「波風を立てて面白くするのよ」
男装の麗人母ダヌキが雷の音でそうなり、玉瀾が豆腐屋のラッパでそうなり、次男坊のカエル兄が母ダヌキを見るとそうなるとの記述も。
そして、どの狸も檻の中では狸のまま。
ということは、化けていられることと、自由であることは、関係があるのでしょうね。
森見さん、詭弁論部の本領全開で、最終巻を描き切って下さいませ。
全体として文句のつけようの無い程素晴らしいと感じるアニメ描写でしたが、惜しむらくは海星さんの顔が描かれてしまいました。
それも真正面から。
小説を読んでいる間は、海星さんはいつも陰の中。
矢三郎には一切姿を見せず、声だけが聞こえる状態なんですけど、そういうのをイメージしながら読んでいる私は矢三郎と同化できます。
そして、海星さんとも。
矢三郎のことが好きな海星さんは、弁天に惹かれる矢三郎の目には映りたくないんだろうな・・・と想像したりして。
でもアニメの様にその姿を描かれてしまうと、私はただの第三者になってしまったようで、ちょっと寂しかったです。
そう考えれば、寿老人の顔が原作のイメージと違って恐すぎたのも、細身の淀川先生と同様に違和感を覚えはしましたが、こちらはまだ許容範囲の内だったかも。(笑)
それから最終回ラストの初詣シーン。
アニメでは、たき火にあたる「有頂天家族」にその他のキャラたちが声を掛けていきますが、ここも原作どおりに参拝客の人波の中でそれぞれが出会い離れていく、というのが観たかったなぁ。
って、アニメがあまりに素晴らしかったので、ついダメ出しをしたくなってしまいました。
欲張りだなぁ、私。
今朝の産経新聞にクドカンさんの「『あまちゃん』への思い」という記事が載っていました。
「震災を機に結婚を決めた女優の鈴鹿ひろ美(薬師丸ひろ子)に、アキの母、春子(小泉今日子)は『何でもかんでも(震災に結びつけて)』と毒づく。」
ふ〜ん、そんなシーンがあったんだ。
やっぱりこのドラマ、毒づくことが特徴だったんですね。
何を隠そう、朝から毒づいてる人たちを観ていたくなくて、最初の1〜2週で視聴を断念した私。
そういうのって日常に溢れているから、ドラマの中でまで観ていたくないなって。
でも、ふと気づきました。
あの震災でそんな普通の日常を奪われてしまった方々がいたんだなと。
ドラマの中で主役達が毒づくさまを毎朝観て共感することで、日常を取り戻していこうとされていたのかもしれないなって。
『あまちゃん』が大人気になったことに合点が行かず、テレビを消して悶々とした朝の時を過ごしていた私が、そんな風に思えるようになったのは、今週から始まった『ごちそうさん』に早くも癒されて、冷静に「あまちゃん現象」を眺めることが出来るようになったからかもしれません。(遅)
ゆずの歌ってあまり好きではなかったんですが、今回の主題歌にはやられました。
何かのゴールに向かって声を張り上げているイメージが強かったこれまでのゆずの歌とは違って、繰り返される日常の中にある穏やかさ、健やかさが巧みに表現されていてとてもいい。
こう言っては語弊があるかもしれませんが、昨日読み終わった森見登美彦さんの『夜は短し、歩けよ乙女』がドラマ化されたらこんなテーマ曲だったらいいなぁ♪ という感じなんです。(どんな感じ!?)
クスッと笑えるほんわかしたドラマは、大阪チームならではなのかなぁ。
また朝の楽しみが復活して嬉しい限り。
さて今晩、お天気がよければ録れているはずの『有頂天家族』最終回!
あまりに夢中になってしまって、森見さんの原作はもちろん、さかのぼって『四畳半神話体系』やら『夜は短し』やら『走れメロス』を、私には珍しく比較的短期間で読破。
『走れメロス』には、明治の文豪たちが書いた話を原型に森見さんが新たに書いたお話が5篇入っているんですが、最初の『山月記』を読み始めたらいきなりあの「詭弁論部」が登場!
