october sky〜遠い空の向こうまで〜

謎主婦・風信子(ヒヤシンス@nobvko)のブログです。宜しくお願いします♪

カテゴリ: ぜいたく長男

年明けの2日から、夏休み同様、上野にある博物館で入場者案内のアルバイトをしている長男。

早朝からお弁当をもって出掛けていきましたが、帰宅するなり

 

「中谷美紀さん、って知ってる?」

 

と聞いてきました。

 

「中谷美紀? 『JIN-仁-』で花魁役をされてた人じゃない。 それがどうしたの?」

 

「僕が土偶のストラップを配っていたら、『いいな〜♪』って」

 

「え???」

 

事情が飲み込めずに、よくよく話を聞いてみると・・・。

博物館入口を入って右手奥で、ちょっと大きめの土偶のストラップを整理券と引き換えに配る仕事をしている長男。

そこへ、博物館のスタッフの人と一緒に近づいてきたラフなスウェット姿の美しい女性が、そんな風に声をかけた後、向こうへ行ってしまったそうな。

で、別のアルバイトの先輩から、

 

「今日の鏡開きのゲスト、中谷美紀さんだよ」

 

って教えてもらったんだとか。

ネットにある写真を長男に見せて、「この人だった?」って聞いてみたら、

 

「もっと若い感じに見えたけど、この人だった。」

 

とのこと。

三十路過ぎた女性って、普通は写真写りの方が若く見えたりしますけれど、流石は女優さん、実物の方がずっとお若く見えたんですね。

 

「あちきにも、そのストラップとやらをくんなまし♪」

 

って言ってる姿が眼に浮かぶようです。

 

 

 

 

香取のうなぎの佃煮、実は今春いただいた入学祝いの返礼に送ろうかな、と検討した品でしたが、自分がまだ食べたことないもので今回は断念。

うなぎの佃煮の代わりに、長男の在籍していた高校で販売しているバラの花束を送りました。

 

佃煮、というところがなんとなく味濃そうな感じでしたが、「味はしっかりしていながら、しつこさはない」とのこと、今度食べてみようと思います♪ 

 

さて、バラと言えば、今日の治験の待ち合い時間に観ていたNHKの朝の情報番組で、バラの花が映えるガーデニングを特集していました。

やっぱり今が旬なんですね。

美しい。

こちらはおととい、長男が学校帰りに買って帰ってきたバラとカーネーションの花束です。

 

 

3月3日に長男の私立高校で卒業式がありました。

『君が代』斉唱で始まり、テンポよく進行した式の最後は『仰げば尊し』と『蛍の光』の合唱。

 

『仰げば尊し』は、1番を卒業生、2番を在校生と教職員、そして3番を参加者全員で歌いました。

このようなスタイルで歌うことで、歌詞の内容が巣立つものと送り出すものの応答になっていることがわかり、思いのほかジーンと来て涙が流れました。

 

「今こそわかれめ いざ さらば」

 

この歌詞は、簡潔なのに心がこもっている、素晴らしい歌詞だと改めて感じます。

こうした歌を、卒業式で「普通に」歌わせてくれた「ぜいたく高校」、縁があって本当に良かった!

3年間お世話になりました。ありがとうございました。

 

 

さて、巷では歌うのが避けられているという『仰げば尊し』の2番の歌詞、「身を立て名をあげ」ですが、もどちらかというとあまり好きではありません。

 

「名をあげる」というのは「立身出世」を奨励するようだから、というのが日教組のセンセイ達に嫌われている理由だとのことですが、原案ではその部分の歌詞は「身をたて名をたて」だった、と今朝の産経新聞が『土日曜日に書く』で伝えています。

 

では「身をたて名をたて」の意味は?というと「りっぱな人という評判を得、その名を後世に伝えることができ、父母の誉れとなる」親孝行を説いたもの、とのこと。

これだと「身を立て名をあげ」との違いはあまりない感じ。

 

的には、「身を立て」は自分で立つ、ということでそのままでOKですが、「名をあげ」(「名をたて」)の部分は、「名もなく」にしたら・・・と思います。

ミスチル風?

 

 

さて、次男坊の公立中学の卒業式は、大地震のあった日の午前中にとり行なわれました。

校長先生は、式の前日に配布したプリントで、「本当は『仰げば尊し』を歌わせたかったけれど」とわざわざエクスキューズされてましたが、当日の式次第にはその歌のタイトルはもちろん無し。

代わりに、森山直太朗の『虹』という歌が歌われました。

 

その歌詞には

 

きらめく日々に 君はまた 指を立て

波のさざめきと うらぶれた言葉

遠い空を探した

 

というのがあります。

 

メロディーはまだ良いのですが、この歌詞には?(ハテナ)でした。

意味が分からない。

 

「指を立て」???

「うらぶれた言葉」???

 

どうしてこの歌を止めて、『仰げば尊し』にしなさい、と言えなかったんだろう?校長先生。

本当にそう思うなら、そう出来る立場のはずなのに。

やっぱり嫌じゃないんじゃあ???

