさを愛せ」
と羽生に説いた古美門。
並外れた自己愛の持ち主である彼が、自らの愚かさを自覚し誇りにさえしているからこそ言える言葉なのでしょう。
私は「天才の名誉毀損」の回とか「あじさい文具」の回、「天才アニメ監督」の回がお気に入りでしたが、あの回に登場した人たちは「愚か」とは全く思わなかったので、古美門のその部分の主張には納得している訳ではありません。
とはいえ、古美門の古里のお父さんが心配して下さってる理性偏重な部分が幾分和らいできているのも確かなので、全体としては納得。
世の中には、「サンタクロースはいない」のは確か。
でも「サンタクロース」を子供たちに届けたい大人たちの想いがあることに、古美門も気づき始めているようです。
羽生との対決を通じて、見えるはずも無い真実を求め、良心と自制心に支えられたユートピアの実現を信じる、そんな「愚かさ」をも愛し始めたようにも思えます。
また次なるシーズンでの古美門と黛(&彼女父)の活躍が楽しみになってきました。
この次には是非とも『かんなづき』で夜露死苦!(ナイ)
昨晩の『リーガルハイ』、先ほど録画したのを観ました。
先々週のお話は、恋人たちを自分の養子にしちゃったキャリアウーマン、という決着の付け方が「子供」との間に子供が生まれた場合、法というより人の道にハズレてしまうので、コメディだとはわかっていてもなんだかなぁ★でしたが、先週のアニメ監督の話は面白かったです。
『リーガルハイ』は「事実」関係がひっくり返ってひっくり返って、そうやって各人の隠された本音が大爆発、ってことが毎回これでもかというほど描かれますけど、観ている人のほとんどがコミカドの仕掛けたトラップのことをいつのまにかスッカリ忘れて、彼の理屈に拍手喝采しているように思います。
そして、今回明らかになった羽生の工作には「統制的」だからダメなんだって思ってるとすると、実はほとんどの視聴者は物語の理屈部分には付いて行けてないんじゃないかと思ったり。
大笑いしてるうちになんとなくコミカドに化かされて、最後は彼の真面目顔(したり顔?)に納得するしかない、って演出ですからね。
私も付いていけてませんが、騙されないようにもう一度観るようにしてはいるんですけど。(笑)
人の欲望は計り知れない、ってコミカドは言ってましたがそれはその通り。
でも人はそれだけじゃないですからね。
「ゆとりの国の王子」呼ばわりされる彼が、恋心から強引に統制的に成そうとする「正義」。
この手のプロットは陳腐と言えるほど、ありがちなお話です。
まさかこれで終わりじゃないですよね?
ありがちな展開、からの・・・ですよね、古沢さん!?
先日、免許証交付手続の待ち時間に、昔ひいて大事にとっておいたおみくじをお財布の中から取り出して読み返してみました。
そこには、
「人間が幼なごころを今度は再び自分の叡智の中に見いだすことを神は待ち受けています。」
の一文が。
こういうのって「奇麗ごと」?
我らが黛さんが「目覚める時」が、果たしてどのように描かれるのかが待ちきれないけど、シリーズ化のためにそれはまだまだ先延ばし、ってことになっちゃうと、そこまでは待ってられないなぁ。
あ、なぜか広末裁判長は好みのキャラです♪
『リーガルハイ』の古美門と、『ごちそうさん』の西門和枝。
どちらも凄まじく「かどが立つ」物言いの二人。
時空を超えた超舌バトルを観せてくれませんか、沫嶋センセ。(笑)