このクラブ、『四畳半神話体系』にも出ていたし、『夜は短し』にも出てくるんですよね。
李白さんとか、樋口さんとか、羽貫さんとかの人だけではなく、偽電気ブランとか、偽叡山電車とか、森見作品にはクロスオーバーして出てくるものがたくさん。
こういう作風が本当に面白い。
森見さんの作品に繰り返し出てくるキャラたちは、それぞれの作品で共通の部分を見せたり、異なった面を魅せたり。
状況によって現れる人の多面性と、その奥に潜む本質を示唆しているようで、全体として浮き上がってくるキャラ像を徐々に掴んでいける所も面白い♪
今晩は台風が近づいていてまた雨が降ってきたけれど、最終回がきちんと録れていますように。
雨のちハレルヤ♪
森見さんの原作『有頂天家族』。
P.A. ワークスが描いているアニメ『有頂天家族』。
そのどちらも傑作だなぁと思います。
上手く言えませんが、古典が継承して来たものと現代的な感覚が緩やかな形で融合しているとでもいいましょうか。
で、改めて気になる存在なのが弁天さん。
私は、彼女が若かった時の姿を一目観た時から彼女が清楚可憐な乙女だとは全く思わなかったクチなんですけれど、それにしても魅力的なキャラだなぁと思います。
彼女は頂点を目指す女。
天がなんたるものであるかなんてことは、全然弁(わきま)えていません。(笑)
どんなことが待っているのか、ただ好奇心だけで突き進んでいった先に用意された金曜俱楽部の席を前にして、狡猾な夷川の意図に乗っかる形となってしまった。
好きな狸だった下鴨父を、食べてしまった。
こうなることも運命で私のせいではないわ、というスタンスで颯爽としているけれど、月を見てはひっそり泣いている。
「食べちゃいたいほど好きなのだもの。でも好きなものを食べたら、そうしたら好きなものがなくなってしまうんだもの。」
そんな一方で、美しい彼女を一目見た下鴨父は、魅惑されてしまったんじゃないかなと推測する私。
下鴨母への穏やかで安らげる、互いを尊敬し合える愛とは異なるもの。
わがままの権化のような弁天さんが、迷いなく思うままに突き進む姿は、若さ特有の美しさとあいまって何ものにも代え難い光を放っている。
誰よりも道理を心得ている下鴨父ですら、抗えない魅力を感じてしまったんではないでしょうか。
だから彼女の前では変身がいとも簡単にとけてしまったのではないかなと。
あぁ。
これは人間に化けて遊んでいる狸と天下無敵の天狗になった(なりたい?)女性のお話なのに、なんて人間臭いんでせう。
なのに何とも描かれ方が上品で、そこがまた魅力的。
ちなみに、今私が読んでいる(←時間かかり過ぎ★)『夜は短し歩けよ乙女』の乙女は、打算がなくてちょっとヤバいくらいに相手を受け入れちゃう天然系女性。
『夜は短し』は『四畳半神話体系』の後に書かれた作品のようですが、『四畳半』に出てくる黒髪の乙女の好奇心が、勢いを増しているのに上手い具合に回っていく『夜は短し』の天然乙女。
この好奇心が、あくなきものとなって悪く回転していく様が『有頂天』の弁天さん。
そして、弁天とは対照的に好奇心に抑制が利いているのが海星さん。
海星さんにはいわゆる上昇志向はなくて、道理を弁えている。
思いやりがあって勇気もあるから、普通ならだんぜん海星さんってなるんでしょうけれど、矢三郎にはそうは思えなかったのでは。
それだけでは何かが足りないと感じる性(さが)が己の内にあることに気づき、それが身の破滅へ繋がるものであると分っていたので遠ざけようとした下鴨父。
父親譲りのそんな性(さが)を遠ざけるのではなく、己の中のその部分を真正面から自覚して受け入れた後に、真に自分が望んでいるものは何なんだろうと問い始めたのが矢三郎なのではないかなと。
その一方で、惚れた相手が弟・矢三郎の許嫁であるだけでなく、その想いも弟に向かっていると察して身を引いたカエルの次男坊の悩み。
親の代と子の代それぞれの三角関係が、相照らすように描かれているのがとても面白く感じられます。
カエルの次男坊好きの私は、矢三郎と弁天の対等な交流を面白がって観ている自分にう〜んと唸っています。(笑)