 

こういったことからも、全共闘世代の大人たちには信頼が置けないと感じるです。

 

地震のために延期されていた、長男の大学入試ラストチャンス。
3日前に、試験は実施されず、センター試験と高校調査書のみで合否を判定することが発表されました。
先ほどHPを確認したら、合格発表日は24日となったそうで、もうしばらくヤキモキさせられそうです。

国立に縁がなかった場合に入ろうと思っている私立の書類送付締切も24日なので、とりあえず残りの学費を振り込んで書類も送付しておくことにしました。(この分は、入らない場合は返還してもらえるそうですし。)

 

その旨、最近ケータイを持つようになった逗子の母にも知らせておこうと、

 

「●●はセンター試験と調査書で合否が決まることになりました。」

 

とCメールしてみたら、「おめでとう!」と突然母から電話が。

 

「???何で?」

「だって『センター試験と調査書で合』って書いてあったから」

 

どうやら母はメールのタイトル(?)だけ読んでいたようです。

本文があるとは知らずに。

だからこれまで届いた母からのメールは「元気です!」「大丈夫!」と短かったんだな、と合点。

大笑いしました。

 

地震が起こってから外出していないという母は、友だちと会うこともなく寂しそうです。

一方、我が家では今日ようやくガソリンを入れることが出来てホッとしました。

 

それにしても母の所は計画停電にまだ一度もなっていないそう!

ちょっとビックリ。

何で???

 

 

長男の本命大学の前期試験の合格発表日でした。
結果は、残念ながら不合格。
決着は今週末の後期試験まで持ち越しとなりました。
覚悟していたこととはいえ、やはり気落ちしていた長男ですが、なんとか気を取り直して後期試験に向けてラストスパートをかけた様子です。

合格発表を確認するため掲示板の前に行くのは、自分の時を含めて3回目になりますが、緊張感は何とも言えません☆
でも、ネットで合否を確認するより、諦めもつきやすい気がします。
自分たちと同じように肩を落として掲示板の前を去る人たちが、今回でいえば、全体の4分の3くらいいたからでしょうか。

昨日発表だった長男のチャレンジ大学は残念ながら不合格。

もし受かっていたら、私大入学金の納入は本命の結果がでるまで先延ばしに出来たのですが・・・。

さて、今日のうちにでも保険金(?)を振込にいかなくちゃ。

 
それにしても、28万円(!)は入学するなら納得いくとしても、もし入らなかった場合には大きすぎる額!!!
それでも致し方ない、ってことなんでしょうか。
かなり疑問が残ります。
入って来た時の準備をするために必要な金額、ということらしいですが、本当に皆が入ったら対応できるんでしょうか、大学???
 
日本はこういう制度なんだってこと、今回の受験まで知りませんでした☆

ハプニング続き(?)だった次男坊ですが、本日無事に本命高校に合格しました。

長男は先週2日続きで受験した私大2校から合格を頂き、
今週はこの前の土曜日に受けたもうひとつの私大の結果を待ちつつ、今度の金曜日にある本命大学の試験に向けてラストスパート中。

次男坊の発表は朝の9時でしたが、ドキドキ心配しながら校門の前で番号が張り出されるのを遠巻きに待っていたちょうどその頃、遠いニュージーランドの地で大地震が起こっていたとは・・・。

先週の土曜日に、長男の高校の個別面談がありました。
入学式にはnobukoの夫が出席したので、担任の先生とお会い
するのは今回が初めて
ちょうどよい機会だからと、まだどんな高校に孫が通うことになったのか知らない母を呼び出して、高校近くの駅で待ち合わせ&久しぶりの外食の後、バスに乗って出かけました。

この4月はなんだか雨続きでしたが、その日はラッキーなことに良いお天気。
高校前のバス停で降りて、校門をくぐり、
木立の中を抜けると、とても気持ちの良い風景が目の前に広がりました。

公園のような敷地内には近所の人たちでしょうか、あちらの芝生の上ではお弁当を広げている家族がいたり、こちらではフリスビーや鬼ごっこをしている子供たちがいたりして、それぞれがゆったりと休日の午後を楽しんでいます。
まさに散歩日和。
母と二人、園内をグルリと回って、面談までの時間をつぶしました。

2、3人ずつ、吹奏楽の練習をしている生徒さんたちがいたり、6面もあるテニスコートではボールを打ち合っていたり。
かわいい扉の幼稚園の前を通り抜けながら、「やっぱり幼稚園は平屋よね♪」とつぶやく母。(笑)

そうこうするうちに5分前になったので、急いで教室の前に行くと、それぞれの教室の前では順番待ちの保護者が仲良くおしゃべりしていました。

「ここ、ゴルフ場があるでしょう。うちの主人が(娘を)『入れるならここだ!』って言って。ホホホ。」

「○
さん、いつも主人がお世話になってます。」
「えっ? あらぁ、そうでしたの? 存じませんで失礼しました。」

「家から自転車で15分だから、自転車通学にしてって頼んだんですけど、電車がいいって押し切られて、ホホホ。」

へ〜。こちらに通われてる生徒さん
のご家庭は、皆さんこの近辺に住んでるみたいだな
なんだかプチリッチな雰囲気もプンプン。
ちょっとワタシとは話が合わなさそう。


気後れし始めた頃、自分の番に。
初めてお会いする担任は、
ワタシよりも12〜3歳くらい年上の男性。
気さくなのにキリリとしていて、何と言いましょうか、そう、明治の頃の立派な教育者のような方でした。
といっても、
ワタシの高校の時に人気のあった漢文のおじいさん先生とはちょっと異なる感じ。
今時、こんな先生がまだいらっしゃるとは!

