october sky〜遠い空の向こうまで〜

謎主婦・風信子(ヒヤシンス@nobvko)のブログです。宜しくお願いします♪

カテゴリ: 坂元裕二さん作品

『初恋の悪魔』

悪という字は、「亜」と「心」からできている。 亜とは「次」「2番目」という意味なので、 悪は「2番目の心」。 恋という字も、「亦」と「心」からできている。 亦とは「また」、英語で「also」の意味。 なので、恋は「また(これも)心」。

〈YAHOO感想掲示板より転載〉

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この間の日曜日に、久しぶりに佐倉の歴史民俗博物館へ行ってきました。
2019年に全体的なリニューアルがあったそうですが、最初の縄文コーナーだけでも展示物の面白さとその量に圧倒された
写真は、その帰り道に寄った「境川警察署」と風車。

今日は診察日。
先月の8月8日で手術から無事半年が経過したのですが、の場合はまだしばらく様子見した方が良いとの先生の判断で、いまだに2週間に1度の通院を続けております。
先月、「毒薬」記載のオレンジ色の錠剤をやっとストップすることができたので、その後の経過観察のためです。
「毒薬」が処方されていたのは、多くの人が持っているサイトメガロウィルスへの抗体を持っていないため。
何かあればすぐまたひと月くらい入院することになるので、慎重の上にも慎重を期した方が良いのだろうなと思います。

今日の診察では、ずっと飲んできたステロイド薬を半量に減らすことになり、内心小躍りした
薬局でもらった添付書を改めて読んでビックリ☆

「現実からかけ離れた幸福感」が現れることがあるぅ!?

このお薬は1月に入院してすぐ、手術の前からずっと飲んでいたのですが、この副作用には気づきませんでした。
どうりで入院中(特に手術前)、時折えも言われぬ幸せな気分に包まれたわけだ、と納得したです。(謎)



先ほど、『花束みたいな恋をした』をU-NEXTで観ました。
バロンという名の猫が出てきたり、羽田さんが「はらさん」に聞こえたり。(

その後、『義母と娘のブルース』の新春スペシャルを観たら、白いスニーカーを履いてる人たちの描写が。

今年最初の小さな奇跡だ!(

明け方、マーリンの呼ぶ声で目が覚めて、いつものように台所へ向かいました。
小さな声で鳴いた後、いつもとは違う痙攣のような状態が始まったマーリン。
急いで寝ていたnobvkoの夫と航を呼んで、みんなでマーリンの最後の時を見守りました。
実は昨日の午前中も、同じような状態になった彼に、一度は死を覚悟した我が家。
そこから不思議な復活を遂げたマーリンは、最後の力を振り絞るかのように水飲み場の間を休憩を入れながら行ったり来たりしたり、いつも座っていた窓近くのクッションでうずくまったりしていました。

♪名前はマーリン
気まぐれな猫
いつも勝手なことばかりしている
でもマーリンと呼んだら
口笛吹いたら
すぐに私のそばに来てね
マーリン

寂しい時には
慰めて欲しいの
だって お友達でしょ
ねぇマーリン
そうでしょう♪

マーリンが好きだったペリーヌ物語の替え歌を歌いました。

今年の3月の半ば頃、奥歯が一本抜けた頃から口の中の違和感で食べ物が取りずらくなっていったマーリン。
6月末には通院していた病院の先生に、口の中に腫瘍ができていると告げられ、そこから2ヶ月ちょっとの間、だんだん食べられるものがなくなっていって、最後の二週間は水だけを飲んでいましたが、それもとても辛そうでした。
今は、先逝猫たちが眠るそばにnobvkoの夫が急いで用意した玄関脇のお墓で、安らかな眠りについています。


2022年1月6日追記:先ほど、『花束みたいな恋をした』をU-NEXTで観ました。
バロンという名の猫が出てきたり、羽田さんが「はらさん」に聞こえたり。(咲)

とわ子の勤め先の跡取りは、とわ子が社長を継いだことになんのわだかまりも抱かないし、とわ子の部下の血の気多め女子とも最終的には和解できる。
とわ子の昔の知り合いは、道で出会えば向こうから声をかけてくれるし通行人だって道を開ける。
何よりとわ子の2ndと3rdシーズンの元夫は、どちらも自ら身を引いた離婚だし、それはとわ子の父が妻の心を知って自ら家を出たのと同じでした。
カゴメは、もしかしたら八作あるいはとわ子のことを想っていたけれど、その心を隠して独り身を貫き、元夫たちは新たな恋にうつつを抜かすこともなく元妻のそばに居たがる。
対する主人公はというと、そんな周囲とは適度な距離を保ちつつ、自らの自由は決して手放さないでいられるという、現実はなかなかそうはならないけどこうだったら良いよねというアン・シリーズに通じるユーモラスな世界観だったと思います。
そんな「逆に愛してる」世界では、あり得ないほど無垢な王子様は極端な二面性を持つ道化師として舞台から消え去るのでしょうか。