弁天という完璧な外見美を持つキャラが、好奇心を欲望のままに強めていってもそれでは満足できず、狸の矢三郎やカエルの次男坊のそばでひっそり泣いている。
この描き方が良いんだろうなぁ、私にとって。
言い方は悪いですが彼女が並みの容姿だったら、周りもここまで振り回されたりしないのでしょうし、その分弁天も冷静に自分を顧みたりできたんでしょう。
でもそれではちっとも面白くない。
どんな女性にも多かれ少なかれわがままさがあって、それが弁天では半端無い形で描かれてるから面白い。
もちろんそれだけじゃないんですけれど、あれこれ考え始めると止らなくなる、ホント魅力的なお話です。
森見登美彦さんの『四畳半神話体系』を、読み終えました。
『四畳半』も、この間読み終わってしまった『有頂天』もラストへ向けての盛り上がり方が凄かった。
アニメではどのように表現されるのか、今からとても楽しみです。
『四畳半』の方は、第三話の文通がツボでした。
ちょうど実家へ向かう横須賀線の中で読んでいたのですが、危うく声を出して笑いそうになりました。
森見さんは、本当に面白い文章を書く人ですねぇ。
最初はちょっと取っ付きにくさを感じましたが、今ではもうトリコ。(笑)
真面目なのに堅苦しくなくて、どこかユルくて、どこかヘンテコリンで。(違?)
一番不思議な空気感を醸し出してるのは、京都の洛中が舞台なのに方言がほとんど(一切?)ないこと。
駅に降り立った時にウワッと包み込まれる、あの独特な関西言葉のうねりが文章に全くない。
それなのに、下鴨神社界隈ってあんな感じなんだろうと想像することが出来る描写力。
自分は住んだことの無い路地裏や商店街、そして神社の、なぜかそこを知っているような感じを覚えてしまうから不思議です。
自分の学生時代にもどこか重なる感覚の中にいる自分は、もぅ化かされているのかも・・・。(笑)
今度は『夜は短し歩けよ乙女』を、図書館ではなく本屋さんでゲットしたので、じっくり堪能しようっと。
私はこの夏、2007年の世界に舞い戻っています。
『有頂天家族』は2007年の作品だそうですが、当時は全く知りませんでした。
それが今では先が知りたくなってしまって、次男坊から本を横取りして読み終わってしまいました。
これは傑作ですね。
今さらですが。
どうぞまったりと続編を書いて下さい、森見さん。
『わたしたちの教科書』という2007年の坂元裕二さんドラマも、ラフマニノフの曲がどのように使われているのか知りたくなってしまって、先月から立て続けにネットレンタルしてるのにこちらも早く借りてみたいし。
頭の中は面白いことで一杯なのに、身体の方は夏バテ気味で、毎日のルーティンを終わらせるのに精一杯なのが玉に傷。
やっと届いた『有頂天人生』をMy MDに加えてヘビーローテーションしています。
2007年末に私の「父が冥途に居を構え」てから6年、ようやくわが家の時計もまた普通に動き始めたのかもしれません。
昨晩の『なんでも鑑定団』で、吉本新喜劇の元座長(?)石田靖さんの素人さんいじりの絶妙な芸を見ていたら、また無性に吉本が見たくなった私。
そしたらMXでやってるそうで、それならわが家も思い切ってケーブルに入り直そうかなぁ♪
確か電波障害該当地域とかで、お安くなってるそうですし☆
それから昨日ミタ遊川さんドラマ『学校じゃ教えられない!』のラストで、元校長の谷原さんがタクシーで空港へ行ってしまう所を、自転車で追いかけて追いついた深田恭子さんを観ていたら、ドリフのギャグを思い出した私。
息子が乗ってる汽車(電車?)を追いかけて、なぜか追いついて窓からお弁当を届ける長介母さんにちょっとだけ重なって可笑しかったです。
昨夜の『有頂天家族』をいつものように翌朝ミタわが家。
実は今回の分だけ待ちきれずに先に読んでしまっていた私ですが、アーケード街の屋根に取り付けられた高架通路の様子は、この間TVで見たパリの一角にあるアーケード街の屋上通路を小さくしたかんじなんだろうなと想像していたら、だいたいそんな風に描かれていて納得♪
でも、狸のお母さんの命を昔助けてくれた淀川教授の風貌にはちょっとというかかなり違和感。
細すぎるし華奢すぎる?