その先生の受け持たれている教科は英語。
聞けば、1976年から
5年間ほど、ニューヨークやボストンの大学院に留学していて、空手を教えながら生活されていたそう。
ワタシは79年からの2年間なので、ちょうど2年間がかぶってます!
懐かしさ
のあまり思わず、

「東海岸はいいですよね♪ また機会があったら行ってみたいです。」

と、長男のことより先生の東海岸談をお聞きしたくなったのですが、
10分間しかない面談なので仕方なく長男の話に戻して(笑)その日は帰ってきました。

「どの学校に入るかではなく、将来、何がしたいのかが大切。」

とおっしゃる先生。
国を飛び出していった青春時代を送った先生から発せられると、やっぱり説得力。(笑)
ウ〜ン、ワタシも広い敷地の私立高校だったのに、なんでこういう先生がいなかったんだろう!?
なぜか左翼活動家みたいな先生が多かったし。
この差は一体・
・!?

ロビーにおいてあったパンフレットを、母と別れてから電車の中で取り出して読んでみると、次のような箇所が目にとまりました。

「無試験入学、全寮制、男女共学、外国語と道徳学を主としたカリキュラムで、かつ図書館での自学自習を教育方針の中心とし、寄宿舎も含め、そこでの生活の管理は学生の自治に任せるという内容」

そんな塾が1935年に開かれたそうです。

戦前に、そんなビジョンを描いた人がいたなんて


今は無試験でもなければ、自学自習が教育の中心という気風でもなさそう。
それに、
ワタシなんかがちょっと戸惑うほど、やたらルールが厳しい
長い時を経て人伝に追われた理想は、本来の姿を失っていないのか疑問がないといえば嘘になります。
とはいえ、いろんな意味でぜいたくな高校に通う長男が、なんだか羨ましくなりました。


先週の土曜日に入学式を終えた長男は、さっそく今日から通常登校が始まりました。
同じ電車に乗っていくために、近くの駅まで20分ほど歩くnobukoの夫と長男の二人にくっついて、ワタシも久しぶりに散歩を再開。
まだ花粉が恐いので、しっかりマスクをつけて。(笑)

電車の時間に間に合うように急ぎ足になった二人と途中で別れて、まだ誰もいない
公園の長い坂道を登って行きました。
ひと月ほどのブランクのせいか、息を切らしながら歩いていると、10メートルくらい先に何やらぴょんぴょんするものを発見!
昨年の夏以来見かけなくなっていた灰色ウサギでした。

幾何学的に刈り込まれた緑の植え込みの間を、先へ先へと
跳んでいくウサギ。
その後を追う自分は、まるで不思議の国の物語の主人公になった気がしました。

そういえば、ウサギが見あたらなくなった夏頃から今日までの間、
本当に不思議な出来事を体験したなぁという実感があります。
塾や通信教育なしで、進む道を求めて悪戦苦闘している長男の姿を端で見ながら、心配ばかりが募るワタシは、まるでウサギを追いかけて四次元世界に迷い込んだよう。
そんな母を尻目に、父のアドバイスを全身で受け止めた長男は、紆余曲折の末、桜が満開に咲き誇る
場所に辿り着きました
一歩足を踏み入れると、今時こんな所にこんな学校があったんだぁ♪という驚き溢れるその空間は、まさにワンダーランドそのもの。
でも
我が家にとってはちょっと、というかかなりぜいたくな高校でもあります。(笑)

跳んでいく彼を見失わないように、今日もご飯を作るワタシです。

長男が入学することになった高校から、いろいろ届きました。
入学までにやっておく3教科問題集やら、入学式の後で開かれる会食への出欠アンケートやら・・・。
キャンパスの環境とかカリキュラムの内容とかを考えればむしろお値打ちなのかもしれませんが、やっぱり萬年手許不如意の我が家にとっては、「ぜいたく」高校★(笑)

本人は目標達成がならず、ワタシはこれからのやり繰りのことを考えると落ち込まないといえばウソになります。
でも、進むことになった高校は、学校見学に訪れた中で一番良い印象を持ち帰ったところというのも本当なので、気持ちを切り替えようと思います☆
今は亡き父も、夢にまで出て教えてくれたわけですし。

それにしても、部活にも最後まで取り組み、塾へも行かずに自力で挑んだ高校受験。
天晴れでした!(親バカ
受験が本格化した夏頃から出始めて、
いまだ治らない彼の真っ赤なニキビが、新しい生活の中で癒えていくことを願っています

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