パンが発酵するように豊かな時間の中でキャリアと家庭の両立を夢みた女性たちの、都会に渦巻く夢が結晶化された『大豆田とわ子と三人の元夫』はほろ苦い味わいでした。

結婚と死と誕生と。
その3つが見事に描かれていた『とわ子』は、やっぱり坂元さんの夢の家?

オダギリジョーがとわ子の似顔絵を描いていた場面で、その昔『新選組!』の似顔絵を描いていた頃、オダギリジョーだけは本当に描けなくて苦心したことを思い出しました。(
そして坂元さんのこの物語を、モンゴメリの次男坊にできることなら観せたかった。
おそらく次男のスチュアートさんは、母親の死を受け入れられず最後まで苦しんでいたように思われるのです。
彼がカバラの運命数が33(6でした)であったことも、運命数が7だった母モンゴメリの心を理解できなかった理由なのではと思っている
母であろうと女性でもあるモンゴメリが、父以外の男性を生涯想い続けていたことに、日記を預かったことで気づいてしまったであろう繊細な彼は、戸惑い傷ついたことでしょう。
とわ子のように、自分が両親から生まれたことを喜べなくなってしまっていたかもしれません。
とわ子が母の想い人であった真(マー)さんから話してもらえたように、スチュアートにも「あなたのお母さんはあなたのお父さんも、あなたがた子供たちのことも本当に愛していたのよ」と言ってあげたいと思うのです。
きっと聡明な彼のこと、そんなことはもちろんわかっていて、ただ理解のない世間に対して口を閉ざしていただけなのかもしれませんが。

『大豆田とわ子と三人の元夫』の6話で、かごめさんが漫画を書き上げた後、急死してしまう展開を観て、これはジム船長が出来上がったばかりの『生活手帳』を読み終えて、満足した後にすぐに亡くなった『アンの夢の家』のエピソードと重なることに気づきました。

もしかすると坂元さんは、とわ子のお話を1話からずっと、アン・シリーズに照らし合わせて描いていたの?
確かに第1話の「みんなと合わない風変わりなとわ子」の描写は、アン・シャーリーを彷彿とさせますし、第2話で描かれた慎森の愛されキャラは、『アンの青春』で登場するデイビー少年と重なります。
そう考えると、第3話で描かれた鹿太郎を弄ぶ高慢ちきで高飛車な女優は、『アンの愛情』に出てくるクリスチン・スチュアート?

となると、ちょっと問題なのが第4話。
『アンの幸福』に描かれたキャラが、4話に出てきたかなぁ。
すぐにはピンとくるものがなかったため、もう一度観てみました。
するとあら不思議。
八作が片想いしていたかごめさんが、あのキャザリンに重なっているように思えたのです。
何かと校長のアンと衝突していた教師キャザリンは、アンとの交流の中で本当は自分が何をしたかったのかに気づき、教職を辞めて、世界中を飛び回る秘書になります。
「気がついたらアイスランドに居た」ことのあるかごめさんは、「ローザンヌで食べた土美味しかった」って言ってましたし、一時期は世界をウロウロしていたはず。
そして、自分の本当にやりたかったことを始めた彼女が描かれた第4話。

そんな彼女が第6話で、漫画を書きあげた夜に亡くなりましたが、きっととわ子は、

「かごめが望んでいたのは、漫画そのものだったのよ。作品に与えられる賞ではなく、自分が思い描いた世界を描き出すこと。その望みを達したあの晩は、彼女にとっていちばん幸福だったにちがいないわ。」

と、受け止めたのだろうと思います。
かごめは、数限りない冒険譚が『ジム船長の生活手帳』という一冊の本になったジム船長であり、キャザリンの裏モチーフ(であるとが思っている)エミリー・ブロンテでもあるのでしょう。

こうしてみると、アン・シリーズ同様、『大豆田とわ子と三人の元夫』にも猫がたくさんいたことに気づいた
八作にまとわりついていた早良は、『アンの愛情』に出てきたセーラ猫?
鹿太郎はには、同じく『アンの愛情』に登場した猫のラスティに見えてしまうんです。
そういえば慎森と公園で出会った小谷翼も、公園ってところが猫っぽいし。
でも結局彼女は地方の旅館の後継娘だったから、アンと公園墓地で出会ったフィリパかな?