森見さんの文章から浮かび上がってくる像は、もっとお腹がぽってりしてる、身も心もふくよかな人なんじゃないかなぁ?
私ですが、「この門をくぐる者は一切の高望みを捨てよ」というブログを拝見したら、本多劇場というところで来年の正月に『有頂天家族』が舞台化とか!
あの『キバ』のお父さん役を好演されていた武田航平さんが主役だそうです。
結構色々な芝居を観に行っていたのに、なぜか下北沢は私にとって未開の地。(笑)
drama道を極めるために(?)、出かけて見ようかな?
チケット取れるかなぁ。
話は変わり、遊川和彦さんの『誰よりもママ』と『学校じゃ』、泣いたり笑ったりしながら観ました。
羽純さんとか信西とか、深田恭子さんがいい味出してて気持ちが重なり、観終わって少し軽くなりました♪
追記:『有頂天家族』の主題歌、先週末に遅まきながら注文しました。
My MDに追加予定ですが、まだ届きません。
で、あの唄がカーペンターズのTop of the Worldのサビの部分と同じであることに遅まきながら気づいたわが家。
なるほど「有頂天」は「Top of the World」ですからね♪
あのステキな主題歌も、舞台で流れるといいなぁ。
このところ『有頂天家族』を繰り返し観ています。
人間に紛れて天狗や狸がいるんだね、って思えてくる面白さ。
遊ぶためだけに空を飛んでる美女や茶室。
凄く壮大なお話で、観ていると頭の中がスッキリしてきます。
岩屋山金光坊と矢三郎が橋の上で話している時、バックの鴨川っぺり(?)を歩いたリ立ち止まったりしている人びとが描かれていますが、CG(?)で描かれている川の流れが無機質に感じられないのは、その人たちが自然に動いているから鴨。(笑)
井戸の中のカエルの次男も素敵。
わが家の次男坊は原作本をゲットして、読み始めたようです。
受験をひかえた夏だというのに。(笑)
『有頂天家族』面白いです♪
映画のような描き込みで驚きました。
最近は、作り込んでるドラマやアニメが多くなったように思うのは私だけでしょうか。
たぬきの親子がなんとも可愛い!
♪面白くない世の中〜 面白くすればいいさ♪
って歌う主題歌も実に私好みだし、
「人間は街に暮らし、狸は地を這い、天狗は天空を飛行する。平安遷都このかた続く、人間と狸と天狗の三つ巴。それがこの街の大きな車輪をぐるぐる回している。回る車輪を眺めているのが、どんなことより面白い。私はいわゆる狸であるが、ただ一介(いっかい)の狸であることを潔しとせず、天狗に遠く憧れて、人間を真似るのも大好きだ。従って、我が日常は目まぐるしく、退屈している暇がない」
っていうような台詞回しも軽妙で、なんだかワクワク共感しちゃいます♪
私が一番気になるのは、お父さんを鍋にして食べちゃった女性(ひと)に、何がどうなったら恋しちゃうんだろう、という野暮なことなんですけど。(笑)
観ている間とその後しばらくは、なにもかも忘れることが出来るので本当に助かります。
暑さもこれで乗り切れそう★
お話って素晴らしい。