女主人の留守中にもかかわらず餃子パーティーをやってしまう面々がそんな風だから、パティの家に集うレドモンドの女学生や猫たちのように、何をやってもちっとも憎めないんですね。

そもそも、親戚の結婚式の場面から始まっている『大豆田とわ子と三人の元夫』。
いきなり船長さんも登場してたし、全体として感じるのは『アンの夢の家』です。
とわ子さんの元夫たちが、シャーロット・ブロンテに振られた三人男に重なって見えるですが、『アンの夢の家』にはその三人男が三人のおじいさんとして登場していることは『赤毛のアン ヨセフの真実』に書きました。
『アンの夢の家』2章では

「家というものは誕生と婚礼と死によって清められなければほんとうの家とは言えない」

というマリラのセリフがありますが、坂元さんの夢の家にはどんな展開が待っているのでしょう?
第2章が始まります。



3人の元夫たちが、シャーロット・ブロンテに振られた3人男(そこから派生したキャラクター含む)に因んでいることがようやくわかった今日この頃。(遅!)

子供っぽい、愛されキャラ慎森は、『アンの青春』のデイビー・キースが元型?
キースはケルト語で森。

なんか観てるとムズムズしてくる鹿太郎は、シャーロットに振られたジェイムズ・テイラー?
テイラーは仕立て屋という意味ですが、この場合は tale(空想物語)を語る人。

そして静かな佇まいが印象的な八作は、シャーロットが最初に振った副牧師ヘンリー・ナッシー?
八作のHとヘンリーのHが同じで、かつアン・シリーズは8作。(八朔と梨で果物繋がり??)

大豆田とわ子さんの苗字にある豆は、シャーロットが幼少期に描き続けた豆本から??
チェインストーリーも全て視聴してまーす!
ムズい!(咲)


追記:私見では、元夫たちがとわ子と結婚した年齢が、それぞれ22歳(八作)、23歳(慎森)、35歳(鹿太郎)だったのではないかなと密かに思ってます。


そして、関係ないんですけどこれを機会に、今までずっと「ヨセフを知る一族」と書いていたのを、村岡花子さんの言い回しである「ヨセフを知っている一族」に修正しようと思います。

『大豆田とわ子と三人の元夫』

とわ子さんの設定は、パリの貴族感満載です。 小粋なアパルトマンに住み、家から歩いていける距離に仕事場とかパン屋とか、生活するのに必要な場所が整っている。 結婚と離婚を繰り返してもメンタルをやられず、元夫たちと付き合い続けることにも抵抗がない。 仕事にしても、貴族だから割合簡単に重要な役職が舞い降りてくる。 そして仕事や家事に忙殺されず、自由な時間が割とある。 これって戦後日本の女性たちが、求め続けてきた憧れの像なんじゃないの? それなのにあまり魅力的には映らない、ってところがとても興味深いので視聴継続!

〈YAHOO感想掲示板より転載〉

坂元さんの『スイッチ』とか、野木さんの『MIU404』とか。
この夏で35年が経過したあの事故、というか事件のことを想起させてくれる夏ドラマであったと、勝手に受け止めているです。

・・・そのことに気づいたのは、今期の『半沢直樹』の後半戦を観ていてなんですけど。

『Mother』のトルコ版タイトルは『ANNE』。

anneの真ん中に月明かりのようなoをいれた『anone』。

タイトルと同じ名の亜乃音さん。

ハリカと出会うまでは、義理の娘から母として認めてもらえず、寂しい思いでいた亜乃音の心にポッカリと空いていたもの。

幻影の様な、分身の様な亡き娘に助けられつつ、目の前にいる息子には母としても人としても認めてもらえないるい子の心持ち。

長い間、世間の闇を見つめ続けた弁護士・花房の心にも、何によっても埋めることのできない虚しい空洞があったでしょうし、報われない持本にも同様の思いがあったでしょう。


一方で、ハリカを捨てた両親の、いつの間にか欠落してしまった部分。

弟を置き去りにしてからの中世古が、直視することを拒み続けた部分。


誰かを自分のことの様に思いやったり育てたりする性(さが)を母性と呼ぶのなら、そんなものは幻想だと捨ててしまうのか、それとも求め続けたり、心の隅にとっておくのか。

人は夜空に月明かりを見るとき、誰かを思い、そんな自分の内面を見つめているのかもしれないと、ドラマの余韻の中で思いました。

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